2015年 09月 09日
仏語読書と先生・愛人、『悲しみよこんにちは』

就寝前を中心にのんびり読書を進めているのですが、おとといの晩だったか、読んでいて、それまでに読んだ内容と話がかみ合わないと感じる箇所に出くわしました。
主人公の少女や父親と暮らしているもう一人の女性は、家を取り仕切る家政婦か、少女の家庭教師だと思いこんで読んでいたのに、どうもそうではないらしいのです。と言うのも、3人が過ごす別荘を訪ねて来た女性客が、父子と暮らすこの女性の存在を知ったとたんに、少女にも見て取れるほどに、ひどく動揺したからです。住み込みで仕事をしている女性であれば、こんなに驚くはずがありません
«Cette villa est ravissante, soupira-t-elle. Où est le maître de maison ?
— Il est allé vous chercher à la gare avec Elsa. »
J’avais posé sa valise sur une chaise et, en me retournant vers elle, je reçus un choc. Son visage s’était brusquement défait, la bouche tremblante.
«Elsa Mackenbourg ? Il a amené Elsa Mackenbourg ici ? »
Je ne trouvai rien à répondre. Je la regardai, stupéfaite. Ce visage que j’avais toujours vu si calme, si maître de lui, ainsi livré à tous mes étonnements. Elle me fixait à travers les images que lui avaient fournies mes paroles ; elle me vit enfin et détourna la tête. (Françoise Sagan, “Bonjour Tristesse”)
そのため、この勘違いを正してからでないと、小説をきちんと鑑賞できないと考えて、冒頭から斜め読みしました。そうして、第1章第2段落を読んでいたときに、読み違えたらしいと気づきました。
Cet été-là, j’avais dix-sept ans et j’étais parfaitement heureuse. Les «autres » étaient mon père et Elsa, sa maîtresse. Il me faut tout de suite expliquer cette situation qui peut paraître fausse. Mon père avait quarante ans, il était veuf depuis quinze ; c’était un homme jeune, plein de vitalité, de possibilités, et, à ma sortie de pension, deux ans plus tôt, je n’avais pas pu ne pas comprendre qu’il vécût avec une femme. (Françoise Sagan, “Bonjour Tristesse”)
わたしがこのエルザという女性を家政婦か家庭教師だと考えたのは、このmaîtresseという語を読んでのことだと思います。傍線部を付した次の文で、どうして主人公が、わざわざ状況を説明する必要を感じているのか、不思議に感じたのを覚えています。今になって考えると、同じ段落の続きを読めば気づけたようにも思えますが、初めて読んだときは、deux ans plus tôtが、「2年前」なのか「2年後」なのか、さらに、それは主人公が自らの記憶をたどって語っている現時点を基点としてか、それとも、主人公が17歳だったときを基点としてかが分からず、さらに、à ma sortie de pensionとあるのも、この時点では何のことだかはっきりせず、「ひどく読みづらい、分かりにくい小説だな。」と思いながらも、疑問符を抱えつつ、そのまま読み進めてしまっていたのです。
とにもかくにも、最初に掲げた女性客が動揺する部分を読んですぐに、エルザはどうやら父親の愛人か恋人らしいと予想はしていました。そういう推測があったので、二度目にこに第2段落を読み返したときは、このmaîtresseという語には、「愛人」という意味があるのだろうと見当をつけました。仏和辞典を引いてみると、案の定、辞書のmaître、maîtresseの項に並ぶ語義の最後に、「C【女性形のみで】①愛人、情婦」とありました。
というわけで、上に引用した2箇所に、maître (maîtresse)が3度登場することでもありますし、手持ちの旺文社、『プチ・ロワイヤル仏和辞典』

辞書で意味を調べるときは、できるだけ用例すべてに目を通し、声を出して読むようにしています。そうすれば、単語の使い方を学べる上、人間の脳は、単語や意味を覚える際に、文脈や、何か意味のあるまとまりの中でとらえた方が、そうして複数の感覚を動員させた方が(ここでは視覚+聴覚)、長く記憶にとどまりやすいようにできているからです。
ラルース無料オンラン仏伊辞典のこちらのページで、maître、maîtresseの発音を聴いて練習することができます。わたしはついでに、用例についても発音を聴き、後について言ってみました。イタリア語で該当する言葉が、「先生、親方、大芸術者」という意味については、maestro、maestraであり、「主人、所有者」の意味では、padrone、padronaであり、「長、頭」という意味では、capoであるのが興味深いです。ラテン語の同じmagisterという語を起源としていても、イタリア語のmaestroは語義や使用場面が限定されるのに対して、フランス語では、より多くの語義や場面で使われているからです。イタリア語のmaestraには「愛人」という意味はありません。
先に紹介した『悲しみよこんにちは』から引用した箇所については、1行目のOù est le maître de maison ? では、maîtreが「主人、所有者」の意味で、わたしが勘違いしたmon père et Elsa, sa maîtresseのmaîtresseは、「愛人」の意味で使われています。
一方、Ce visage que j’avais toujours vu si calme, si maître de lui, ainsi livré à tous mes étonnements. という文中のmaîtreは、読んだときにイタリア語からの類推もあって見当がついたのですが、連語として使われています。『プチ・ロワイヤル仏和辞典』に、
être maître de qn/qc …を思いどおりにできる、支配[掌握]している
être [rester] maître de soi (-même) 自制する、感情に走らない
とあります。ここでmaître de luiが形容・説明しているのはCe visage(visage s.m. 顔;顔つき、顔色)ですから、ここでは、「感情を表情に出さない顔」ということだと思います。
辞書を引いたついでに、この頃読みながら気になっていた語、pensionを調べると、女性名詞で、三つ目に「寄宿舎、寄宿学校;寮」という語義があります。なるほど、イタリア語でもpensioneは女性名詞で、「1 年金,恩給 2 食事付き宿泊」までは、語義がフランス語と同じですが、「寄宿学校」という意味はなく、別のcollegioという単語を使います。どうやら、わたしが読書中に読み間違えたり、理解に苦しんだりする箇所には、ラテン語の同じ名詞から派生した語でありながら、イタリア語には見られない用法で使われているフランス語の単語があることが多いようです。フランス語、pensionの発音は、こちらのページで聴いて、発音練習をすることができます。イタリア語風に読んでいたわたしは、発音記号を見て、もっとこつこつフランス語の地道な勉強や復習をしなければいけないなと反省しました。
à ma sortie de pension, deux ans plus tôtの部分については、 『プチ・ロワイヤル仏和辞典』のtôtの項に、「[副詞] 朝早く、早い時間[時期]に;朝早く(tard⇔遅く)」とあり、
「une semaine plus tôt que l’an dernier 去年より1週間早く」
という例文がありますので、主人公が17歳だった夏(Cet été-là, j’avais dix-sept ans)より2年早く、つまり、「その夏の2年前に、主人公が寄宿学校を卒業したとき」ということではないかと考えています。どなたか教えてくださると幸いです。
『悲しみよこんにちは』は150ページ足らずで、ジュール・ヴェルヌの小説に比べると、ずっと短いのですが、次々にできごとが起こり、人や動植物、行動、周囲の環境などが具体的に記述される冒険小説と違って、主人公の内面の心の葛藤やとまどいを語る部分が多いために、知らない語がいくつかあると、内容把握が難しくなり、読みづらいという印象があります。まだ24ページまでしか読んでいませんので、感想はまた変わるかもしれません。今のところはおもしろいのですが、題名が題名でもあり、でもせめて、『異邦人』ほど悲劇的な結末を迎えることがありませんようにと願っています。
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Finita la lettura di "L'île mystérieuse", ora leggo "Bonjour tristesse" di F. Sagan.
Ogni tanto trovo una scena incoerente e così scopro di aver interpretato male qualche frase o paragrafo precedente. Ad esempio, un personaggio che mi sembrava un'insegnante o governante risulta in realtà l'AMANTE del padre della protagonista. E' perché qualche parola francese, pur derivata dalla stessa parola latina, ha alcuni significati che non ha invece la sua sorella o cugina italiana; la parola, "maîtresse" vuol dire anche 'amante' e "pension" significa anche "collegio" e così via.
Finora il romanzo è interessante. Spero che la storia non finisca tanto male come "L’étranger".
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参考図書 / Riferimenti bibliografici
- Amazon.it – F. Sagan, “Bonjour Tristesse”, Pocket
- Amazon.fr – F. Sagan, “Bonjour Tristesse”, Pocket
- 旺文社、『プチ・ロワイヤル仏和辞典』
- 小学館、『伊和中辞典』


今日のなおこさんの記事を拝読してて、なおこさんがイタリア語に堪能であるがゆえに、フランス語で良く似た単語が出てくると同じような意味に捉えてしまい、訳を勘違いしているようですネ!
同じ、ラテン語系列なので、意味が解り覚えやすいとばかり考えてた私ですが、違うことも多々あり、フランス人がイタリア語出来ない、イタリア人がフランス語が出来ない、と隣なのに不思議に思ってましたが、なるほど、今日の記事で納得しました!たとえ、お隣で、似てても、ちゃんと勉強しないと、難しいということですね。
また、冒険小説と心理描写中心の物語では、確かに理解度は違ってきますよね!映画などでも、アクションものは、英語をそんなに理解してなくても、字幕がない飛行機で観ててもおもしろく観ることが出来ますから。
今日の記事は、私には、随分難しいというのが本音ですが、よい勉強になりました(*^_^*)
イタリア語のマエストロは、私にとっては、よく音楽関係で耳にする言葉であります(^^♪
イタリア語教育法の先生が、「スペインの人はイタリアを身につけるのは早いけれど、母語とあまりにも似ている部分が多いので、かえって何年イタリアに暮らしても、スペイン語訛りやスペイン語寄りの文法間違いが抜けない場合も少なくない。」と言っていました。
おっしゃるように、映画でもそうですよね! アクションなど、言葉が分からなくても楽しめるものと、言葉が分からないとさっぱりという会話に重点が置かれた映画がありますもの。
マエストロはもう日本語の語彙にも入っているようですね。日本に暮らされているアリスさんの方が、少ないイタリア旅行の機会に、かえって優れた音楽に触れる機会を積極的に作られていて、すばらしいなと思っています。

そうそうエルザは、主人公も認めている父親の愛人です。あっストリー、バラしてはダメですね。今読むと、あの時とは違って、この主人公の持つ‘悲しみ’には、何ともやるせない、無力感に苛まれるのだろうなぁと思います。感性の豊かななおこさんのことだから、フランス語と言えども、一つ一つの語彙を理解されながら、深い感慨をお持ちになることだろうと拝察します。それと、フランス語とイタリア語は違うとはいえ、悲しみ という単語はよく似ていますね。ちょっと嬉しくなりました。
閑話休題。日本語を勉強しているイタリアの女学生にも、「わたしが思春期に初めて読んだ本です。」とコメントをもらって、世界中のいろんな人にとって、名作というのはそれぞれの青春や思い出と深い関わりがあるのだな、国によって若者向けに出版される小説が違うのもおもしろい、と思っていたところです。
それよりもそれよりも、Elsaという名前の読み! イタリア語では「エルサ」なので、そうだと思いこんでいたら、フランス語では「エルザ」なんですね!! ううむ。そうそう、外国語学習に際して、既習言語が影響を与えるのは、語彙だけではなくて、音声面もなんですね。わたしも書く前に気にはなったものの、名前なので辞書に発音もなく、エルサと書いたのですが、(つづく)
今かずさんのコメントを読んで探したら、何と世界の各国で、同じ名前の発音がどう違うか、発音も聴くことができるページがあって、確かにフランス語の発音では「エルザ」になっています。http://www.pronouncenames.com/pronounce/elsa
さっそく記事内の名前を、「エルサ」から「エルザ」に訂正しておきます。既習言語の転移(transfert)は、語彙や文法だけではなく、音声面にも関わるという点で、記事はそのままにして、追加情報として載せた方がいいような気もするのですが、本文しか読まない人がいて、勘違いをしては困ると思いますので。
いえいえ、就寝前の読書でもあり、基本的には辞書を引かず、多少分からないところがあっても、どんどん読み続けているので、勘違いしたままのところや、ぼんやりとしか理解していないところが、多いような気がします。高校で国語を教えていた頃は、めったに見かけないようなしち難しい漢文や古文の文章が、模試の問題などに出てくることも時々あったので、多少難しい言葉や分からないところがあっても、だいたいこういうことかと見当をつけて、大胆に読み進めていくのには、幸い慣れているのです。まあ、そういう問題には、詳しい解説や現代語訳もついているのですが、まずはそういうものがなくとも正解にたどり着けることを生徒に教えるためにも、わたしも、何も見ずに解いてみたものでありました。
なおこさんにとってフランス語は第5外国語ですよね?それでもって本格的に小説を読まれているなんて!聞くだけで頭がくらくらしてきそうです。
ひとつ質問させてください。なおこさんが新しい言語を学ばれて、こうして小説やニュースなどの読解をされるときには、わからない単語が出てくるたびに辞書をひかれますか? このタームに調光している伊語のクラスではニュースの記事や短いエッセイを読む練習がたくさんあるのですが、昨夜読んでみると一つのパラグラフに次から次へとわからない単語がでてきました。わからなくても一通り読んで、その後単語を調べるのが良いのかとも思いました。とにかく一文に3つも4つも知らない単語が出てくると、うーむと唸ってしまいます。もしよければオススメの読解方法を教えていただけますか?お時間のある時で結構です。
過去のメルマガやリンクもとても参考になります!
最初は難しくとも、分からない語句があっても、前後の文脈から見当をつけるなどして、一とおり通して読んでみること、それから、辞書を使って調べることが大切だと思います。日本語でわたしたちが文を読むときや、話を聞くときにも、そうやって、脳は、右脳で全体像をとらえつつ、左脳で細部の分析をして、再び右脳で細部で理解したことを統合するというふうに働いています。そういうやり方をすれば、言語理解における自然な脳の働きに添って学習することになるし、まずは全体像が見えてからでないと、最初から辞書を引いていては、間違った語義を選びかねない可能性もあるからです。この点については、次の記事もぜひご覧ください。
「木を見て森も見る外国語学習」 http://cuoreverde.exblog.jp/23623918/
分からない語句が多少出てきても、言い換えがあったり、要約が出てきたりして、全体を通して読めば、だいたい言いたいことが分かるということは多いのですが、もし、読んでもさっぱり意味が分からないようであれば、それはPapricaさんにとっては難しすぎる文章だということになります。わたしもフランス語の文で、分からない語がいっぱいあるけれど、通して読んでみると、ああこういうことがと概要が分かることがよくあります。
とても丁寧なお返事、ありがとうございます。
右脳と左脳のプロセス、とても興味深いです。紹介してくださった関連記事も拝見して、まさに2番の状態で唸ってしまうタイプです。一つ一つわからない単語を拾い集めているうちに、一体なにの話をしていたのかわからなくなって面白くなくなってやめてしまう、というパターンですね。。。わからない単語を飛ばして読み進めるのには「思い切り(?)」がいるのですが、なおこさんの助言をもとに頑張ってみます。とても丁寧な語学学習の記事に元気をもらっています!良い週末を!
ただ、やっぱり全体から細部に落とす方向でも理解する習慣をつけないと、本来分かるはずのことが聞いていた分からないということもでてきて残念ですので、できるだけ日頃から意識するように心がけてみてください。
こちらこそ、うれしいコメントをありがとうございます。よい1週間を!