2015年 06月 13日
みんな星の子光の子
intorno a Todi 6/6/2015
昨晩聴いた瞑想講座の言葉に、その前までテレビで見ていた科学番組、Superquarkの内容を思い起こしました。地球を覆う海は、かつて地上に無数に絶え間なく降り注いだ隕石に含まれていた水分子が蓄積してできたものであり、わたしたちの体を構成する炭素や他の原子も、かつては宇宙のどこかの星の一部だったであろう。だから文字通り、わたしたちはだれもが星の子供なのだと、言っていたのです。昨年読んで感銘を受けた、飯田氏の著作、『生きがいの創造』の内容と、ディーパクの教え、そうして、地球・生命・人類の誕生という科学的・歴史的事実が、わたしの中で、一見ばらばらに見えるパズルが、うまく噛み合って一つになったような、そんな気がしました。
ディーパクは、「わたしたちの体も考えも日々、そして年を通じて、変化を重ねて行くけれども、人生を通じて変わらないものがあって、それが真の自己、魂なのです。」と言います。仏教の「仮の宿り」を思い起こし、また、西洋哲学で、体は死後は魂の抜け殻なのだと言っていたのはアリストテレスだったかしらと考えながら聞きました。
アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』の、確か「ならず者」だったか「悪人」だったかの項に、「ならず者とは、店頭に置いてあるイチゴとは逆で、自分の悪いところばかりが人目につき、よいところは見えにくい者のこと」とかなんとかいう定義があったように覚えています。かつて英語の勉強をしていた頃に、英語のおもしろ知識を書いた本に書いてあったことを読んだのですが、もう20年近く昔の話ですから、間違いがあるかもしれません。これを読んだとき、「そうそう、確かにイチゴって、まだ傷んでいないきれいなイチゴばかり表面に並べて、傷んだイチゴは後ろに並べて、箱に入れて売ってあるよな。」と妙に納得した覚えがあります。
「ああ、こんな自分は!」と、自分で嫌になることもあるし、人にひどいことを言われて、落ち込むとき、光が見えないときもありました。そんなときに、それは単に、本当の自分をまだ発揮していないだけ、磨けていないだけ、いい面を、可能性を、相手が見てくれていないだけ、相手に見る目がないだけと思うと、何だか励みになります。
偉大なる宇宙を構成する、わたしたちも大切なかけがえのない存在であり、かつてわたしたちも星だったのだ。昨夜は何だかそんなロマンを感じて、うれしくなりました。
確か、弘法大師空海の教えも偉大なる宇宙から~というような趣旨のことが述べられていたように思います。
洋の東西を問わずにそういう教えがあるというこは、嬉しいことですね!
先日の通訳のお話の記事の件、今頃になって拝見しましたが
なおこさんの仰られてることは成程ですし、お仕事に対する姿勢が素晴らしくて感動しました。
家の夫も自営業で職種は全然違いますが、考え方としてはなおこさんと同じように思います。
なかなか、お仕事をするまでの準備にかける時間とかは人に理解されにくく、大変なことも多々ありますが、一度かかわられた方は、とても喜んでくれたりします♪
一生懸命にお仕事すれば、必ずたいていの方は解ってくれるから、こちらも頑張りたいと思います(^^♪
いつも、
瞑想講座のお言葉を拝見するたび、
そうだなあ~と、深くうなずきたくなるような気持ちになっています。
自分以外の何者かになろうとするのではなく、
自分を生かしきること、
本当はそれが一番大切なことなのですよね☆
「私たちは誰もが星の子供」
素敵なお言葉ですね☆
本当に、すべての人が、かけがえのない存在なのですよね。
先日の瞑想講座の記事も、
素敵なお言葉とともに、
感動的に美しい湖の夕日のお写真を見せてくださって、
心に染みいるような温かな気持ちになりました。
いつも素敵な記事をありがとうございます☆
以前の記事も読んでくださってんですね。ありがとうございます。生徒さんも含めて、お客さんはいろんな人がいて、この人とは難しいという場合もまれにありますが、誠意を尽くせばたいていの方がそれを感じてくださるのがありがたいなと思っています。アリスさんも共感してくださって、同じように思われていると知って心強いです。アリスさんたちもすてきなお仕事をされているんですね。やっぱり仕事には表面では分からない仕事や準備、苦労というのがつきものですものね。
最近の講座でも、「自分自身をまず愛して大切にしなければ、他の人のよさも本当には分かれないし大切にできないし、自分が枯渇してしまう」と言っていて、真の意味で自分を大切にすることは、利己的でも何でもないのだと励まされたような気がしました。
すずさんこそいつもすてきな美しい、そうして心に響く記事と写真をありがとうございます♪