2015年 11月 05日
イタリアで痛みをこらえちゃいけません

精神的な苦痛の場合も、自分一人で抱え込んで、相手が察してくれるだろうと期待せず、だれかに何かをされて嫌だったり、こうしてほしいと思うことがあったりしたら、それを感情を爆発させずに、相手に伝える必要があります。日本人は、自らの感情や思いを直接言葉や表情などで表現しない傾向があり、文化的に真情の暴露が厭われる場合が多いために、思いを抑えこんだり、極めて婉曲的・間接的に表現したりする傾向が、世界の多くの文化や民族の中でも、極度に高いということが、比較文化学でも人類文化学でも言われています。
ただ、日本という枠を飛び出して、イタリアという異国にいるのですから、「日本ではこうだから」と、別の慣習や行動パターンを持つイタリアの人々に対して、日本でと同じようにふるまって、「察する心や配慮に欠けて、分かってくれない」と憤るのは見当違いであって、「日本人は、国民性として、自分の希望や思いを率直に表現できない傾向があるのだ」ということを親しい人には告げて、知ってもらった上で、なおかつ、「これはこうしてほしい」、「これは嫌だ」という点は、相手と場にもよりますが、はっきりと相手に伝える必要があります。

わたしは日本に暮らしていた頃は、教員という職業柄もあり、また勤めた二つ目、三つ目の高校は教員の平均年齢の若い学校で、若手でも意見を言いやすく、校長や課長・主任が耳を傾けてくれたということもあり、日本人としては、自分が思うことをはっきりと口にする方だったと思います。実際、職員会議でよく発言をしていたために、校長からは、「石井さんは時々小石を投げるからね」と笑いながら言われたことがあります。その頃、ちょうど受験対策として理系クラスの現代文の、ただでさえ少ない授業時数を減らそうという動きがあって、わたしは、「国語はすべての教科の力、思考力、生きる力の土台となる」という考えから反対を唱え、でもそう述べたのでは受験に焦点を絞りすぎた先生たちには伝わるまいと、「小論文で述べる力も、理系科目の授業内容を理解する力も、国語、現代文の力がなければ培われません。」とか、「理系の優れた力があっても犯罪を犯してしまった事件でも、国語を通して、読む力、感じる力、自分自身の頭で善悪を判断する力を培うことをせず、理系科目にばかり力を注いたがために、せっかくの才能や知識を結局は犯罪につぎ込むことになったのではないでしょうか。」と、手を変え品を変え、異を唱えていたものです。

言いたいことははっきり言っているつもりであった自分が、実は婉曲的に表現することが多いことに気づいたのは、イタリアに暮らし始めてからです。イランの友人に何かを頼まれて断ったとき、まだ恋人だった頃の夫に映画に誘われて断ったとき、わたし自身ははっきりと断ったつもりだったのですが、夫や友人に言わせると、できない理由をいろいろと並べただけで、NOとは言っていないから、断られたとは思わなかったとのことです。イランのクラス仲間には、「どうしてあなたたち日本人ははっきり言ってくれないの」と、共通の日本の友人との間でもそういうことがあったらしく、非難されました。夫の誘いについては、「行けないって言ったのに、いつまでもしつこいな」とわたしはいらだっていたのですが、夫に言われて考えてみると、確かに、映画に行くのが難しい事情をいろいろと伝えただけで、映画に行けないとも行きたくないとも、言っていなかったのです。それは、日本では、はっきり断るのが失礼で、こんなふうに理由を述べて遠回しに「できません」と伝える慣習があるからです。こういう日本独特の文化的慣習については、後にイタリア語教授法の授業で学んだ上に、外国人向けの日本語の入門書にも説明があって、この点に配慮した作りになっています。『NOと言えない日本人』という著作はわたしが日本を発つ前から有名で、全国模試の現代文の問題文にも、取り上げられたりしていましたが、「NOと言っているつもりだったのに、実はNOと直接は言っていない自分」には、イタリアに暮らし、友人や夫とこういうやりとりを重ねる中で、意識するようになりました。

肩の痛みについての検査や専門医の診察も、わたしが、「かかりつけ医がそう言うのならば、言われた体操をしていれば治るだろう」とおとなしく話を聞くのではなく、もっと早くから「とても痛くて夜眠れずによく目が覚めるんです」、「体の動きが制限されてしまっているんです」とはっきり主張していれば、もっと早く受けられて、ここまでは悪化しなかったものと思います。幸い昨日キャンセルがあったようで、今日専門医の診察を受けたのですが、10日間のリハビリ体操を処方してもらったものの、なんと体操の空きがあるのは、来年の1月18日からなのです。
過ぎたことは仕方ありませんし、世の中には、あるいは人間関係によっては、「言うべきではないこと」や「言ってはいけないこと」もあるのですが、そういうわけですから、特に親しい友だちや恋人、だんなさんとの間では、自分が思っていることは、きちんと言葉にして伝えていく、それがイタリアで、相手にも理解してもらい、こちらもしこりを残さず過ごしていくために、大切だと思います。
肩も検査・専門医診察が遅れたために、悪化してしまい、花粉症対策で使わぬよう心がけていたステロイドの強い薬を、服用する上に、注入までせざるを得なくなってしまいました。自分自身の反省も兼ねて、皆さんにもどうか、必要なときには必要なことが言える勇気を持っていただけたらと思います。
写真は、先日ご紹介した「桃色の湖」を見た、その同じ日に夕日が沈む頃の写真です。ふだんは穏やかな湖に、激しい風のために荒波が立ち、その波を見ながら、百人一首の次の歌を思い起こしました。
風をいたみ岩うつ波のおのれのみ 砕けてものを思ふころかな 源重之
激しい風に荒波が打ち砕ける様子に、自分の心をたとえて詠んだ歌で、この歌では、「風をいたみ」は「風が激しいので」という意味です。波が立っても美しいトラジメーノ湖を見ながら、「肩を痛み(肩が痛いので)」とパロディが作れないものかとふと考えたので、この記事にその波立つ湖の写真を添えています。
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Onde & Tramonto al Lago Trasimeno @ Monte del Lago 31/10/2015
C'è una poesia antica giapponese in cui un poeta innamorato
paragona il proprio cuore spezzato ai frantumi delle onde
sulla roccia dovuti al vento violento.
L'ho ricordata mentre ammiravo le onde del Trasimeno
che ha un altro fascino con forza e impeto.
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Lago Trasimeno
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- 春のポルヴェーセ島 / Passeggiata nell’Isola polvese


今日の内容は、大変濃い内容ですね。
医療のことに関しては、日本でも(自らの感情や思いを直接言葉や表情などで表現しない傾向、文化的に真情の暴露が厭われる場合が多い等)などを考慮しても、一般的にお医者さんを目の前にして、なかなか意見が言えないというのは多いと思います。自分の身体のことだからはっきり言えればいいのですが、「お医者様」という思いがどこかあるのかもしれません!
私もそれで、失敗したことはあります。でも、気が付いたところから修正すれば、必ずよくなると思います。そして、それを経験としてこれかの人生にいかせることが出来るのでいいことだと思います。
私も、最近は、夫婦であっても言わなければ理解してもらえないことがたくさんあると思い、遠慮しないで言うべきことは言うようにしています(笑)
その方がより人生を豊かに生きられるという思いが強いです。
百人一首の和歌、なかなかイイ場面で思いだされてますね。
どうか、一日でも早くよくなりますようにお祈りしています♪

脳神経外科で神経の痛みをとるような薬を処方してもらって少し飲んでいたと思いますが、なるべく体を動かすように努めてました。最終的に確信したのは逆立ち体操です。もちろん状態によって向き不向きはあると思いますが、逆立ちをする事で血液の循環もよくなるし、お通じも良くなるし、私はダイエット効果もありました。こちらにきて数カ月浴槽のない部屋に住んでいた時は数日おきにしていました。おかげで今のところ何の問題もないですが、自分にあう健康法をしっておくのも大事な事だと思ってます。
私もどちらかというと率直に意見をいうタイプですが、それでもイタリア人にはかなわないなあと思う時があります。先日初めてスイスにいったんですが、主人から聞いていた通り町はきれいで電車やバスも時間通りに来るし日本に似ているなあと感じたんですが、何故かそれとはほぼ正反対のイタリアが恋しくなりました。人間関係でも恋愛関係でも自分にない物を求める様に、私にとってはこの国が興味深いんだろうなあとあらためて感じているところです。

それと件の歌にはクスクスと笑いました。私も本歌取り〜毎日唱えていた歌があります。忍ぶれど 色に出にけり我が痛み、ものや思ふと 人のとふまで〜と笑。お気持ちとても良く分かります。
断り方については、こちらの先生のエッセイがうまくまとめていると思います。もうご存知の事かもしれませんが、お時間がありましたらご一読ください。そして何より、お大事に!https://www.nihongokentei.jp/amuse/essay/w_14.html
日本人どうしでも、やはり人によって同じ言葉や行動の受け取り方や好みも違うので、夫婦でも言わなければ分かってもらえないということがあるのですね。わたしも、そうやってお互いにどんどん言い合っていくのが、結局はお互いの関係を、いっしょに過ごす毎日をよいものにするために、大切だと思います。
いつもお優しいお言葉をありがとうございます♪
みわさん、わたしも最近は何となく、ゆるやかに人間らしいイタリアの電車やバス、時間感覚、そうして、しっかりする自己主張にすっかり慣れて、そのゆるやかさが困るなと思うときもありつつ、いいなと感じるようになりました。お互いに郷に入って、郷に従ってきているということでしょうか。
おっしゃるように、周囲の状況や文脈・空気に頼っていては、自分の表現力と相手の理解力いかん、考えや育ちの相違によっては、とんでもない誤解に発展する可能性は日本でもありますから、注意が必要ですね。
かずさん、そのパロディ、いいですね!! 座布団10枚、いえ、20枚!! わたしも、「会うたびに体の不調を口にするような人ではありたくない」と思うので、あえて言わないのですが、「どうしてそういう姿勢をしているの」とか「顔をしかめたの」と聞かれて、言及せざるを得ないことがたまにあります。
断り方は、そうやってすでに自分で、あるいは大学で学んだことや、日本語の教科書自体の説明をもとに、教えていたのですが、また時間のあるときに、リンク先のエッセイを拝読しますね。リンクをありがとうございます。そうそう、とある英語で書かれた著名な外国語教授法の本の冒頭に、こんな話が書かれていたのを覚えています。ある英語学校で予定されていた遠足の日に、雨が降ることが確実になり、あるヨーロッパの国の生徒たち(北欧の国だったような)は声高に中止を求めたものの、日本人生徒たちは何も言わずに状況を見守り、イタリア人生徒たちが「雨天でも決行」と強硬に主張したため、結局は雨天決行となりました。遠足の当日は、予期されていたように雨が降り、イタリア人生徒は一人も姿を見せず、怒りでいっぱいのヨーロッパの他国の生徒たちと、穏やかな顔の日本人生徒たちだけが、雨の中、遠足に参加したというそれぞれの文化や国民性を表しているのですが、そんなふうに「日本人が考えや感情を表に出さない」ことは、外国語教育・研究の欧米の研究でも、かなり頻繁に取り上げられていて、興味深いです。
大変遅れてのコメントですが、
とても興味深いお話だったので、こちらにも・・・^^
日本人の感情や思いを直接的に表現しない傾向、
本当に、他国と比べて、とても特徴的ですよね。
私は、そういう日本人の気質は、
良い部分もあり、また、やっかいな部分でもあるな、とも思います。
私は不器用でバカ正直である性分と(苦笑)、
また、最初に就職した会社が日本人より外国人のほうが多かった環境だったせいか、
若いころはなんでも思ったことを口にしてしまうようなところがあり、
田舎に戻ったとき、
家族や周りの人と、あまりにコミュニケーションの取り方が違ってよくぶつかったり、とまどったりしました(笑)。
田舎の人は、よく言えば我慢強いですが、
ときに、理不尽な状況下でも、「なんで黙っているんだろう…」とイライラしてしまったり^^
断りをはっきり言わないのは、
よく言えば、相手を傷つけたり、気まずくならないよう思いやってのこと、
とも言えるのですが、
ときにそれは、嘘やごまかしとなってしまって、
本当の思いやりではないこともありますよね。
日本人は、自分の主張だけを攻撃的に強引に通そうとするということを避け、
相手の気持ちを推し量ろうとする思いやりと秩序を大切にする気質を持っている点は、
私はとてもよい部分だなと感じるし、
大切にしていきたいのですが、
主張を押し殺してがまんしたり、自分が傷つかないためにその場しのぎをするような、
履き違えた思いやりではなく、
本当に他者と自分を大切に考えた意見の述べ方、接し方ができるといいですよね。
私の目指したいところです^^
なおこさん、その後肩の具合はいかがですか?
どうぞお大事になさってくださいね。