2016年 06月 02日
愛・幸せ発見いざなうフランス語
自分が穏やかな安心した気持ちになれるのはどういうときか、確たる自信を持っていられるのはどういうときかを、思い出してみよう。実は、その安心や自信のよすがは、わたしたち、すべての人間の奥深くに存在するのだ – それが、今日1日目のフランス語版瞑想講座を聴いてみて、心に残ったことです。
Jour 1 Trouver la Securité
Jour 2 Trouver le Bonheur
Jour 3 Trouver le Pouvoir
Jour 4 Trouver l’Amour
ディーパク・チョープラの新しいフランス語版瞑想講座、Pouvoir des Energies Vitales! Laissez-vous fluer avec l’inspirationは、月曜から始まったので、すでに4日分の毎日の講座の案内がメールで届いていて、件名を見れば、その日の講座内容が分かるようになっています。
安心感(securité)・幸せ(bonheur)・力(pouvoir)・愛(amour)を、日々確かに我がものと感じながら生きていけるヒントをくれるディーパクの、21日間1日約20分の瞑想講座を、楽しみに聴いていくつもりでいます。最初に流れるディーパク自身の英語の言葉をじっくり聴き、続くフランス語訳は、あまり分からないのでぼんやり聞き流すというのが、これまでの聞き方だったのですが、今回はフランス行きが間近に迫り、フランス語初級の復習を始めたこともあって、フランス語訳にも注意を払って聴くようにしています。

今回のフランス語版は、昨年11・12月にあったイタリア語版と同じ内容なので、昨年受け取った講座の案内メールの件名を見ると、先の内容も予想できます。イタリア語版で解説をしてくれるプージャ・クリスティーナたちから、しばしば、「1度聴くだけでは本当には自分のものにならないので、少なくとも3度は、じっくりと受講しなければ」と聞いています。まさにそのとおりで、「いいなあ、なるほど」と、特に時間があるときは、時々音声を止めて、ノートに書き写しながら聴き、ブログの記事にしたりさえするのですが、2度目に聴いても新たに心に響くところや、忘れてしまっていたことがあります。それに、プージャが言うように、聴くたびごとに、そのときの自分の心や置かれた状況に応じて、心に響くことや、身につくことが違うということもあるのでしょう。
心がざわつくときには、今日の言葉、「わたしの安心と心の平安は、わたし自身の中にある。」(Ma sécurité et ma paix sont en moi)を思い出せるといいのですが、たった1文でも、イタリア語と違って、覚えるのに手こずりそうです。心に安らぎと確かさを与えてくれるマントラ、Lamを、ゆっくり深呼吸して、心を静め、心の中で何度も繰り返し言ってみる、その方が手っ取り早いかもしれません。

そういうとき思い浮かべるのは、穏やかに水をたたえたトラジメーノ湖の風景です。今、読んでいる瀬戸内寂聴さんが語る法話には、ディーパクの教え、説明する仏教の慣習には、カトリック教の慣習に、びっくりほど相通ずるところが時々あって、そうなのかと驚きながら、学びながら、本を読み進めています。「マントラは宇宙の魂に届く言葉」といったような言葉が、そう言えば最近読んだ本の中に書かれていました。
先に始まったスペイン語版の瞑想講座も、今のところは1日遅れで聴き続けていますが、1日分だけ聴き逃してしまいました。いろんなところにしわ寄せが行っているので、もう少しすべきこと、したいことの優先順位と、どこまで時間を割けるかを、しっかり考えなければいけません。
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Lunedì è iniziato il corso di Meditazione con Deepak Chopra
in francese, "Pouvoir des Energies Vitales".
Seguire il corso mi aiuta a vivere più serenamente e
ad imparare meglio il francese :-)
Foto: Tramonto al Lago Trasimeno 20/5/2016
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関連記事へのリンク
- 西仏伊英語ディーパク瞑想講座、明日から続々開始 (15/5/2016)
- 自信と平安は、わたし自身の中に~イタリア語瞑想講座 (23/11/2015)



あ、私も勉強になりましたね!
ほとんど英語の語彙と同じですね。
幸せ(bonheur)はちょっと違います。^^
なんか長い映画「Ben-Hur」を思い出しました。
こころの中では、宗教というのは、必ず底が通ずるものがあるとは、思うのですが、表面に出て来るところが、違いばかり強調されているような気もして、真に深いところで共通部分こそ強調していけば、世の中の人皆が幸せになれるのではないかと思うのです。
なおこさんは、瀬戸内寂聴さんや、ディ―パクさんの瞑想講座によって、まさにそれを体感されてるのではないかしら?なんて思ったりもします。
なおこさんにとっては、トラジメーノ湖は、母なる湖なのですね☆
私にとっては、何だろう?とふと考えたら、内緒ですが思い浮かぶものはありますね(*^_^*)
カトリックなど一神教では違いや我が宗教の優越性を強調するきらいがあるのに対し、瀬戸内寂聴さんもダライ・ラマもディーパクも、すべての宗教は相通ずるものがある、いえ、むしろ同じものを、別に表現しているだけだというようなことを言っていて、わたしもそのとおりだという気がします。寂聴さんの著書だったかな、人が幸せになるためにあるのが宗教だと最近読んで、本当はそのとおりなのにと感じました。ですから、アリスさんがおっしゃるように、宗教に共通する核をもっと見れば、皆が幸せになれる、近づけるに違いない、と。
日本に暮らしていた頃は、特に愛媛では瀬戸内海、海を眺めるのが好きでした。トラジメーノ湖を見ながら、かつて眺めたいろいろな表情の瀬戸内海も、わたしの思い出の中では重なっている気がします。
瞑想関連の記事、楽しみにしてくださってありがとうございます。関心があるかないか分かれやすく、コメントも書きにくい記事だと思うので、そんなふうに書いてくださって励みになります。わたしも、自分自身に、講座で得た学びをさらに言い聞かせようと思いながら書いています。
マントラやcentering thought、いいなと思える言葉が多くて、わたしもとても好きです♪