2009年 02月 27日
イタリア語学習メルマガ 第5号(2) 「間違いを恐れない、イタリアの移民問題」
イタリア語の語形の変化の多さに恐れをなしている人は心配しないでください。正しい語形変化をしっかり頭に入れて使えるようにすることは大切ですが、それにはとても時間がかかりますし、私みたいに6年間イタリアに暮らしていて、「(日本人だというのに)イタリア語を上手に話しますね。」とイタリア人から言われることがあっても、名詞や動詞の活用・冠詞の選択などで間違うことは(特に夫や友人とくだけた話をしているときに)現在でもあります。わたしは、ペルージャ外国人大学を今は退職された、イタリア語教育の大御所Katerin Katerinov先生からMangiagrammatica(「人食い」ならぬ、「文法食らい」)という愛称をいただくくらい、文法にはこだわって外国語を勉強したり、話したり、書いたりするように心がけていますが、それでも、こういう状態です。
それに、イタリアでは、イタリアで働きながらイタリア語の授業に通わずにイタリア語を学習した/している移民のイタリア語の発達の研究がさかんに行われていますが、その結果によると、移民がイタリア語を話し始める最初のうちは、語形(名詞・動詞の活用)や冠詞などのように、文法上の形式だけに関わって、意思疎通における重要な意味を持たない要素はほとんど習得されていません。
逆に言えば、移民たちがイタリア語でイタリア人と話をするときに、たとえ多少文法的に間違っていても、何とか意思の疎通ができるということです。だからこそ、無意識のうちに、文法の枝葉末節は脇に置いて、まずは最小限必要なよく使う単語や表現から、移民たちのイタリア語が発達していくのです。
(移民の話すイタリア語の発達の研究については、さまざまな参考文献がありますが、ここでは2冊ご紹介します。
1. Pallotti G., 1998, “La seconda lingua”, Bompiani, Milano.
2. Giacalone Ramat, A.(a cura di), 2003, “Verso l’italiano. Percorsi e strategie di acquisizione”, Carocci, Roma.
1は、第二言語(外国語)の学習のメカニズムや効果的な学習法・教授法について、さまざまな研究の成果を踏まえて、学術書としては比較的平易なイタリア語で述べている本で、移民のイタリア語に関する諸大学の共同研究(il progetto di Pavia)についても、そのいきさつや研究結果の概要に触れています。
2は、il progetto di Pavia の出版の時点(2003年)での調査・研究の結果をまとめたもので、移民がイタリア語を授業に通わずに日常生活の中で習得していくと、そのイタリア語がどのように発達していくのかを具体的に記してあり、非常に興味深い1冊です。というのは、1のPallottiの本の中でも触れられていますが、外国語を習得する発達過程には普遍的な順序があり、学習者の母語などによって若干その順序が異なる場合や例外があるものの、その自然な順序(ordine naturale)に逆らって(たとえば、教える文法項目の順序が逆であるとか、学習者にはまだ難しすぎる内容を教えるとか)外国語を教えても、無駄であり、かえって弊害があることが、さまざまな外国語学習・教育の研究者から指摘されているからです(主な提唱者はKrashenとPienemann)。ですから、日本人がイタリア語を、授業に通ったり独習したりして学習する際にも、またイタリア語の学習参考書の章立てにしても、ordine naturaleに従っていることが望ましいわけです。
Il progetto di Paviaの研究結果が面白く重要であるのは、移民がイタリア語を自然に習得していく発達順序から、イタリア語を学習するときの普遍的な自然の順序(ordine naturale)が分かるからです。)
ですから、正しい文法知識を身につけること、文法や表現についての感覚を常に敏感に保つことは大切ですが、最初からきちんとすべて覚えようとか、間違えないように話そうとか、張り切りすぎないことが大切です。「間違ってもいいから、とにかく話してみる」ことが大切です。最初から、会話の中で臨機応変に相手の言うことに対応しながら、文法的に正しい完璧な外国語を話すのが(決まったパターンを覚えて使う場合は除外し、自分の思いや状況を、自分の言葉で表現しようとした場合のことについて、お話しています)不可能だということは、PienemannやKrashenなどの外国語学習の研究者たちによっても説明されています。
「失敗は成功のもと」、「試行錯誤」。どこで読んだのかはっきり覚えていませんが、昔どこかで、「成功と失敗があるのではない。成功と成功への試行錯誤の過程があるだけである」と読んだことがあります。また、イタリア語にも、次のようなことわざがあります。
Sbagliando s’impara. 人間は(何事でも)間違いを繰り返しながら、習得していくものだ。
3. イタリアの移民問題
前項で「移民」と他人事みたいに書きましたが、実は私もイタリアの移民(immigrata)です。伊伊辞典、“Lo Zingarelli” で移民(immigrato)の定義を見てみましょう。
immigrato part.pass. di immigrare; anche agg. e s.m. (f. -a)
Che (o chi) si è stabilito in un paese straniero o in un’altra regione della propria nazione.
移民 動詞immigrareの過去分詞(participio passato); 形容詞(aggettivo)としても男性名詞(見出し語)としても用いる。(女性の場合は語尾が-aになる)
外国または自国の他の地方に定住している(人)。(私の意訳)
イタリアは昔は移民を送り出す側であり、南北のアメリカ大陸だけではなく、スイスやドイツなどの北ヨーロッパ諸国にもかなりの数の移民を送り出しました。先ほどの移民のイタリア語研究にしても、実は、アメリカ合衆国やドイツなどの先行の研究によるところが大きいのです。映画、『海の上のピアニスト』(イタリア語の題はNovecento)では多くのイタリアからの移民が希望を胸にアメリカを目指して大西洋を航海する場面が描かれていますが、アメリカやドイツなど移民を受け入れてきた歴史の長い国では、早くから移民が自国民と共生できるようにということで、移民の英語・ドイツ語の習得やその発達過程に関する研究が行われていました。ドイツの先行研究では、対象がイタリアやスペインなどヨーロッパの南部出身の移民だったわけですが、そのイタリアも今では経済大国に仲間入りし、諸外国からの移民を受け入れる側になりました。
イタリアも、平均寿命が長くなり、少子化が進んだために、日本と同じく高齢化社会に向かいつつあります。労働人口が減少し、年金受給者が増えていく中で、貧しい国から仕事を求めて来る移民の労働力は大変貴重なものであるはずです。イタリアでは、今回の世界的規模の経済危機の前から失業率の高さ、物価に対する給料の低さや若者の就職難などが問題になっていますが、移民の大部分は、工場や建築現場での作業、家庭での老人の介護といった、イタリア人がすることを望まない仕事に従事しているわけですから、イタリア人の就職難の直接の原因になっているわけではありません。
けれども、昨年春のBerlusconi現首相率いる右派(保守派、la destra)の選挙運動(campagna elettorale)が、公約の一つとして、治安の向上とそのための不法移住(immigrazione clandestina)対策の強化を挙げて、「外国人・移民の存在=治安の悪化」といった単純化された公式を連呼し、マスメディアも、移民による犯罪やイタリア人の移民に対する不満や恐れなどを強調して放映する傾向が強かったため(この傾向は、今も顕著です)、最近は日に日にイタリア人の移民に対する偏見や差別が増加しているのを身にしみて感じます。
移民の犯罪があることは事実でしょうが、ニュースで移民を取り上げる際に、そうした負の事実だけを取り上げていると、一般の市民の中にも「移民=犯罪者・危険な存在」というステレオタイプが定着し、それが差別となって現れ、何もしなくても犯罪者扱いされる傾向にある移民が犯罪に向かいやすくなるという悪循環になっている気がします。
中国に関しても、近年、「中国の食品・製品の危険」や「イタリア在住の中国人移民間の死傷者の出る紛争」などがニュースで取り上げられることが多く、中国や中国人に対するイメージが悪化していく傾向にあるように思います。イタリア人の中でもあまり素養のない人は、日本・中国・韓国など、さまざまなアジアの国を区別せず、ひとくくりにしてマイナスイメージで捉え、差別的な扱いをすることがあります。「ああ、あなたは、日本人なの。よかった。だって、中国人は…」などと安心するイタリア人もいますが、これも中国に対する極度に否定的な偏見が定着してしまっているからこういう発言をするわけで、大きな問題です。
昨年末に、日本の大学から留学して、ペルージャ外国人大学の「イタリア語・イタリア文化」のコースで学んでいた方たちを対象にアンケートを実施した結果、「イタリアに来てよかった。」、「もう一度、イタリアに戻ってじっくり勉強したい。」という学生さんが大部分であったものの、「イタリアで不快に思ったこと」として、「アジア人を一まとめにとらえて、差別するイタリア人との出会い」を挙げている人が大勢いました。
では、イタリア人の、日本に関するイメージはどうかというと、アニメ・漫画やテレビゲーム、空手や柔道・合気道などの武道を通じて、いい意味で日本に対する関心を持っているイタリア人が多いようです。
ただし、イタリアのテレビニュースを見ていると、日本が出てくるのは、経済やハイテクに関するニュースを除くと、「雅子妃のうつ病」、「野蛮なくじら狩り」といった、日本に対する偏見を煽りそうなニュースがほとんどなので、気になります。
移民問題については、いくらお話しても尽きることがありません。移民に対する恐怖や反感を煽るような右派の政治家の発言やマスメディアの報道姿勢、現与党である右派による移民に対する措置の非人道的なまでの厳格化など、今後、実際に新聞記事を引用し、学習の教材としても使用しながら、触れていきたいと考えています。
(記事が長いために、エキサイトブログでは第5号をすべて一度に投稿することができないため、分割して投稿します。)