2019年 04月 21日
アッシジを花が彩る復活祭、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ

教会の広い駐車場から境内へは、修道士たちの活動を支援し、巡礼客や観光客をもてなすホテルの公園の中を通って行きます。公園には、まるで生きているかのように、自然にたたずむ修道士たちの彫像があり、今日は、色とりどりのバラの花が咲いていました。

奥にやはり彫像がある芝生に咲く、この赤いバラもきれいです。

わたしたちがこの教会のミサに通うのは、アッシジ中心街にある聖フランチェスコ大聖堂は、聖人の亡き後、教皇の意向によって建てられた教会であるのに対し、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会は、生前の聖フランチェスコが最も心にかけていた小さな教会、ポルツィウンコラ(Porziuncola)、聖フランチェスコたちが仲間たちと祈りや瞑想に過ごした場所、そして亡くなった場所を包み込むように、後世に築かれた教会だからです。
教会内での写真撮影は禁止されていて、ふだんは教会の正面扉が閉まっているため、中にあるポルツィウンコラの写真を撮れないのですが、今日は復活祭ということで、復活したキリストと聖母マリアの像が、ミサ開始前に正面扉から運び込まれたために、ミサが終わった後も、扉が開いていました。ただ、いつにも増して大勢の人が、次から次へと出てきたので、写真では、人の頭や顔が写っていないポルツィウンコラの上部だけご紹介します。

教会の道路を挟んで向こう側に、藤棚があり、春には、藤の花がきれいな上に、モッコウバラも咲いていたことを覚えていたので、ミサが終わったあとで、藤の花を見に行きました。

花盛りのモッコウバラに隠れ気味ではありましたが、

藤の花も、きれいに咲いています。

教会から駐車場へと向かう途中に、マロニエの並木があるのですが、マロニエの赤みがかったピンク色の花も、少しずつ咲き始めています。

帰りに無料高速道路で、ペルージャへと向かっていたら、道路の真上を飛行機が飛んでいるのを夫が見つけました。道路のすぐ近くに空港があるので、道路の真上を通って飛行機が上昇したり下降したりしているのを見かけることが、しばしばあります。この時間帯に飛行機を見かけることが多いので、確認すると、現在、毎週日曜日の朝11時半にロンドンに向けて発つ便があるので、ロンドン行きのライアンエアーの飛行機だったようです。わたしがようやくカメラをバッグから取り出して、撮影したときには、飛行機はすでにはるか上空を飛んでいました。

帰宅後は、昼食のしたくを手伝い、復活祭の昼食を大家族でにぎやかに食べました。今年の復活祭の贈り物は、復活祭用の卵や鐘の形をしたチョコレートや、コロンバと呼ばれる鳩型のケーキなどを自分たちの工房で作っている店で、購入しました。復活祭の食事や贈り物に興味のある方は、こちらの記事をご覧ください。
トーディに住む義弟家族を除いては、皆がインフルエンザにかかって長く苦しんだために、ようやく久しぶりに、皆で顔を合わせることができました。義父だけまだ若干咳が苦しそうなのですが、幸い皆元気になり、今日はそういう意味でも、復活、いえ回復を祝いました。
自分がカトリック教徒ではないこともあって、わたしはミサの説教でも、「キリストと共に生きることを選んだわたしたちは」と、カトリック教徒だけが選ばれた民であるように語る説教よりも、国や宗教に関わらず、人としての在り方を、現実に即して語るような話の方が、素直に聞くことができます。仏教や神道でお坊さんや神主さんが話すのを聞いていたときには、そういう区別はしていなかったように思うのです。また、神が愛してくれるのだから、わたしたちは皆尊いのだという説教よりも、人は皆それぞれに神性を持っているから尊いと語るディーパク・チョープラの言葉の方が今はすっと心に飛び込んできます。イエス・キリストも、アッシジの聖フランチェスコも、マザー・テレサも、カトリック教徒とそうでない人との分け隔てをしていないように、わたしには思われ、そもそもその違いをことさらに強調するのは、そういう言葉をミサで斉唱する言葉と決めたという古代ローマ帝国皇帝のコスタンティーノや、かつて広大な領地と政治的権力を有していたカトリック教会の政治的意向の名残であるように感じられるのです。夫と結婚した12年前には、カトリック教徒になるつもりでいたのに、当時は仕事が忙しくて、その準備をする時間が取れず、なろうと思えば時間的余裕は作り出せる今は、けれども、このカトリック教会の排他的な側面が気になって、心が決まらないのでありました。
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In fiore le rose, il glicine e l'ippocastano
a Santa Maria degli Angeli.
Assisi (PG) 21/4/2019
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おはようございます
美しい景色におはなたち
もう藤が咲いていますのね
チョコも可愛い~
いつも憧れのまなざしで見ていますの
昨日は大原、三千院の前まで、桜は
もう終わりのようでした
いつもありがとうございます
お忙しい中、度々コメントさせていただき、すみません。
今日のお話もとても共感させていただきました。
私もなおこさんの仰ることにまったく同感です。
昨年塩野さんにお会いした際、彼女が話された内容の中に宗教に関してのことがありました。ラテン語のクレメンティアという言葉を引用され、この言葉はトレランスの意味することとはちょっと次元が違うのだと話されていました。そして一神教の問題点、イスラム教徒とキリスト教は絶対に相いれないという話まで・・・とても共感して拝聴しました。私も聖職者の方の上から目線や選民的な説教はとても苦手です。そして狂信的な人がとても苦手です。なおこさんがカトリックの排他的な側面が気になるというお話とってもよくわかります。
折しもスリランカで教会が狙われる大規模なテロが起きてしまいました。まだ背後関係はわかりませんが、宗教の名を借りた殺戮行為がやまぬ時代・・・個人の信心を尊重して、互いの違いを認めながら暮らすことはできないのかと考えさせられます。アッシジのフランチェスコの話は私も大好きです。聖フランチェスコ大聖堂ではなく、サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会に行かれたというお話からなおこさんご夫妻の考え方が伝わり同感します。
今年は遅めのパスクワでしたが、コロンバも卵型のチョコレートも食べてみたいと毎年思います。
なおこさん、ご家族の皆さんもインフルエンザから回復されたようで良かったです。
藤の花が綺麗ですね、黄色いモッコウバラはうちの庭も
沢山花が咲きました。新緑も出揃ってきて、日差しが強くなってきましたので、あれほど寒いのが嫌だと思っていたのに、すぐに暑いのは嫌だーーー!と言うようになるのでしょうね。笑
もう藤の花が咲いています。包装紙で華麗に見せるチョコレート
卵も多い中、この店は、チョコレート自体の装飾がきれいなので、
好きなんです。
大原の桜ももう終わりなんですね。ムームーさんのおかげで、
3月末、まだみぞれが降っていて桜はわずかに咲き始めたばかりの
頃に訪ねた大原の里の四季の様子を知ることができて、興味深いです。
こちらこそ、いつもありがとうございます♪
カトリック教徒でブログを見てくださっている方も中にはいらっしゃると思うので、ためらいながらも、最近よく思っていることを書いてみました。日本でわたしが通った教会や、英語を学ぶために通っていた、アメリカの宣教師の先生と共に英語で聖書を読む会では、こういう「キリスト教徒だけが洗礼を通して天国に召される」といったようなことは聞いたことがないように覚えていますので、こういうとらえ方や考えはヨーロッパにおけるカトリック教に独特のものではないかという気がします。イタリアのカトリック教会の神父さんや修道士の人でさえ、互いに意見が違うので、「神は神でもカトリックの神とイスラム教の神は違う」と断言する神父も入れば、文化によって神の呼び方や崇め方が違うだけで、そもそもは信仰対象は同じなのだという人もいて、「自分たちカトリック教徒だけだ」という意識がある人は、本当は一部なのだと信じたいところです。義父母たち昔からのカトリック教徒の中には、そういう独自性や排他性に気づかず、幼い頃から当たり前にミサのときに口にしていた言葉を口にしているのではないかと感じていますし、現教皇も幸い、異なる宗教を信じる人や一件教義とは相容れないような生き方を選んだ人に対しても、違いから排除するのではなく、愛と尊敬の気持ちで接しているような印象を持っています。
「自分の宗教ばかりが正しい」、「自らの文化が一番いいのであって、他の文化や国は」と、宗教に関わらず、自分が大切と思う、自分が属するものだけを基準として、他の宗教や文化、国を批判する姿勢は、カトリック教徒の人に限らず、最近耳にすること、目にすることが多いので、多様化し、様々な国や文化を背景とする人々との交流が増えていく時代だからこそ、それではいけない、他の考え方や行動の在り方、慣習を、もちろん道義的にどう考えても問題がある場合は困るのですが、もっと柔軟にとらえて、受け容れていけるような社会であってほしいなと感じています。わたしも一方的に判断を下したり批判をしたりばかりする人は苦手です。
ありがとうございます。いつかきっとイタリアの復活祭の味を楽しまれる日が
来ますように。コロンバも装飾や材料が店によって様々で、興味深いです。
インフルエンザや咳がかなり長引いたのですが、ようやく皆元気になって、ほっとしました。
ありがとうございます♪ お宅にも、黄色いモッコウバラがあるんですね。
日本ではそんなに日差しが強くなってきたんですね。ペルージャでは週末から天気が崩れ、
気温も少し下がってきています。

スーパーなどで売っているのは、商業化された大手メーカーの作る卵型のチョコレートが多いのですが、この店は自分たちで復活祭関係のチョコレート商品を作っているだけあって、卵あり、鐘あり、うさぎあり、鶏ありと、いろいろな形の中から選ぶことができました。
パリのノートルダムはカトリック教の教会とは言え、確かに、パリ市民、フランス国民にとって、宗教に関わらず大切な教会ですよね。カトリックは古来、カトリック教の中でも教えや三位一体の解釈をめぐって意見が異なると激しい弾圧を繰り返しているため、そういう意味でも閉鎖的やドグマへのこだわりが今になっても抜けないところがあるのかとも思います。現教皇はその点で、新しい風を大いに吹き込見続けていると言えると思うのですが、そのために、内部にかなり敵を作ってしまっているとも聞いています。
赤毛のアンシリーズに、死後も夫といっしょに暮らしたいから配偶者は同じ宗教の人をと言う登場人物がいて、長い間そういう気持ちを抱いていたのですが、幸いイタリアは、墓地は市営です。ただし、カトリック教会のミサと共に葬儀が、続いて埋葬が行われる場合がほとんどなので、今、もしわたしがこの世を去ったら皆に迷惑をかけるなという心配もあります。最近では、わたしたちは皆宗教や国に関わらず光であって、亡くなって愛しい人々にめぐり会い、また時を経て人の世に生まれ変わるのではと考えるようになり、不思議とその考えは、敬虔なカトリック教徒である夫も同じだったりするんですよ。