2016年 12月 23日
ようやくプレゼーペ、夫の手直し
イタリアではクリスマスには、ツリーやイルミネーションと共に、イエス・キリスト生誕場面を再現したこのプレゼーペを、家庭や教会、町などに飾って祝う慣習があります。
ラヴェルナを訪ねたとき、森の散歩中に夫が地面に落ちたモミの緑の小さな枝をいくつか拾っていたので、今回はそのモミの枝を使ってみました。
実は冒頭の写真は夫の手直しが入った後で、わたしはこんなふうに像を並べていました。
違いがお分かりになるでしょうか。わたしはおそらく無意識のうちに、聖母と聖ヨセフが、イエスの方を見やりながらも、見る人によく顔や姿が見えるように、像がやや正面を向くように置いていました。そうして、羊飼いと羊も、たぶん変化を持たせよう、場面に広がりを持たせようと気づかぬうちに考えていたからか、あるいはこの写真で羊と羊飼いが見る先にある廊下からも、正面が見えるようにするためか、この二つの像の顔が場面の外を向くように配置していました。
そうしたら、ミジャーナから帰って来た夫が、これでは皆が幼子イエスを見ていないじゃないと言って、冒頭の写真にあるように、皆が幼子イエスの方を向くように、置き直したのです。その様子を見ながら、クリスマスとは、イエス・キリストの生誕を祝うものなのだな、そのためには皆が顔も心も生まれたばかりの幼子に注目し、見守る必要があるのだろうなと、感じました。
屋内のその外の飾りつけも無事終わり、ずっと気になっていた原稿も仕上げて提出し、サイトの表紙もようやくクリスマスに模様替えして(2020年注:Yahoo ジオシティーズのサービス終了でサイトはもうありません)、少しずつするべきことを片づけていっています。罰金の談判には、明日は土曜日だから夫が同伴しようと言ってくれるので、明日の朝行くことにしました。主張だけしてみて、どうしても無理なようであれば、仕方ないとあきらめるつもりでいます。
関連記事へのリンク
- イタリアのクリスマス、プレゼーぺと羊たち (10/12/2015)
プレゼ―ペが並ぶとイタリアのクリスマスと言う感じがする今日です(^_-)-☆
すっかり私の中では、なおこさんのプレゼ―ペも私にとってのクリスマスな感じがしています!
クリスチャンではありませんが、仏教徒は、何でも許されるという寛容な宗教?な気がするので、行事としてのクリスマスはすっかり定着しているような?
我が家ではケーキを食べることですが・・・(笑)
なおこさんの旦那様は、さすがのクリスチャンですね☆
なおこさんのお怪我は、いかがですか?
どうか、楽しい皆様でのクリスマスをお過ごしくださいませね(^^♪
年末ってどうしてこうも慌ただしいのでしょうね?
私もなぜか年内に片付けたいとか、済ませたいとかあって
、時間は続くのだから、年明けてもいいじゃないか!って思えばいいのに。。。子供が大人になったので、クリスマスにどうのということはなくなりましたが、まあ、クリスマスも一つの区切りで終わればお正月準備になるわけです。
はあ、気が重い。。。と主婦なら誰でも思うはず。。。
火傷も痛みが引いてきて良かったです。
交通違反の件は理不尽ですね、罰金高いし。どうにかうまく運ぶように祈っています。
ありがとうございます。アリスさんもどうかすてきなクリスマスをお過ごしくださいね♪
4年前、初めて近くの教会へイブのミサに行きました。
その時の司祭さんのお話がとても心に残ったので、ミサの式次第(と言うのでしょうか)にとまどいながらも参加していました。
今年話された司祭さんは、まだ若そうな外国人だったからか、とても宗教本位のお話で、まあ、当然といえば当然ですが、前の少し年配の日本人司祭は、イブにだけやって来る人も念頭に置いて話されていたんだな、と今さら気がついたのでした。
どんな事でも、”ひと”によって感情を動かされるかどうか違うものだと、つくづく思いました。
それにしても、転勤して赴任先の言葉を覚えてお話をする司祭さんたち、すごいですね。
本当に教会の司祭さんの話もいろいろで、わたしたちもできるだけ心を動かす説教をする司祭がいる教会に出かけていたのですが、この数年そういう方がよそに行ってしまったり亡くなったりして、これはという話を聞けなくなってしまいました。今日の説教は主題がこうだからと話すのではなく、熱意と共に、聴衆の側に立ち、寄り添って話の運び方や切り口を考える必要もあると思うのですが、いい説教をする神父さんに出会える機会が残念ながら少なくなっている気がします。転勤先、特に日本で言葉を覚えて話されるとは、本当にすばらしいですね。