2016年 12月 26日
羽ばたき空へ、夕焼けと命の終わり
義母の高齢のいとこが亡くなり、今日の午後はその葬儀に、義父母や夫と共に参列しました。ペルージャでは空が晴れていたのに、トラジメーノ湖に近づくと一気に周囲が白い霧に覆われ、行きも帰りも、そして葬儀の行われた会場も深い霧の中でした。昨日がクリスマスだったと言うのに、1週間前から容態が悪化して、昨日亡くなったそうで、近くで支えた家族の皆は心痛の上に、大変だったことと思います。
ようやく先に天に召された奥さんとめぐり会えたのだ、クリスマスで教会に飾られた幼子イエスの像が両手を広げているのは、逝く人を温かく迎え入れるためなのだというミサの神父の言葉が、印象に残りました。最近夫が、「子供がないぼくたち、年老いて病気になったらと考えたことある?」と言うことが時々あります。今日は、カトリック教徒でないわたしが、ここイタリアで亡くなると、葬儀はどうなるのだろうかと、そんなことをふと思いました。夫に最近、死んだらどうなると思うと聞かれて、光に満ちた魂に戻って、またいずれ生まれ変わるのではないかという気がしていると言ったら、カトリック教の信者で、けれどもヨガやヒンドゥー教、仏教にも魅かれる夫が、ぼくもそう思うと答えたのでびっくりしました。
『赤毛のアン』シリーズの中に、「宗教が違うと、結婚してもあの世でいっしょにいることができない」と言う女性が出てきて、その言葉がずっと心に残っていました。イタリアのお墓はカトリック教の人が多くとも、市営墓地なので、宗教は違っても夫婦の棺は隣り合うように置いてもらえるはずです。夫とは結婚前からしばしば日曜のミサに行っていて、家族ぐるみでとても宗教心に篤いことをよく知っていたので、結婚した9年前には、いずれはカトリック教徒になろうと決めていました。ただ、カトリック教徒になるには、近くはない中心街の教会の会合に夜通わなければならず、仕事の都合もあって通うのが当時難しかったこともあり、結婚後すぐは物理的な理由でカトリック教徒になるための一歩を踏み出すことができなかったのが、この数年は、聖フランチェスコなどの生き方や教えには魅かれつつも、組織としてのカトリック教会や儀式などの閉鎖性や独善性が気になって、心がカトリック教会やその教えを一歩離れたところから冷静に様子をうかがっている、そんな感じです。宗教の名や儀式の方法、祈りの言葉が違っても、結局祈る対象や宗教と言うものは、本当は一つなのではないだろうかと思うので、ダライ・ラマやディーパク、寂聴さんの言葉に同感する一方、我が宗教のみが唯一の救いの道で正しいという風を感じるカトリック教に、どうも飛び込めずにいるのです。
今日は例の信号のある交差点に行って、信号が変わる様子をしばらく録画し、信号が変わるまでの分数などを調べてみようと思ったのですが、まだ調べられていません。安く罰金を済ませようと思えば締め切りは明日で、夫や義父には、証拠が見つからないとどうにもできないし、面倒で時間を費やすだけだから明日中に罰金を払ってしまった方がいいと言われているのですが、その前にとりあえず、問題の交差点の角にある本屋さんで何か覚えている人がいないかだけ確認してみたいと思います。どうせ明日は朝学校に契約書のサインをしに行かなければいけないわけですし。というわけで、四十代も最後の1年に入ったというのに、惑ってばかりいる今日この頃なのでありました。そう言えば、録画中に、ジョギングする人や停車中の車にティッシュなどを売る人が、問題の場所近くにいたのですが、あの二人にあの日もここにいなかったかどうか、どんな状況だったか覚えていないかを聞いたらよかったのかもしれません。
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Bellissimo anche oggi il rosso di sera.
Vedete un uccello rosa che vola nel cielo
ornato dal sole già tramontato?
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お宅ででも身近な方とのお別れがあったんですね。いつか来ることは分かっていても、特にクリスマスや年末年始には感慨深いものがあるとわたしも感じました。数か月前ですが、自分よりも若い妹が闘病の末に先に逝って、近所に住む義母の従姉もとてもつらそうです。
仏教徒でいらっしゃるんですね。うちは実家が母方が神道、父方が仏教、イタリアの夫がカトリック教で、そのためもあってかそれぞれの宗教の違いよりは共通性・普遍性の方を思い、どれか一つに絞らなければいけないであろう状況にとまどいがあります。いえいえ、お心のこもったお言葉、ありがとうございます♪