2018年 12月 19日
雪の道を 喜びいざなう教会ミサへ
たそがれの雪景色の美しさに歓声を上げながら、進んで行くと、プレゼーペに出てきそうな町の雪景色が、目前に現れました。
右手の雪をかぶった緑の木々が、クリスマスツリーのようです。暗いのが残念ですが、夜明かりにほんのり照らされた雪景色には、いっそう趣があったかもしれません。
マルケ州ムッチャから、2年前に貫通したウンブリア州フォリンニョとマルケ州アドリア海岸の町、チヴィタノーヴァ・マルケを結ぶ無料高速道路に上り、フォリンニョに向かいます。その途中で、赤いジャガイモの産地として有名なコルフィオリートの高原(標高760m)を通り、その後、長いトンネルを抜け、標高234mのフォリンニョへと下って行きます。昔むかし、夫の今は亡き伯父、ドン・アンキーセがテッツィオ山を車で下るときは、道が下り坂になると、アクセルをいっさい踏まずに、車と乗る人の重さで車が下へと転がって行くようにしていたそうで、夫はそれを懐かしんでか、このコルフィオリートの一番標高が高い地点からフォリンニョへの下り坂で、アクセルを踏まずに、車とわたしたちの重さだけで車が前進していくのを楽しむ癖があります。時速が少しずつ遅くなっていき、もう坂が下りでないときになって、ようやくアクセルを踏み始めます。はた迷惑な運転なのですが、片道2車線で追い越しが可能であることもあり、交通量が少ないので、目をつぶっています。
閑話休題。おもしろいのは、例年冬に平地のフォリンニョではまったく雪がないのに、長いトンネルを抜けて、標高が高いカステッルッチョを通ると、一面が雪に覆われ、さらにトンネルを抜けて、マルケ側のアッペンニーニ山脈に入ると、雪がいっそう深くなることです。今回は、帰り道だけ通ったので、マルケ側からコルフィオリートへとトンネルを抜けると、積雪量が少なくなり、さらにコルフィオリートから
フォリンニョへ抜けると、予想どおり雪がまったくありませんでした。
土曜の夕方は、ちょうどミサが始まる午後6時前にアッシジ近くを通りかかったので、今回は日曜の朝ではなく、土曜の夕方のミサに参列しようと、いつものアッシジ郊外のサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会に立ち寄りました。
晴れの日の特別の衣装に身を包んだ修道士たちが、長い列をなして厳粛に行進をする日曜のミサと異なり、修道士たちの僧衣が素朴で、けれども説教も心を打ついいミサでした。日曜の朝のミサは、どこかの合唱団が、参列者には歌いにくい聖歌を歌うのですが、この土曜の夕方のミサでは、参列者も主体的に歌えるメロディーの歌が選ばれていました。
「神は無よりも、あなたたちが生まれて存在することを選ばれたのです。あなたたちは存在するだけの価値があり、あなた方のそのままの存在を神が愛されているのですから、いつでもどんなときでも、喜んで生きていきましょう。」
説教をした修道士は、imperativo della gioiaという言葉を繰り返しました。gioiaは発音も意味も、英語のjoyに似ていて、「喜び」という意味です。imperativoは「命令」で、文法の「命令法」も、この言葉を使います。「喜びなさいという命令」と訳せるでしょうか。
「神があなた方を愛しているのだから、あなたには価値があるのです。喜びなさい。」というカトリック教の教えよりも、ディーパクやヒンドゥー教が説くように、「わたしたち一人ひとりの中に神性があり、だからわたしたちは尊く、愛すべき存在であり、喜び生きるべきなのだ。」と考える方が、わたしは好きなのですが、ひょっとしたら、「すべての人に神性がある」ということを、一神教の教えでは、唯一神が愛しているから、神に似せて人を作ったからという説き方をしているだけで、本質は元は同じなのかもしれないと思いながら、聴きました。カトリック教の神父や修道士の中にも、説教などを聞くと、宗教が違っても祈る対象は同じで、地域や文化によって祈り方や呼び名が違うだけだとする人もいれば、カトリック教は他の宗教とは根本的に異なるものであって、考えを混同してはいけないと戒める人もいて、さまざまです。わたしは前者に共鳴しますし、イエス・キリストにしても、また聖フランチェスコやマザー・テレサにしても、本当に信仰心と愛にあふれた人は皆、そういう教義上の違いやカトリック教徒か否かという枠や境にとらわれていなかったのではないかと考えています。
クリスマスまであと5日、今年もあと10日となりました。ぜひ読み返したい本の一つに、「よかった探し」のポリアンナの物語があります。『少女ポリアンナ』を、わたしは大人になってから、アニメをきっかけに英語の勉強も兼ねて、原作と続編を読んで、感動しました。ポリアンナにならって、できるだけ喜びを見つけて生きていけるようでありたいなと、教会で説教を聴きながら思いました。
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Suggestivo il mondo bianco,
il paese, gli alberi, i campi, tutto imbiancato di neve
mentre passavamo per la strada provinciale 209,
la Valnerina da Visso verso Muccia.
Coperto di neve anche l'Altopiano di Colfiorito,
ma dopo una lunga galleria verso Foligno nessuna neve.
Semplice e bella la Messa alla Porziuncola,
ci ha colpito la predica sull'Imperativo della Gioia. 15/12/2018
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なおこさんの今日の記事にまったく同感です。
私も宗教が違っても、実は祈る対象は同じなのではないかと思います。先日、映画「沈黙」を観た時にも同じことを思いましたし、塩野七生さんの講演でも一神教と多神教の違いについても少し触れられていて興味深かったです。多神教というのは、あなたが信じる神を私は信じていないけれども、あなたの存在は認めますということなのだと仰っていました。古代ローマはそのような社会だったようですね。ユリウス・カエサルとアウレリウスでは信じる神が違ったようです。翻って我らが日本、まさに多神教の国だなと思わせられます。神戸などにはヒンドウー寺院やモスクもあり、全国には寺院、神社、そして教会もある。こんな国、ほかにあまりないのではないでしょうか。カトリックのお膝元であるイタリアではなかなか受け入れられない感覚だと思いますが、少しでも寛容の精神が世界に受け入れられれば、世界の宗教対立も減り、平和に共存できると思いますが、現実はなかなかそうはいかないのですよね。信仰とは極めて個人的なものなのではないかと思わせられます。
でも、綺麗ですね~2枚目の木、クリスマスツリーに見えますとも(*^_^*)
トンネルを抜けて反対側に出て街へ行くと、不思議に雪が全然ないのですね~
標高の違いとはいえ少ししか離れてないのに不思議に思います!
アッシジ郊外のいつものサンタ・マリア・アンジェリ教会のミサに今回は夕方だったのですね~
朝とは違う参列者も主体的に歌える歌というところが良いですね(*^_^*)
教義上の違いやカトリック教徒か否かという枠や境にとらわれてない本当の信仰心というなおこさんの言葉に共感を覚えます♡
まだ日本に住んでいた頃、新聞記事か何かで、多神教の日本は、仏教にせよキリスト教にせよ、
異なる宗教を一部だけでも受け入れたり、自分たちの文化に合うように変容したり、
柔軟に対応する/節操がないのに対して、一神教では、自分の神や宗教以外を認めない傾向が
あると読んで、なるほどと思ったことを、まほろばさんのコメントを機に、思い出しました。
イタリアにもモスクやユダヤ教、正教会の教会などが各地にあるんですよ。ただ、最近は
移民や異文化を排斥しようとする政党が与党の一つとなったことや、マスコミのニュースの
偏った報道のために、カトリック教会自体は他の宗教との歩み寄りを積極的に行なっているのに、
国民の中に、閉鎖的な姿勢が特にイスラム教に対して増えてきているのが残念です、
日本でも移民差別の現状を知り、自分自身がイタリアで移民として暮らしていることもあって、
世界がもっと互いの違いを拒み合うのではなく、豊かさとして受け入れられるように、
寛容になれればと、わたしも心から思っています。
こんなに雪が積もっているのかと驚きました。これだけ積もっていても、道路の
除雪はきちんとされていたので、雪景色に感嘆しながら、ドライブを楽しみました。
ありがとうございます。いい意味でも悪い意味でも、最近は、つい説教を心よりも、
頭で聞いてしまっているわたしがいます。
むかしローマからミラノへ向かう電車でしたか、
トンネルを出るたびに雪国になったり、雪が無くなったり
目くるめく思いをしました。
雪の丘のふもとにポツンと一本、イルミネーションをほどこしたもみの木が見えた、その一瞬が今も目に焼きついています。
カトリック教会は聖餐をたとえばプロテスタントの信者に分かたない、多くの人は天国へ行く前に煉獄で清めを受ける、など厳格なところが多いように思います。
その一方で、平日でも教会に自由に入れるなど
寛容なところもあるのですね。
3Dプレゼーペのドライブ、とっても素敵ですね!
ローマからミラノへの電車でそんなことがあったんですね。
北へ行ったり標高が高くなったりで、雪があるかないかが
かなり違ってくるのでしょうね。一本だけあかりが施された
ツリーのその美しさを思います。
最近では盗難防止のために平日は閉まっている教会も少なくありませんが、
ポルツィウンコラは大きい修道院もあり聖フランチェスコゆかりの大切な
教会でもあるため、平日にもミサがあり、昼休みはありますが、開いている
時間帯には、教会やバラ園などを訪ねることが可能なんですよ。
雪がきれいで感動しました!