2017年 01月 10日
英語も教えることになりました、ノートは英語で?
わたしが日本の高校で国語を教えていた1990年から2002年にかけても、小さな町の高校で、似たような問題を英語を教える同僚が抱えていて困っていました。近隣の中学校の中には、新しい学習指導要領に従って、文法はあまり教えず、楽しみながら会話を中心に英語を学ぶように授業方針が変わった学校が少なくなかったのです。けれども、高校では、教え子たちが望む進路に進めるだけの英語力をつけるために、センター試験や大学の二次試験で満足な点数が取れるための文法や語彙、読解力や作文力を鍛える必要がありました。そのため、英語の基礎と学習の仕方が分からないまま高校に入った生徒たちに、中学でみっちり英語の文法を学習した上に高校で学び、卒業したかつての生徒たちと同じレベルの英語力をつけさせようと、英語の先生が大変な苦労をしていたのです。中学校によっては、きちんと従来どおり文法や読解力がきちんとつくように育て上げていたのですが、高校側は、補習授業や課題を通して、英語の基礎力を皆がつけられるように、配慮していました。
それで、そういう対策を中学校自体が取れないかと夫の同僚に尋ねてみたのですが、学校からは、「3月になれば、学校でも対応するけれども、それまでは各家庭で英語の力がつき、授業についていけるように指導してほしい。」と言われたとのことでした。お母さんである彼女が教えてみても、相手が親だとどうしても甘えが出て、他の場面での関係にもひびくので、第三者に授業を頼もうということになったそうです。
わたしは英語は日本で実用英検1級に合格し、バベルの翻訳家養成講座英語本科も修了しています。高校で国語を教える傍ら、カナダ旅行をきっかけに英語を再勉強しようという気持ちになり、目標を設定するために、ヒアリングマラソンを受講し、英検準1級・1級を目指して勉強し、さらに英検1級合格後は、より細やかな読解力を培いたいという目的で、翻訳講座も受けました。おかげで日本の高校では英語部や英語クラブを担当させてもらえた年もあり、地域の英語劇に参加したり、学校や地域で通訳を引き受けたりもしていました。イタリア語の勉強を始め、イタリアに留学し、その後イタリアで働きながら暮らすようになってからは、英検1級合格時に比べると、特に聴解力や討論する力は錆びついてしまいましたが、それでも、日本人で英語ができる人がウンブリアではなかなか見つからないおかげで、看板は特に掲げていないものの、日本語・英語間の通訳や翻訳を依頼されることは、これまでにも時々ありました。
ただ、日本で教員免許を持っている国語や書道、イタリアの大学・大学院で学び専門家の資格を取った外国人へのイタリア語教育と違って、英語は姪たちの宿題の面倒を見はしても、仕事として教えようと考えたことはありませんでした。また、同僚が住むのは遠方で、車で片道30分かかります。それで12月に夫から、「同僚が君に娘の英語の家庭教師を頼めないかと言っている。」と聞いたときは、断るのも失礼かなと思って、「英語を教える資格は特に持たないけれども、子供を教えるにはまた違った準備が必要だし、遠方でもあるので、もしわたしが教えるなら、日本語やイタリア語の授業と同じように、授業料は、60分25ユーロに設定する。もし、それでもいいと言うなら、教えに行く。」と、他の仕事へのしわ寄せも念頭に置きながら、提案しました。教員免許を持つイタリア人の友人が、フランス語や英語の家庭教師を1時間13ユーロで引き受けていたのを知っているので、こう言っておけば、他の人に頼んでくれるのではないかしらという期待もありました。
結果的には、今週になってから、それでもぜひわたしにという返事があり、今日初めての授業に行ってきました。中学1年生の新しい生徒は、文法をきちんと勉強しないまま、感覚的に何となく覚えたことを英語で言えるようになったために、英語で言うこと・書くことが文法的に正しいかどうかに当たりはずれがあり、移民がイタリアで仕事をしながら生活をする中で、学校には行かずに、人とのやりとりを通して身につけた、そういうイタリア語に似ているところがあるなと思いました。難しいのは、本人はすべて何となく分かったつもりになっていて、文法事項のどういう点が習得できていないかを、自分では把握できないために、教科書の中から、難しいと思う課を聞いて、質問を投げかけ、答えを聞きながら、下から少しずつ積み重ねていく学習の積み木たちの中で、何が欠けているか、何が学習不足で、何を間違っていい加減に覚えてしまっているかを、こちらが探し当てて、その弱点を補強していかなければいけないことです。
口頭で尋ねて、実際にノートに書かせてみて、どうやらthere isとthere areを混同していること、つまり主語の単複によってどう動詞が変わるかが分かっていなかったこと、そうして、冠詞のaや複数形の語尾の-sが抜けがちなので、母語のイタリア語にも冠詞や複数形があるものの、イタリア語とはしくみが違うために、英語独特の不定冠詞・名詞の単複による変化が分かっていなかったことなどが、次々に分かり、分かった端から、そういう弱点を補強するたびに、机の上や授業をした居間に実際にあるものを使って、「何があるか」を英語で言わせて書かせてみました。最初はところどころ間違いがあったのですが、授業の終わりには幸い、間違いなく言えるように、書けるようになり、生徒もわたしも「よくできた」と達成感があって、うれしかったです。
ただ、授業中にそれは驚いた衝撃的なできごとがありました。someやanyを使う練習をしようと、机の上にノートが数冊あったので、「Ci sono alcuni quaderni.」(ノートが数冊あります)と、英語でまずは声に出して言ってから、書いてみるように言うと、「ノート」を英語で何というか分からないとのことです。それで、自分で苦労した方が覚えやすいからと、机上の彼女のイラスト入り伊英辞典で調べるように指示しました。
皆さん、「ノート」は英語で何と言うとお考えですか。わたしは当然notebookだろうと思っていました。そのため、伊英辞典のquadernoの項に、exercise-bookとはあっても、notebookとはどこにも書いていないのに驚きました。けれども、彼女は「そうそう、学校でこう習った。notebookという言葉は知らない。」と言います。exercise-bookは「練習(exercise)」のことであって、ノートとは別物ではないかと思ったのですが、うちに帰って、家にある『Cambridge learner's dictionary』で調べてみると、exerciseの項にもbookの項にも、exercise-bookという言葉は見当たらす、notebookを調べると、「a book of empty pages that you can write in」という定義が一つ目にあります。それで、「ほら、やっぱりノートはnotebookじゃない」と思ったら、ところが、図解で英単語を紹介するページでは、引用した上の図のように、ノートをexercise bookと呼んでいるのです。
それで、イタリア語の「ノート」、quadernoに対応する英語を伊英辞典で調べようと、紙の辞典を探すも見当たらないので、オンライン辞典で調べると、
「書くため」(per scrivere)に使うのがexercise bookで、「メモを取るため」(per appunti)に用いるのがnotebookだとあるではありませんか。
今夜はもう遅く、明日は早朝から午前中いっぱい用事があるのですが、昼帰宅したら、オックスフォードの伊英辞典を発掘して、ノートの真実の探求を続けるつもりでいます。
quadernoを伊和中辞典でひくと英notebookと書いてありますね。。私はこのquaderno=ノートとなかなか覚えられませんでした。
携帯にイタリア語の辞書を入れてまして、活用も発音もでてくるので便利です、ついつい紙の辞書をひかないのですが、
今日はquadernoから周りの単語を読んでみました。
紙の辞書はそこがいいところですよね。
そうそう、テレビCMでイタリア語が流れ、あら?何かしら?と思ったら青の洞窟という名前のパスタソースの宣伝でした。。
まったくわからないイタリア語のノート会社のサイトをみてからアマゾンで注文しました。その会社のカタログではexercise bookは主に罫線や方眼が印刷されているようなもの(小中学生向きのノート)を指している印象でした。
なるほど、おもしろいですね。イタリアの会社ではイタリア式解釈の英語になるような気がしているので、アメリカや英国の人がどう呼んでいるか知りたいのですが、オクスフォードの伊英辞典が出てこないという。