2009年 02月 27日
イタリア語学習メルマガ 第5号(3)「映画『Ex』予告編、第4号の宿題の解答」
実は、今号では昨日夫と見たイタリア映画、『Ex』を中心に書こうと考えていて、「1.映画を見に行きませんか」はその前置きのつもりで書き始めたのですが、例によって、長くなってしまいましたので、この映画についての詳細や学習への利用法などについては、次号でお知らせします。
タイトルについてですが、ラテン語の前置詞に由来するこの言葉は、ここでは「かつての恋人・妻・夫」という意味で使われています。この語のこの用法は英語にもありますが、伊伊辞典『Lo Zingarelli』の定義を見ますと、
(fam.) Il mio ex, la mia ex - la persona con cui sono stati troncati rapporti amorosi
とあり、「その人との恋愛関係が終わってしまった相手」とでも訳せるでしょうか。(fam.)とあるのは、familiareの略で、親しい人同士の間、あるいはくだけた会話などで使う表現であるということです。
さつき待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする 詠み人しらず
(旧暦の)五月を待って咲く花橘の香りをかぐと、昔恋人であったあの人が袖にたきしめていた香のかおりが思い出される。
月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして 在原業平
月は昔の月ではないのか。春は昔の春ではないのか。私は以前と全く変わっていないのに(あの人がいないので、今はすべてが違って見える)。
この二首は千年前に編集された『古今集』に収録されている和歌です。日本でも古来和歌に詠まれ、現在でも演歌や歌謡曲で歌われているように、かつて思いを寄せた相手というのはいつまでも心のどこかに残っていて、ふとしたきっかけで焼けぼっくいに火がつくことがあります。
そうした男女の出会いと別れ、そして再会の悲喜劇を描いたのが、このイタリア映画『Ex』です。「映画の批評はあまりよくないし」と気乗りのしない夫を無理に引っ張って見に行ったのですが、人情の機微や人生や愛情といった大切なテーマをユーモアや皮肉を交えて、温かく描いた作品で、私も夫もいい映画だと感動しながら映画館を後にしました。
映画の予告編(trailer)で、映画の主な場面をセリフやバック・ミュージックと共に見ることができますので、興味のある方は、言っていることや歌の歌詞をどれだけ聞き取れるか、挑戦してみてください。
(*2019年3月追記: その後、この映画が、日本でも『恋するローマ 元カレ/元カノ』という題名で上映されたため、イタリア語音声・日本語字幕の予告編も見つかりました。場面が同じですので、聞き取れたかどうかの確認がさっとできると思います。)
この映画の予告編は、次号でイタリア語教材として取り上げる予定ですが、今号でも、この映画のテーマである「愛」に関わる表現を紹介します。映画の中でも歌や登場人物のセリフとして出てきます。
1. (Tu) mi piaci.
2. Ti voglio bene.
3. Ti amo.
1. は「君が好きだ/あなたが好きです」、2.3.は「愛しているよ / 愛しています」に該当する表現です。
5. 第4号の宿題の解答 (中・上級者向け)
a. この文ではMiがなくても意味は通じますし、実はMiをつけず、Prendo una vacanza.という方が、一般に使われ文法的に正しいとされる表現です。このMiの用法について、Serianniの文法は次のように説明しています。直後に私の和訳を付しておきます。
Caratteristica la funzione affettivo-intensiva dei pronomi atoni, in tutti i casi in cui si vuole sottolineare la partecipazione del soggetto all’azione [...]. Quest’uso è molto esteso nell’italiano regionale del Centro e del Mezzogiorno (“mi faccio una passeggiata”, “ci sentiamo la messa”: PASQUALI 1968: 156-157) e attualmente “e più accettato di un tempo” (SABATINI 1985: 167) (Serianni, "Grammatica Italiana", p. 250) .
特徴的なのが、代名詞の非強勢形の、愛着を表して強調する機能である。代名詞の非強勢形が、主語の人物による行動への(心情的)参加を強調する場合は、すべて、この機能を果たしていると言える。この用法は、特に中部や南部地方のイタリア語で非常に普及しており(「私は散歩をします。」「ミサを聞きましょう。」、Pasquali G. P., 1968, “Lingua nuova e antica, Le Monnier: pp. 156-157から引用)、現在では「かつてよりも(正しい表現として)受け入れられている」(Sabatini N. F., 1985, “L’italiano dell’uso medio: una realtà tra le varietà linguistiche italiane”, ドイツ語の雑誌に掲載されたこの論文の167ページから引用)。
b. このciはa ciòを置き換えた代名詞で、 ciò(それ、そのこと)は、ここでは漠然と前文の内容、母親のRosalbaが帰宅せずにベネチアで休暇を楽しむという便りを寄こしたことを指しています。
fare caso a qualcosaは「~を気にかける、~に注意する」という意味の慣用句です。
c. ‘si arrabbia’ のsi は、再帰動詞arrabbiarsi(腹を立てる)の活用形si arrabbia (直説接法現在、主語が三人称単数)の一部です。
動詞arrabbiarsiは、名詞のrabbia(怒り)から派生しています。腹を立てたときには、家族や親しい友人の前では、parolacce(品の悪い言葉)を連発する人が多いですが、Che rabbia! (あったま来る!)とあまり品を下げずに、怒りを表明することもできます。
6. Parolacce
ちなみに、以下は、イタリア人がうちとけた間柄の人の前で、腹を立てたときに口にするparolacce(単数形はparolaccia)の一部です。
たとえば、車の渋滞に巻き込まれたとき、腹立たしいニュースを聞いたとき、友人や恋人とけんかしたときなどに口にする言葉で、性や排泄に関わる表現が多いけれども、そいういう言葉の本来の意味は、使う人からは全く考慮されていないようです。
Cazzo! / Che palle!/ Che due palle!/ Porca palletta!/ Merda!
Vaffanculo!/ Porca puttana! / Porca madosca!
あんまり品が悪いので、言葉の本来の意味の説明はしません。興味のある方は辞書で調べてみてください。
皆さんは、使わないでくださいね。ちなみにうちの夫は私が腹を立てているとき、Sei arrabbiata?と聞かずにSei incazzata?といいますが、これも品のいい表現ではないので、使わないでください。
ただし、イタリア語で映画やテレビ番組を楽しむためにも、表現とどんな状況で使用するのかを知っておくことは大切だと思います。
ちなみにイギリス映画、『Four Weddings and a funeral』では、映画の冒頭で、結婚式の会場に遅れそうな主人公たちがFuck!を連発しますが、イタリア語版では、それがとても無難なCavolo!という表現に訳されています。(Cavoloは「キャベツ」を意味します。)他に、腹が立ったとき、 品を下げすぎずに無難に使える表現として、次のようなものがあります。
Porca miseria!/ Dio b(u)ono!/ Porca vacca!
ただし、後者二つについては、特に、ウンブリアやエミリア・ロマーニャの人たちの口から聞くことが多いので、地方独特の表現なのかもしれません。機会があれば、調べておきます。
では、また。楽しくイタリア語を学習してくださいね。
(記事が長いために、エキサイトブログでは第5号をすべて同じ記事で投稿することができないため、分割して投稿します。)