2015年 04月 03日
イタリア生活開始記念日
高校3年生を迎えようとするその春に、別れを告げたわたしを、温かく見送ってくれた当時高校2年生だった担任クラスの生徒たちと、最近は、フェイスブックを通じて、少しずつ再び連絡を取り、近況が交わせるようになりました。そのおかげで、当時高校生だった皆が、頼もしい社会人、そして、父・母となった様子を知ることができ、そして、昨年は、次々に三十代になったという知らせがあって、もうそんなにも時が過ぎたのだと、改めて感じました。今も昔も、そうやってひたむきに生きて、感情豊かに素直に表現してくれる、そういう皆からわたしが教わることがたくさんあります。
1年のはずだった語学留学が、大学留学へと移行し、さらに大学卒業の少し前に、その卒業する大学で教えられることが分かって、滞在許可証を就学用から就労用に切り替え、やがては、まだ大学生だった頃に知り合ってつきあい始めた夫と同居、結婚してと、この13年間にはさまざまなことがありました。
イタリアに暮らし始めて経過した13年間が、高校で国語教師として勤めた12年間を上回ったこと、そして、幼い頃から父や自分の転勤のために引越しを繰り返していたわたしが、今住む家とペルージャにもう8年近く暮らしていて、ということは、これまで住んだどの家よりもどの町よりも、ペルージャに暮らす年数が長くなったのだということに、感慨を覚えます。
三十代になって、「もしあと十年しか生きられないとしたら、何をしたいだろう」と考え、イタリア行きを決意しました。母やとてもお世話になった先輩の先生が四十代で亡くなったこともあり、そんなふうに考えたのです。今年は母が亡くなった、その同じ年をわたしも迎えます。昨年はちょうど春分の日に運転を誤まって車が崖から転落したものの、幸い無事で、そんなこともあって、生あること、生かされているのだということと、そのありがたさを、つくづくと感じました。
通訳をしたり、まもなく学校の日本語講座が再開したり、個人授業で日本語やイタリア語を教えたり、まだまだ仕事も収入も不安定ですが、それでも自らやりがいを感じ、天職だと思える仕事ができることをありがたく思っています。
退職をして迷惑・心配をかけてしまった同僚、教え子の皆さん。そして、いつもそばにいられない家族、会うことの少なくなった友達の皆さん。イタリアでさまざまなきっかけで出会った皆さん、メルマガやブログを通じて知り合えた皆さん。いろいろありますが、わたしは今幸せです。もっとこうであれば、こうしなければと思うことはいくらもありますが、まずは生きていること、皆さんに出会えたこと、そして、皆さんの存在や言葉に支えていただいていることを、幸せにありがたく思っています。
授業の教え方、生徒の指導法、人権教育、図書館教育などなど、教員生活12年間に数々の研修を通して教わったことを、今は愛媛県立高校での教育に役立てることはできないけれど、そうやって鍛えていただいたことに感謝しながら、イタリアや世界というもっと広い世界、大きな舞台で、世の中に返していけたらと、おこがましいようですが感じています。
後悔も、夢に向かって努力すべきこと、すべきなのにできていないこともたくさんあります。最近公私共に忙しいとは言え、フランス語学習も瞑想講座もエゴスキュー体操もさぼり、日記に書く字がなぐり書きになり始めて、反省もしています。
それでも、イタリアの白い桜も、日本の色とりどりのピンクの桜も共に美しいし、それぞれに独特の美しさがあると感じられる自分でいられてよかったと思い、そんなふうに思えることがありがたい今日この頃です。
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Il 3 aprile 2002 sono partita dal Giappone, dopo aver salutato i miei, gli amici e carissimi ragazzi della mia classe. Pensavo di studiare in Italia solo per un anno, invece sono passati ben 13 anni e ancora sono qui.
Mi viene la nostalgia per la fioritura dei ciliegi in Giappone, pure amo anche i fiori bianchi dei ciliegi italiani. Amo il Giappone, il Paese in cui sono nata e cresciuta, ma amo anche l'Italia, il Paese che mi ha accolto e in cui vivo da 13 anni. Insegnando il giapponese e l'italiano, lavorando da interprete e scrivendo articoli del blog, posso fare tramite delle due culture che mi stanno al cuore e ne sono contenta.
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関連記事へのリンク
- あれから10年 (2012/4/4)
- 「直子の渡伊日記Ⅰ 出発編」 (2013/4/3)
- あれから12年 (2014/4/3)
おはようございます。
もう13年になられるのですねぇ~
記念の日ですね、教え子の生徒さんも皆さん
立派になられて感慨深いですね。
イタリアに行かれてお母様の年齢を迎えられる
ってなんて素晴らしいのでしょう。
素敵なご主人様と出会えてお幸せな日々
に応援ですわぁ~
いつもありがとうございます。
4月3日はなおこさんにとっては特別な日だったんですね(^^♪
12年間という長さ、そして高校の先生という職業も気に入られていたようなので、なかなか決断するのも大変だったのでは?と思います。でも、お母さまが早くに亡くなられたことは、私と同じなので、母の生きた年齢までくらいしか時間はないのだろうか?という疑問を抱いたところまでは同じですから、なおこさんのお気持ちは理解できます♪なおこさんと違うところは、その時にすでに既婚であったことでしょうか?私も独身だったらまた違っていたかもしれません。
でも、今の生き方は、根底には母と同じ時間しかなかったら?という気持ちを持ち続けての自分だと思います(^^♪
まる13年間、おめでとうございます(^^)v
そして、日本も、イタリアも、どこに暮らしていても自分の生き方を幸せだと思えるというのをありがたく思える自分でありたいな!と感じさせてくれる記事でした(*^_^*)
ありがとうございます♪
なおこさんもそういう思いを忘れずに今まで過ごされたからこそ、まわりからも支えられて幸せを感じていらっしゃるんでしょうね。日々の生活で忘れがちな事、私も節目節目にもう一度自分の気持ちを生理して気持ち新たに前進しようと思います。
アリスさん、こちらこそありがとうございます♪
こうでなければとかこうしたいということ、何だか中途半端に終わらせていることが多いので、地面に下ろした根と空に伸ばした枝を、これからはもっと四方に、少しずつでも広げていけたらと考えています。
これからも、そうであるよう努力していきたいと思います。
色んな経験をされ、常に学んでいらっしゃるなおこさんに参りましたー!!
家族・友人の誕生日などをことごとく覚えられない痛い私ですが、不思議なことに私もイタリアにたどり着いた日をちゃんと覚えているんです。これは私の大きな意志があって、家族の意思に反する大きな犠牲のもと、自分に3年間で結果を出すという目標を自分に課して、もしできなければ日本に帰るということを両親に宣言していたのです。幸運にも私はイタリアにいまでも住んでいるわけですが、これは決して自分の努力などおこがましいことを思ったことはありません。周りの協力のもと今の私があるわけで、これを清きパスクアで感じられることはとてもうれしく思います。
ここにきて仕事がとても忙しく、自分を振り返ることができずに毎日を送っていますが、ひと時でも考えることができたのはなおこさんの今回の記事のおかげです。ありがとうございました。
思いのこもった温かいコメントをありがとうございます。4月3日が神前式の記念日なんですね。おめでとうございます。桜の季節にまさにその桜を取り入れた花嫁さんの装い、すてきですね。式に咲いていた花がいつまでも心に残るという思い、よく分かります。どうかいつまでもお幸せにお過ごしください。やっぱり幸せは二人で大切に守って築き上げていくものですよね。お互いに頑張りましょう♪
和歌山はわたしたちも2006年に旅行で高野山を中心に訪ねていますし、確かその後、和歌山が、ペルージャのお隣のアッシジと姉妹都市になったのですよね。和歌山に本社がある島精機の社長さんがウンブリアで子会社やLuisa Spagnoli、Cucinelliを訪問した際、通訳として同行したこともありますので、何だかご縁があるように感じている土地です。
今思うと、自分でも思い切ったことをしたなという気がするのですが、あの頃はとにかくイタリアに行かなければ、自分は外国語の学習が好きなのだから、その道でどこまで極められるか自分の可能性を試してみたいという、何と言うか強い激流のような思いに駆られて支えられて決断しました。日本に残っても学校が転勤になる可能性はあり、同じ学校に残っても同じ学年を持ち上がれない可能性もあり(実際、その前年度も同じ学校の2年生の担任でした)、逆に言えばそのおかげで、生徒たちの卒業を見送れないという気持ちを吹っ切ることができたのだと思います。
おっしゃるように、わたしたちがイタリアで暮らして幸せでいられるかげには、遠い日本にいてそばにいられない家族があり、異国の地でわたしたちを支えてくれる皆がいてくれるおかげなんですよね。今さらながら人というのはお互いに支え合って生きるものなのだと感じています。どういたしまして。こちらこそ、いつも心のこもったコメントをありがとうございます。
イタリアでのご生活が14年目を迎えられたのですね。
いろいろなご経験を経て、
今を幸せに感じて暮らしておられること、
本当に素晴らしいことと思います。
昨年の、なおこさんの書かれた、
お母様とのお別れからご決断なさった思いを綴られた記事、
覚えています。
もし自分の生きられる時間があと少ししかなかったなら、
という思いをもって、全力で今を生きるということは、
簡単なようでなかなか本気でそういう気持ちになれないものだと思います。
真剣に行動を起こされたなおこさんだからこそ、
今があるのですものね。
よいことはもちろん、
後悔や失敗や反省も含めて、
すべてがこれからを作る糧となりますね☆
毎日を一生懸命に生きておられるなおこさん、
これからも、素敵な未来を築いていかれますように・・・☆
今朝久しぶりに聴いたディーパクの瞑想講座で、「知っている安心できる世界に安堵しないで、不確かな道のものに心を開き、柔軟になることが大切だ」と言っていて、そろそろこちらの暮らしで慣れた生活に安住せずに、また新しい扉を開かなければいけないなと改めて思いました。そういう意味でも、新しい世界に飛び込まれ、いろいろと挑戦されているすずさんは大先輩です。ありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。