2016年 07月 03日
恐れるな未知は楽しい冒険だ、ディーパク・チョープラ瞑想講座イタリア語版2日目
その方が、自分がよさそうだな、いいなと感じた場所に、それが町であれ宿であれ、滞在できるからいいではないかと言うのです。そのために、結局宿が遅くまで決まらずに、予定より1日早く、深夜にペルージャに戻ったり、よさそうだと思って泊まってみたら、とんでもない宿だったりしたこともあります。けれども、確かに、本やインターネットの情報では思いもかけなかったようなすてきな場所の、すばらしい宿に、お得な料金で泊まれて、それはいい思い出になったということもあります。
ディーパクの瞑想講座を聞いていると、時々、「夫やフランコが正しいんだよ」と言われているように感じることがあります。人事を尽くして天命を待つと言いますが、ディーパクも瞑想講座で、似たような話をすることがよくあります。結果にとらわれすぎてはいけないのであって、自分にできるだけのことをしたら、後は成果に縛られず、とらわれず、距離を置き、天に任せてみることが大切なのだ、と。
「わたしはこれがほしい。わたしとはこういう人間だ。
わたしは、こういうときには、こうすればいいと知っている。
わたしは、世の中では、こうこうこういうものだと知っている。」
というふうに、もし自分が望むことや自分の世の中の知識などについて、すべて知っているつもりになっていたら、それで自己完結してしまって、せっかく人生や日々を楽しく、驚くべき方向に変えていくいいインスピレーションがすぐ自分の戸口まで来ていても、インスピレーションに対して扉を閉ざし、はじいてしまうことになるのだ、と考えられるからだと話は続きます。
相変わらず咳で夜眠れなず、寝不足であるために、上滑りに聞いたり、自分なりに解釈したりしすぎてしまっているところがあるかもしれません。1・2日目のいずれも、聴くのが夜遅くなって、瞑想時間は眠いためもあって取れず、ディーパクやプージャ・クリスティーナの教えだけ聴きました。
閑話休題。最近のディーパクの英語の瞑想講座などで、「本当は自分はどういう人間で、何がしたいのか、そのためにはどうするのが一番いいのだろう」ということが、実はわたし自身がしっかり把握できていないことに気づいたわたしは、この2日目の瞑想講座の教えに、何だか励まされました。「わたしは宇宙からのインスピレーションが受けられるように、自らを開いて態勢を整えます」と、繰り返し念じるようにディーパクは言いますが、逆に言うとそれは、心が揺らいだり、確信が持てないということは、必ずしもマイナスではなく、外からの、天からのインスピレーションや運命の呼びかけに対して、謙虚で柔軟な姿勢が取りやすいということでもあるはずだからです。
幸せになるための第一歩はsentirsi ispiratiだと、ディーパクとプージャが言います。イタリア語でispiratoと言うのは、単にインスピレーションを得るというより、わたしが思い描くのは、だれかが何かをきっかけに、はずむようなわくわくする気持ちで、何かをしてみたいなと思っている、そういう状況です。何かと言うのは、この人みたいになりたいと思わず感じさせるような師や先輩、人との出会いかもしれないし、ひらめきや天の啓示かもしれません。motivatoに比べて、単に何かをしようという動機づけになるだけではなく、その人の心や魂自体が、目標達成に向かって動き始めている、そういうイメージがあります。inspirare「息を吸う」も、ispirarsi「インスピレーションを得る、着想を得る、感興がわく」のも、どちらも、spirito「精神、霊」を、自分の中に(in)取り込むことなのだという説明も興味深かったです。
これはこうなんだ、自分の考えはこうだと、自分が自分の考え・感情・偏見などでいっぱいになっていては、外部に、それが人の話であれ教えであれ、美しい風景であれ、何か自分をいい方向に導いてくれるものがあっても、それが入る余地、それを取り込む余地がない。これは、今回のフランス旅行中に、どこかで読んだり聞いたりしたことのように思うのですが、今晩聞いた瞑想講座の教えにはそれに通じるものがあって、予定でも自分の意見や考えでも、ゆるやかに柔軟性を持たせておいて初めて、未知の新しいことがらに出会えたり、学べたりするのだとも解釈できると思います。
まだ軸が定まっていない自分の仕事やこれからに関して、「焦らなくてもいいよ」とにっこりほほえんでもらい、そうして、何でもかんでも予定をすべて立ててしまうのではなく、新たな未知の思いがけないできごとが入る余地を残しておくのも、楽しい冒険だよと、さとされたような、そんな気がしました。
でも、その言葉は、受験にだけ当てはまらないんだ!ということに気がつきました!あらゆる場面で、使っていいんだ!と。。
日本人は、やはり、決められた行程で宿など確保した上で楽しむという習性があるように思います。
でも、なおこさんの旦那様が仰るようにその時の気分で決めるということも旅の楽しさのようにも感じられますね。
私は、新婚旅行の時、当時のベルリンで宿を決めずに出掛けたという経験がありますから(笑)
今のように簡単にネット予約出来る時代でなかったという事情もありでしたが、なかなかスリリングな旅でした(^^♪
いろいいろなことが勉強になりありがとうございます♪
新婚旅行の先の外国で宿を決めずに出かけられたなんて! その頃の思い出も、それだけに心に残るものがきっとおありでしょうね。わたしは今もそういう意味ではスリリングな旅を時々経験しています。こちらこそ、うれしいコメントをありがとうございます♪
イタリア人の性格、やっぱりなんでも大丈夫でしょうね。
ドイツ人なら、正反対ですよね。
ドイツ人と日本人、いいカップルになりますね。^^;