イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

愛・幸せは自分の中に、フランス語版ディーパク・チョープラ瞑想講座2日目

 「自分がうれしくて幸せだと思ったときのことを思い出し、そのときの環境や状況・気持ちを鮮明に思い出してみましょう。ほら、幸せや愛は、そんなふうに、すでにわたしたち自身の中にあるのです。難しく思えるときにも、その幸せや愛が、表情・動作に現れるように、意識しましょう。」

 ディーパクの瞑想講座を聞いたのは、今日は夕食後で、ちょうど夕食準備の途中から、夫とけんかを始めて、食事中も続いた、そのあとでした。

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Crochi sui sentieri verso il monte Fionchi, Spoleto (PG) 10/3/2018

 「楽しかったあのとき、うれしいと思ったときの喜びを、それがどういうときか思い出しながら、感じてみれば、ほら、その幸せや愛は、あなたの一部なのです。」

 フランス語版の瞑想講座では、まず英語によるディーパク自身の言葉が流れ、そのあとに、フランス語役が続くので、フランス語の方は理解は今ひとつであるものの、同じ言葉を2度聞くことになります。

 「幸せだと思ったとき」と聞いて、トラジメーノ湖の夕日を夫と見たとき、山を歩いていて、クロッカスなど野の花を見つけたとき、授業中に生徒の反応をしっかりと感じられたときなど、いろいろなときのことを思い起こし、そうやって、あちこちに連れ出してくれる夫のことを思ったら、怒りも冷めてきて、穏やかなうれしい気持ちになれました。

 以前は、ディーパクの瞑想講座を、メモを取りながら聞いていたのですが、昨年だったか、インスタグラムでディーパクが質問に答えて話す映像を見ていたら、「瞑想中は、聞くことに集中するために、メモは取るべきではない」と言っていたので、以後、メモを取るのはやめました。というわけで、今晩は、講座を聞いてから今記事を書くまでの間に、テレビドラマを見たりもしていますので、ここには、こういうことを言っていたのではないかと、わたしなりにとらえたことを書いています。

 だれかの言葉を引用しながら、成功というのは、それを目指して必死に努力するものではなくて、自分が本当に愛すること、したいことを続けていれば、自然にやってくるものだとも、言っていました。

 わたしは、それが本当であればいいのに、いやディーパクが言うのだから、きっとそうなのだろうと思いながら聞きました。逆に言えば、ひょっとすると、成功というのは、社会的に何か人から認められること、そういう成果を上げることではなく、自分がしてみたいこと、自分にこそできることを、夢中になってやってみること、そういうことをこそ、言うのかもしれないと、心のどこかで思いながら。

 わたしは、2008年の年末、まだペルージャ外国人大学で「日本語と日本文学」の授業を担当していた頃に、せっかくイタリアの大学と大学院で、外国語としてのイタリア語の教授法を学んだのだから、それを役立てたいと、イタリア語学習メールマガジンを発行し始めました。残念ながら、後に大学院は卒業したものの、ペルージャ外国人大学で教えることはできなくなったのですが、その頃築くことができた信頼関係などのおかげで、教える仕事や通訳・翻訳の仕事を得ることができ、さまざまな学校や講座、個人授業などで、教えてきました。

 このブログを始めたのは、そもそもは、イタリア語学習メルマガの発行に際しては、残念ながら文字情報だけで、写真などを添えられないために、ブログを通じて、学習効果を上げるために、視覚情報を多く提供し、学習意欲を高めるために、イタリア旅行や料理の写真を紹介しようという思いからでした。書き続けるうちに、実は自分が文章を書くことが好きであることに気づき、また夫のおかげで美しい風景や花に出会えることも多いので、写真を撮るのも楽しくなり、そのうち、旅行情報サイトやハフィントンポストなどから、記事を書くように頼まれる機会も増えてきました。ブロガーとして、フィレンツェやエミリアに招待を受け、興味深い体験もすることができました。

 本当は、もっと多くの人に、継続して教えられる機会を持つことができれば、それが日本語であれイタリア語であれ、うれしいのですが、自分が教えることが本当に好きで、教えているときこそ生きている、自分がするべきことをしていると感じるのだということに、2002年3月末に12年間務めた高校教師の職を辞して、イタリアに留学したわたしは、外国人大学の学士取得課程を卒業するとほぼ同時に、同大学の別の課程で、日本語と日本文学を教え始めて、また、まだ留学生であった頃に、語学学校や大学の先生から頼まれて、日本の古典文化について、準備をして紹介するという機会を与えられて、改めて気づけたような気がします。退職と留学を決意した理由の一つに、「教えることは好きだけれども、学ぶことも同じくらい好きであって、教えることはもう12年間してきたから、今度は存分に学んで、自分の力を試してみたい」という思いがありました。日本を発ち、イタリアに来てから16年経った今、学ぶことは今でも好きですし、教えるためには教材や授業の在り方も、そして、それぞれの生徒からも学ぶことも多いのですが、教えることこそ、自分の天職なのだと感じるようになりました。

 5年間教えたのち、ペルージャ外国人大学では、世の流れを受けて、日本語・日本文学の科目が大幅に減少し(さまざまな課程に合計五つか六つあったように記憶しています)、それまでは存在しなかった中国語やアラビア語の科目が増え、わたしは教えられなくなりましたが、それでも、最後に教えた年の会議では、本来は日本語は担当教官による授業をいっさいなくそうという学部の意向を、反意を唱えて覆し、一科目だけでも残すことができたことに満足しています。大学で教えることがなくなってから、観光ガイドや添乗員の資格を取ることも考えたのですが、ウンブリア州は、トスカーナ州のように、試験が定期的に行われて、試験内容が把握しやすい州でもなければ、一度観光学講座に通ったときに、講師の先生から聞いた話ですが、その先生自身が資格を取った当時のマルケ州のように、資格が比較的取りやすい州でもありません。いつ試験が行われるか、何年に行われるかも分からない上に、試験の場では、それぞれの試験官が自分の専門から尋ねるものの、範囲やレベルにかなり差があり、本など、これを勉強し知っておけばいいという目安がないのだということです。観光学の講座では、旅行の日程を組み、旅行を計画して客に提供するには、旅行業取扱管理者の資格が必要であり、観光ガイドや添乗員になろうとすれば、ウンブリアでは、何をどうしていいのか、いつ試験があるのかいっさい分からないということで、以後、他の講座や学校を教えることになったこともあって、観光についての資格を取ることは見合わせました。

 旅行業者から、観光の通訳同行の仕事の打診や依頼があるたびに、見積もりには、通訳料金と共に、イタリア人の観光ガイドの資格がある人に頼んで、わたしが通訳をするという形を取っての報酬の見積もりも出すのですが、たいていの場合、ガイドは必要ないとお客様が言っていますと、業者から返事があります。

 閑話休題。つまるところは、教えることも、書くことも写真を撮ることも、人の架け橋をしたり、イタリアやウンブリアの魅力やイタリアの日々の暮らしなどを伝えることも、結局わたしは好きであって、どれもできている状態ではあるのだけれど、今後は、これまで専門として学んできた日本語・日本文学やイタリア語・イタリア文学の教授法に、焦点をさらに当てた形で仕事をしていけるようでありたい、そのためには、イタリア語学習メルマガを再発行し、イタリア語と日本語を教える機会を積極的に作り出していかなければなどと、ふだん漠然と、最近考えていたことを、今日の瞑想講座の内容をきっかけに、再び思いました。すっかり発行を先延ばしにしてさぼっているイタリア語学習メルマガを、定期的に発行していた頃には、ペルージャに留学に来られた方から、個人授業を頼まれる機会も、あったからです。

 というわけで、ディーパク・チョープラの英語版・フランス語版の瞑想講座が、いろいろと考えてみるいい機会を与えてくれています。明日の金曜日は講座開始後5日目なのに、まだ英語版は1日分、フランス語版は2日分しか聞けていないので、時間の有効な使い方も、もっと考えなければいけません。今日は昼食はスペルト小麦、夕食はコロッケを中心に、かなり時間をかけて、食事を準備しました。それも大切なのですが、家事や仕事や夢のための時間配分を、全体的に見直さなければいけません。

 ちなみに、今晩、瞑想講座を聞き終えたときは、ちょうど『ドン・マッテーオ11』の放映が始まったばかりの頃で、すでに機嫌を直していた夫と、しばらくクッション合戦をしてから、明言はせずに仲直りをして、いっしょにテレビを見ました。

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Crochi trovati sul sentiero verso il monte Fionchi 10/3/2018

"Ricordate il momento in cui vi sentivate felici, le sensazioni e le situazioni di quel momento e cercate di risentire quella sensazione di gioia. La felicità fa già parte di voi e basta portare quel sentimento di felicità e amore sul nostro viso, nei rapporti con gli altri e tenerlo nel nostro cuore."
Le parole di Deepak Chopra @ Jour2 - 21 Jours de méditation avec Deepak Chopra. Riesco a seguire questo corso in francese, solo perché le parole francesi sono precedute dalle parole di Deepak stesso in inglese. Così faccio anche la riabilitazione del mio francese.
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by hillfigure at 2018-03-23 23:40
こんばんは〜、cocoaです。

「成功というのは....」のフレーズが心に響きますね。
自分の好きなことはわかっているのに
どこかでそういうことにstopがかかってしまったり
踏み出しきれないでいたりする自分がいます。
私も目を閉じて、嘘いつわりのない自分の心の声を聞いてみようと思いま〜す(*´∀`)/
クッション合戦、なんだか楽しそう(●´艸`)ププ
仲直りできてヨカッタヨカッタ♪

Commented by そらのいろ at 2018-03-24 02:19 x
瞑想の講座と そこからストレッチする想いを
とても興味深く読ませて頂き間ました

人に教えることの楽しさダイナミズムを
感得されているって素晴らしいですね
読んでいてわくわくしましたよ

丁度、わが町で開催中の音楽祭でアカデミーを聴講。
チェンバーの各人への先生(40代初め結構有名な
ソリスト)の指導について、夫や若い友人と
感想が全く違うのに驚ろいたところですよ。
違う職業であっても 人が他に教え指導するという
この点は、どんな分野にも通低する事でしょうか

ご主人と仲直り。。。
うふ 自然に立ち直り微笑んでいる
こういうの いいな~  

Commented by milletti_naoko at 2018-03-24 05:52
Cocoaさん、ディーパクが言う「成功」は一般に思い浮かぶ、使い古されている「成功」という世俗的な意味とは違って、自分が自分らしく生きながら、世の中に貢献できる、そういう在り方を確立する、日々を生きていくことではないかと、この数年著書を読んだり、いくつも瞑想講座を受講したりして、感じています。いろいろな世間の常識や親や学校から言われたことで、本当に自分がしたいことが、分かりにくくなっていますよね。

二人とも五十代なのですが、こうして気恥ずかしいのをクッション合戦で紛らわせて、いっしょにはしゃげるのが、ありがたいことです。ありがとうございます♪
Commented by milletti_naoko at 2018-03-24 06:00
そらのいろさん、温かいコメントをありがとうございます。小学校の頃から、もう先生になりたい、本を書く人になりたいと、そう言えば、小学校の頃の作文にも書いていました。かつて高校で国語を教えていた頃、いろいろな生徒が就職志望や大学志望の動機を書く文章を読んで、その職業が看護婦さんであるにせよ、消防士さんであるにせよ、実際に身近に出会った人を通して、将来の仕事への夢とする生徒が意外と多いのに、驚いた記憶があります。幼い頃、若い頃に、ああこういう仕事が自分もできればという先生に出会えたこと、ありがたいです。

音楽祭で鑑賞だけではなく、そういうアカデミーの聴講があるというのが興味深いです。音楽は芸術的活動であり、またそれぞれの個性や独創性、好みもあるでしょうから、教えるのもさらに難しそうな気がします。これもまだ日本に住んでいた頃、ご本人も楽器を演奏される音楽の先生に頼まれて、世界的に有名なハープの奏者の同行通訳をしたことがあるのですが、その前に、「音楽家は気難しいから、大変だけれど気をつけてね。」とかなり注意するように言われたことを、今も覚えています。

イタリアの人というのは、感情に任せて言うだけ言ったら自分はさっぱりしていることが多く、日本人のわたしの方が尾を引くことが多いのですが、今回はディーパクの瞑想講座のおかげもあって、すぐに仲直りができました♪
by milletti_naoko | 2018-03-22 23:51 | Vivere | Comments(4)