2017年 03月 11日
イタリアの地震、日本の地震

Castelsantangelo sul Nera (MC) 21/4/2014
昨年8月末の地震から、ようやく復興に向けて息を吹き返した地域を、10月末にさらに大きな地震が襲い、被災地では今も広範囲にわたって、マグニチュード3以上の余震が続いています。当初から地震や原因となる活断層が広範囲にわたっているため、再び大きな地震が起こる可能性が起こる時期が、最初の地震から半年あるいは1年さえ続くかもしれないとされており、被災地ではようやく復興や再建に向けて動き出しつつあるものの、弱震とは言え、揺れが続く限りは、まだ用心が必要だと思います。
知り合いの建築士が、1997年のウンブリア・マルケ地震に際して、教会などの耐震性のある再建を、従来の形や景観を損なわず、かつ安全や耐久性を保証できるような形で提案したところ、変更はそれほどではなかったのに、すべて却下されてしまったと言っていました。従来の姿や伝統を守ることも大切ですが、命や建物を守ることも大切であり、市町村の役場のそうした決断のために、今回の地震で被害を拡大させていないだろうかという疑問があります。

大切なのは地震の際でも、国の政策でも、何が最も大切かということだと思います。東日本大震災では、原発さえなければ、ここまで被害が拡大し、大地がむしばまれ、人々が大切な自らの命を脅かされることはなかったでしょう。冒頭のイタリアのニュース報道の言葉ではありませんが、そもそも日本も、昔からしばしば大きな地震が起こっている場所があちこちにあるのです。イタリアのニュース報道では、しばしば日本の耐震性のある安全な家づくり、町づくりをたたえています。ただ、地震が起こっても、それに対応し、人間も動物も、そうして大地も健やかに生きていけるためには、地震が多い国で原発を次々に再稼働させたりせず、原発などなくても、暮らしが成り立つような代替エネルギーづくり、あるいは、エネルギーを無駄に消費しない世の中づくりに取り組んでいくことが大切だと思います。
先日、イタリアで多方面で活躍する作家のアレッサンドロ・バリッコが、テレビで質問に答えて、「本当におそろしいのは、国が建てる物理的な壁よりも、人々が心の中に築き上げる壁だ」と言っていました。「あの人は…だから」と、宗教や出身国、肌の色や財産、性的指向などによって、人を偏見の目で見て差別するような社会に、ちょうど第二次世界大戦の頃に、欧米ではナチスがユダヤ人迫害を行い、日本では敵国を鬼畜扱いしていた、あの頃に逆戻りしているようで、偏った政治家の発言はもとより、一般の人の声を聞き、書かれた言葉を読んでも、不安を覚えることが増えてきました。人は生まれる国を選ぶことはできません。ミサイルが降り注ぎ、飢えや戦争に苦しむ国に生まれ育ち、あるいは、自国に残れば投獄され、拷問に遭って命を落とすという状況で、自国を離れるという厳しい決断をやむなく迫られた移民も多いはずです。不法移民と一口に言いますが、もともとそうして押し寄せる移民の多くに、亡命者として欧州に暮らす権利があり、ただ、その認定の手続きが遅く、また中には単に、イタリアに来れば楽に生きていると思い、犯罪に生きる移民もいて、そういう移民とひとくくりにされてしまいがちで、扇動的な政治家が、あえて移民問題を声高に訴えて、政治的に利用しているのです。

3月11日を振り返るとき、日本でもイタリアでも、そして世界中で、皆がより幸せに安心して暮らしていけるために、原発や心の壁を取り払うことこそ、世の動きが逆行する中、大切なのではないかと思う今日この頃です。
写真は、昨年以来の一連のイタリア中部地震の震源地が点在するシビッリーニ山脈で、3年前の春に撮影したものです。


お写真の自然の中での美しい花が、
いつまでも咲き続けることを祈っています。
わたしも美しい自然と地球がいつまでも守られることを祈っています。