2009年 06月 13日
イタリア語学習メルマガ 第11号(1)「映画『Saturno contro』、モノローグで聴解練習」
6月10日の晩、以前に映画館で見て感動したイタリア映画がテレビ放映されていたので、もう1度見ました。イタリア語の原題は “Saturno contro”(2007年)、日本では2008年5月のイタリア映画祭で『土星に対角』という邦題で公開されたものの、まだDVDは販売されていないようです。

友人や恋人、家族の間の人間関係やそのもつれ、そして大切な人を失う痛みを、美しい音楽や映像を通し、見る人の心に訴える名画で、国内外で多数のノミネーションや賞を受けています。機会があれば、ぜひご覧ください。英語の題は “Saturn in opposition”です。
下記の映像で、この映画の冒頭の一場面を視聴できます。主人公、ロレンゾ(Lorenzo)が同棲する恋人のダーヴィデ(Davide)と共に、友人たちを自宅での夕食に招待したのですが、この場面ではロレンゾが友人たちとダーヴィデを見ながら、自分思いを独白のように語っています。まずは、自力で、何を言っているのか聞き取ろうとしてみてください。
(*2021年1月: 当時ここにリンクを張っていた映像が現在は存在せず、見ることができないためにそのリンクを削除し、代わりに予告編へのリンクを張りました。)
以下にセリフを書いてあります。音声と合わせて何度か聞いたあとで、もう1度主人公がどんな気持ちでいるのかを、理解しようとしてみてください。
“Ecco. Ci sono momenti come questo in cui riesco a sentirmi felice. Non so bene perché. Ma vedere Davide insieme ai nostri amici mi fa sentire al sicuro. So cosa dicono, cosa pensano e anche se sono sempre le stesse cose, e va bene così. Non vorrei sorprese, novità, colpi di scena. Voglio che tutto rimanga come adesso per sempre, anche se so che per sempre non esiste.”
主人公の気持ちを端的に表すのは、3文目と4文目です。
(1) Ci sono momenti come questo in cui riesco a sentirmi felice.
(2) Ma vedere Davide insieme ai nostri amici mi fa sentire al sicuro.
どちらも文の構成が複雑なのですが、キーワードはfeliceとal sicuroです。
(1) feliceは形容詞で「幸せだ」「幸福だ」という意味です。riuscire a +不定詞は「~できる」、sentirsiは「感じる」で、in cui riesco a sentirmi feliceという関係節が先行詞のquesto (momento) を修飾しています。「ぼくが幸せだと感じられるようなこういう瞬間(機会)が時々ある」と訳せるでしょうか。
(2) sentire al sicuroは「安全な場所にいると感じる」です。この文の主語はvedere Davide insieme ai nostri amici 「ダーヴィデがぼくらの友人たちと共にいるのを見ること」で、述語はfa「~に~させる」ですから、「でも、ダーヴィデが友人たちと一緒にいるのを見ると、心強い気持ちになる」と訳しておきます。
また、sicuroは「安全な場所」という意味の名詞で、al sicuroは「危険のない安全なところに」という意味です。sentirsiとsentireは動詞で、それぞれ「(ある精神状態を)感じる」、「聞く、感じる」という意味です。
前半部分だけ訳してみますと、
「そう、これだ。ぼくが幸せだと感じられるようなこういう瞬間が時々ある。なぜかはよく分からない。でも、ダーヴィデが友人たちと一緒にいるのを見ると、心強い気持ちになる。」
この文に繰り返し出てくるsoは動詞sapere(知っている)の直説法現在形で、主語がio(1人称単数)の時の形です。Non so bene ... は「(わたしは)…をよく知らない」、So ... は「(わたしは)…を知っている」という意味です。
では、主人公のセリフの中間部分を見てみましょう。
“So cosa dicono, cosa pensano e anche se sono sempre le stesse cose, e va bene così. Non vorrei sorprese, novità, colpi di scena. Voglio che tutto rimanga come adesso per sempre, anche se so che per sempre non esiste.”
ここで3回使われている名詞cosaについて、複数形のcoseの形で使われている3回目のcosaだけ、品詞と用法が違うので注意してください。最初の二つのcosaは「何を~か」という意味の疑問関係詞で、ここではcosa dicono, cosa pensano「何を言っているのか、何を考えているのか」という間接疑問文を作っています。一方、三つ目は「物、こと」という意味の名詞です。sempreも3回出てきています。sempreは「いつも、常に」という意味ですが、per sempreで「永遠に」という意味になります。訳してみましょう。
「(友人たちが)何を言っているのか、何を考えているのかは分かっている。いつも同じことばかりだけれど、これでいいんだ。驚くようなできごとや、変わったこと、突然の変化なんか望まない。すべてが永遠に今のままであってほしい。『永遠に』」なんてことが存在しないことは知っているけれども。」
辞書で引いてすぐ分かりそうな言葉の説明は省略していますので、まだ疑問に思うことがあれば、辞書で調べてみてください。ちなみに、rimangaは動詞rimanereの接続法現在の三人称単数形です。ここで接続法が使われているのは、che以下の関係節を目的語とする動詞が、voglio(volere)という希望を表す動詞だからですが、入門者の方は読み流してください。
さて、セリフの内容が分かったら、文字を追いながら何度かセリフを聞いてみてください。聞きながら言うことが大ざっぱにでも分かるようになったら十分です。もう、主人公が今どんな気持ちでいるのかお分かりですね。
そうです。今この瞬間「幸せだ(felice)」と感じていて、「心強く」(al sicuro)もあり、「何もかもが永遠にこのままであればいいのに」と願っているのです。その願いが、かなわぬものであることを十分に知りながら。
そして、この言葉は、このあとの急展開を暗示するものでもあります。映画の最後にも、もう一度この主人公のセリフが流れるので、映画のテーマにも関わる重要なセリフであると言えます。
この映画のいいところの一つは、同性者間の愛情が美しい当たり前のものとして描かれているところです。カトリック教の影響の強いイタリアで、こういう映画を作るのは、かなりの勇気がいることと思います。
監督はトルコ出身のフェルザン・オズペテク(Ferzan Ozpetek)です。この監督の作品では2002年に発表された“La finestra di fronte”(邦題『向かいの窓』)も、とてもいい作品です。
こちらも、話の展開が巧みで見る者に息をつかせない名作ですし、イタリア語やイタリアの歴史や文化の一端を学ぶにもうってつけの作品です。ぜひ購入するなりレンタルされるなりして鑑賞してみてください。
映画DVD『Saturno contro』 映画DVD『向かいの窓』
アマゾン日本で販売する『Saturno contro』はイタリア語音声で、イタリア語・英語の字幕で見ることが可能です。現在は、なぜかアマゾンイタリアの方が値段が高くなっています。(リンクはこちら)一方、『向かいの窓』はイタリア語音声・日本語字幕となっています。
メルマガ第28号では、『向かいの窓』の一場面を取り上げ、聞き取り練習やよく使われる表現の学習ができるように説明しています。興味のある方は、ぜひお読みください。
・第28号「人生・現実からの逃避 ―小説・映画・歌の紹介―」 (2009/11/20)
(記事が長いために、エキサイトブログでは第11号をすべて同じ記事で投稿することができないため、分割して投稿します。)

