イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

語学力も夢の実現も1日にしてならず、日本語授業のある日の板書から

 2018年に入って、早くも4日が過ぎようとしています。勤めている学校での日本語の授業が再開するのは、来週月曜日ですが、個人授業の今年最初の授業は、明日あります。

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 こちらは、ある日の授業の板書で、この日は、ことわざ(proverbio)の「ローマは1日にして成らず」にも、言及しました。

 かつて高校で教えていた頃、確か初任校の離任式で、ある先輩の先生が言われた言葉が、今も心に残っています。「努力は人を裏切らない。努力の対象だった目標自体は実現しなくても、何らかの形で、きっと自分を育ててくれる。」

 そうして、この言葉は、『星の王子さま』の中でキツネが言う言葉とも重なります。
 「君が君のバラを大切に思うのは、バラのために時間を費やしたからなんだよ。」

 語学力でも、人間関係でも、いえ、ありとあらゆることは、本当にきちんとしたものを築きあげるためには、心も体も時間も、しっかり捧げて、向かい合っていく必要があるのだと、確信しています。「Easy come, easy go.」は、「悪銭身につかず」と日本語では訳されますし、、金銭について、簡単に手に入るものはすぐ出て行ってしまうことを言いますが、金銭に限らず、「楽に手に入れたもの、時間や努力もせずに手に入れたもの」は、何であれ、やはり失われるのも早いのです。

 外国語学習・教育研究で、週に同じ時間だけ勉強するとしたら、1日だけ集中して勉強するのと、数日に振り分けて学習するのと、どちらが学習の定着率が高いかを調べると、想像がおつきのように、分散させて、より多くの日に学習をした方が、集中的に学習するよりも効果が高いという結果が出ました。

 わたしは、記憶でも、語学力でも、お金でも、人間関係でも、健康でも、およそありとあらゆることは、じっくりと時間をかけていってこそ着実に得られるものであり、「この講座を受講すれば、この方法や飲料を試してみれば」といううたい文句は眉つばものだと思っています。たとえば宝くじでも、突然多額のお金を得た人は、結局はそのために不幸になってしまう人の方が多いという統計結果を、どこかで見かけたようにも思うのですが、苦労もせず時間もかけずに得られたつもりのものは、結局はうわべだけのもので、身につかないように思うのです。ですから、「すぐにやせられる」、「楽に多額の収入が得られる」、「簡単に英語ができるようになる」などという広告を見るたびに、「できれば楽をして結果を手に入れたい」という人の奥底の願望につけ込む人がいることを、心苦しく思うとともに、そういう広告を見かける機会がどんどん増えていくことに、危機感を覚えています。

 ただ、しち難しい文法や語彙だけを、入門期から苦労して覚えていって、その長く苦しい学習が続かないと、日本語やイタリア語などが身につかないというわけでは決してなく、少しずつ買い物をしたりあいさつをしたりという表現を覚えながら、共に文法も学んでいけばいいわけであって、たとえば、イタリア語なら、最初から「名詞の性や冠詞」が登場し、日本語であれば、「日本語の力」は、たくさんの言葉と文型の暗記の蓄積だと考えるような教科書や先生ではなく、簡単なことから実践して使えることを学ぶ一方、その肉づけとして文法や語彙を少しずつ学ぶ、教えることが大切だと考えています。つまり、努力をせずに、しっかりとした語学力を身につけることはできないけれども、人間の脳のしくみや母語の習得、かつての外国語学習の際の個人の勉強の癖などをうまく活用すれば、いわゆる受験対策の語学教育・学習よりも、ずっと効率的に、楽しみながら語学力を身につけることができることを、確信しています。

 楽しみや好奇心が、時として、「しなければならない・役に立つ」という義務感よりも、学習動機を高め、主体的に学習できるようになるために、勉強の効率も上がるからです。大規模校だった初任校で、お世話になった先生方からは、現代文でも古典でも、生徒が文を読み解く楽しみ、作品への好奇心を大切にして、授業をすることを教えてくださいました。後に教えた二つの小さな高校では、特に3年生になると、大学入試や模擬試験対策に重点を置いて、現代文や古典の授業で、その対策ばかりする先生方も多かったのですが、わたしは、時に模試対策や入試対策も織り込みながらも、教科書を中心に、生徒自身の初読の感想などを大切にしながら、授業をしていきました。けれども、結果としては、2年時の成績から均等に分けられた3年生のクラスで、わたしが生徒が国語を楽しみながら力をつけることを重視して教えたクラスの方が、他の先生方が、大学入試や模試の対策を中心に指導をしたクラスよりも、国語の平均点が高かったのです。

 閑話休題。肩のリハビリも、フランス語学習も、うちの片づけも、やはり継続が必要なのに、怠けがちであるわたしは、「1日にして成ら」ないことを肝に銘じて、まずは今年の残りの361日を、1日いちにち、大切に生きていけたらと考えています。そう言えば、ミサの説教で、「ogni giornoではなくて「tutti i giorniという心意気で、事に当たらなければいけない。」と言っていた修道士がいました。日本語ではどちらも「毎日」と訳しますが、前者は「どの日も」と何となく漠然と抽象的にとらえやすいけれども、後者は、「来る日も、またその次の日も、すべての日に」ということで、来るべきすべての日を具体的に示しているようで、現実感があるからだと、このあと修道士は、説明を続けていました。「来る日も来る日も、前の日はどうだったか、それを振り返ること」が必要で、そのためにと、今年は、1日3行でもいいから日記を手で書こうと、日記を購入しました。

 ちなみに、11月半ばから授業が始まったばかりの入門の日本語で、文の構造としてはひどく難しい、このことわざを紹介したのは、ちょうど「〜月…日」を学ぶ時期だったからです。この日は12月1日だったので、1日は「ついたち」と読みますと説明し、2日以降の言い方は、「ふつか、みっか」と「か」で終わり、「ひとつ、ふたつ、みっつ…」、「ひとり、ふたり」と似ているのに対して、「ついたち」だけ呼び方が違うのは、昔の日本の暦は月が基準で、「1日」は、月が新たに現れる(つきたち)ことから、「ついたち」と言うようになったのだと、説明しました。

 ただ、そのときに、期間として「1日の間」という意味で使うときには、「いちにち」と読むのだと話をしたため、イタリアでの日本語の授業であることもあって、「ローマは1日にしてならず」にも言及したのです。

 ちなみに、このことわざは、イタリア語、英語では、それぞれ次のように言います。

  Roma non fu fatta in un giorno. / Rome was not built in a day.

 目標に向かって、在りたい姿を念頭に置きながら、日々こつこつと継続を重ねていきましょう。

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ローマは1日にしてならず "Roma non fu fatta in un giorno"

[rooma wa ichinichi* nishite narazu.] *pronuncia di CHI = ci
La parola 1日 si legge ICHINICHI quando si tratta della durata di una giornata, mentre si legge TSUITACHI se parla del primo giorno del mese. Fino al 1872 il Giappone adottò il calendario lunare, quindi il primo giorno del mese era quello in cui la luna (TSUKI) ricominciava a comparire (TATSU, TACHI) nel cielo. TSUITACHI deriva dal TSUKI-TACHI che voleva dire 'ricomparsa della luna (nel cielo)'. Così in alcune parole giapponesi si celano le usanze antiche.
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented at 2018-01-05 23:01
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2018-01-06 00:44
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by milletti_naoko at 2018-01-06 06:37
鍵コメントの方へ

コメントをありがとうございます。好きだと思って取り組むのと、単に何かのために取り組むのでは、姿勢も取り組む時の心も、その深まりも違ってくると、わたしも思います。昔愛媛県立高校入試の作文で、なぜ読書をすることが大切なのかという題に受験する中学生たちが答えた作文の中に、「国語の力がつくから、漢字や言葉が分かるから」という作文の方が、読書自身の楽しみや人間的成長を語るものよりも圧倒的に多いのに、悲しくなったのを覚えています。「役に立つから本を読みなさい。国語ができるようになるから。」では、本を手に取る機会を逆に奪い、読んでも、そのおもしろさになかなか気づけない子供を育ててしまいそうな気がします。

本当はいい感性や考える力、探求しようとする心を、生徒たちは持ち合わせているので、それを伸ばしてやれるような教育ができたらいいのですが。こちらの生徒たちでも、選択肢のみの日本語能力試験対策ばかりをしようとすると、かつて清水義範がマーク試験の国語の問題を揶揄して書いた『国語入試問題必勝法』のような妙な点取り対策が身につきがちで、本当の語学力がつかないと心配しています。

ある高校で、「理系のクラスでは、受験対策のために、理系科目や英語の授業時間を増やし、3年生の現代文の授業は週3時間から2時間に減らそう」という話があったとき、理系でもきちんと読み取る力、論理的に考える力と、感受性や感性を育むことが大切であること、オウムの事件を考えても、理系でも母国語を学ぶことを通して、こうした力をつけないといけないと発言したのを覚えています。それだけ言ったのでは、話が聞いてもらえないかと思って、「理系の大学の入試にも小論文や長い文章で答える問題があって、ただでさえ国語力が不足しているのに、授業が週2時間に減っては、二次試験が近づいてから大慌てして大変なことになります。」とか、「英語の力も母語の日本語の力が十分になくては、伸びが止まってしまいます。」と言い加えもしたのでありますが。保護者が学校側に望むこと、生徒たち自身が望むことも、進みたい進学先に進めることではあり、こういう短絡的な発想に陥るのは、その要望に応えようとするからとは知っているものの、もっと大きな視点から、判断をする必要があると感じています。
Commented at 2018-01-06 13:51
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by milletti_naoko at 2018-01-07 05:29
1月5日の鍵コメントの方へ、こちらこそひどく長くなってしまった文章を読んでくださって、ありがとうございます。息子さんが北海道大学の大学院生をされているんですね! 経験を重ねて、最後にご自分が好きなことを見つけて、挑戦されている息子さんも、その息子さんの背中を押して、応援されているご家族も、すばらしいですね。

ブログのお友達の先輩方に見習って、もっと料理やデザート作りの幅をいろいろ増やさなければと思う今日この頃です。
Commented by milletti_naoko at 2018-01-07 05:33
1月6日13:51の鍵コメントの方へ

こちらこそ申しわけありません。鍵コメントが相次いでいたこともあり、混同して気づかずに、ご迷惑をおかけしました。さっそく変更いたしました。
Commented by papricagigi at 2018-01-08 14:46
Naokoさん、こんばんわ。
この投稿、何度も読みなおしてしまいました。Naokoさんの仰る通り、ありとあらゆることはじっくりと時間をかけて積み上げていってこそ、着実に得られるもの。本当にそのとおりだと思います。皮肉にも、今はありとあらゆることをなるべく早くしてしまうこと、それが効率の良さや現代を生き抜くスキルのように捉えられがちです。私も今年は伊語をきちんと復習したいと思っていた時だっただけに、Naokoさんの言葉を読みながら頷いてしまいました。少しでも毎日続けること、ですね♪ 具体的にどいういう形で続けていこうか…と、今まだ思案しているところなのですが。

Naokoさんのような素晴らしい先生に教わることのできる生徒さんは幸せですね。羨ましいです。ogni giorno と tutti i giorni のニュアンスの違い、とても興味深いです。私も日記のような手帖を持っているのですが、この記事のNaokoさんの言葉を書き留めておきました! 

今年もどうぞよろしくお願いします。
Commented by milletti_naoko at 2018-01-08 21:27
Papricagigiさん、こんにちは。そんなにじっくりと読んでくださったんですね。ありがとうございます。今は洗濯機があり、車があり、印刷機もあって、いろいろなことが、どんどん早く時間をかけずにできるようになっているのですが、時間をじっくりかけることこそ大切で必要なことは、今でもたくさんあると思います。わたしこそ、イタリア語学習メルマガ、諸事情により発行を延期してしまっているのを反省しています。フランス語学習も然り。

こちらこそ、今年もよろしくお願いします。

by milletti_naoko | 2018-01-04 23:12 | Insegnare Giapponese | Comments(8)