イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

20時間の外国語授業でできること、イタリア少年ゼロからの日本語学習を例に

 12歳の少年のたっての希望で、昨年7月10日に始まった日本語の個人授業は、8月半ばから2月半ばにかけて、夏の旅行と中学校での少年の学習状況を見ようという両親の意図で、中断したものの、週1の授業が今も続き、昨日の授業で、これまでの授業時間数が、計23時間となりました。

 最初は、少年の誕生日プレゼントとしての日本語の授業ということで、何時間続くか分からないということもあり、短期間で日本語でいろいろなことが表現できるように、楽しく、かつ「学べた、また一つ何かを日本語で話せるようになった」という達成感がある授業を心がけていました。一方で、ひらがなをいずれはすべて習得することを視野に入れ、カタカナでも自分の名前やイタリアの国名などは書けるようにしようと、毎時間少しずつ、書けるかなや言葉、文章を増やしていくように工夫しました。

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 日本語をしっかり勉強して、いつか仕事をしながら日本で暮らしたいという少年の熱い希望もあり、好きなことを学ばせてやろうという両親の意向もあって、今のところは、少年が望む限り、そして互いの時間が許す限り、週に1時間の日本語の授業を続けていくことが決まりました。

 少年の日本語学習熱は、日本のゲームやアニメがきっかけであり、字幕つきの日本のアニメをいくつも何時間も見てきたために、あいさつの言葉や「かわいい」など、耳で聞いて知っている日本語表現はあるものの、わたしと日本語の学習を始めた約1年前は、ゼロからの学習者(principiante assoluto)だったと言っていいと思います。学校の授業に加えて、母の国であり自分も国籍を持つドイツの言語、ドイツ語の学習もあり、宿題はゆるやかに出し、また、週に1時間の授業しかないので、教科書に出てくる言葉や既習の語彙の定着に努め、学習する言葉はできるだけしぼってきました。また、『まるごと』という教科書そのものが、学習事項を1課で徹底的にたたき込む代わりに、時には聞き取り、時には作文、会話と形を変えながら、ゆるやかに文法や会話表現を学び、課が進むごとに、復習しながら定着を図っていこうというつくりになっていて、学校の授業では、それでは練習問題や応用演習が少ないからと、他の教科書なども使って補足しているのですが、少年の個人授業では、週1の授業であることを考慮し、「新しいことを学んでいる」という充実感を少年が得られるように、文法や文化についてなど適宜補足しつつも、基本的には教科書を中心に、授業を進めています。

 社会人対象の日本語講座でも、個人授業でも、学校と同様に、ふだんは最初の十数時間の授業で、あいさつや簡単な語彙と並行して、生徒がひらがなとカタカナを一通り読んで書けるように、授業をすることが多いのですが、少年との授業では、週1時間だけの授業であり、いつまで続くか分からないという事情があったので、少年本人に関わる言葉、イタリア、ドイツ、ア行のカタカナだけを最初に押さえ、まずはひらがながしっかり身についてから、カタカナの学習をすることにしました。そして、17時間目、教科書の第5課の授業から、教科書の内容と並行して、カタカナも少しずつ学習していくようにしました。

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 以上は、長くなりましたが前置きで、では、これまでの23時間の授業で、少年が日本語で何ができるようになったかと言いますと、

1 「おはよう」、「こんにちは」、「ありがとう」など、日常生活の基本的なあいさつが言える。また、相手と状況によって、「おはよう」・「ありがとう」と「おはようございます」・「ありがとうございます」を使い分けることができる。

2 初めて会う相手に、「はじめまして」から始めて、自己紹介をし、「どうぞよろしく」とあいさつができる。

3 自分の国籍や年齢を言い、人に聞いて、返事を理解することができる。

4 ひらがなを、時々間違えるものの、読んだり書いたりすることができる。

5 カタカナは、自分の名前とイタリアは書いて読むことができる。読みにも書きにもまだあやしいところがあるものの、サ行まで学習し、『まるごと』第5課に出てくる食べ物や飲み物に関するカタカナを使った言葉、パンやコーヒー、ビールなどの言葉を読んで書くことができる。

6 数字を1から100まで言うことができるが、まだ時々12を「にじゅう」と言ったりしてしまうこともある。自分の家族の人数を言い、人の家族の人数を聞いて、理解することができる。序数詞、「〜人(にん)」について、6にんまでなら表現することと、理解することができる。

*注: ごく最初の授業で、何が勉強したいかと聞いたら、数字が勉強したいと言うので、自己紹介の表現を学ぶついでに、年齢表現も学ぶことにして、数字も教えました。家族の人数や年齢を表す表現は、教科書、『まるごと りかい 入門A1』の第4課に出てきます。

7 家族について、自分の家族と他人の家族を表す言葉を知っている。自分の家族について紹介し、人の家族構成を読んだり聞いたりして、理解することができる。

8 どこに住んでいるか言うことができる。住んでいる場所について聞いたり、答えたりすることができる。(『まるごと』第4課の学習事項です。)

9 自分が好きなものについて話し、書くことができる。食べ物や飲み物についての好みを、質問したり、聞かれて答えたりすることができる。

10 何を食べたり飲んだりするかを話し、また、人に尋ねることができる。その際に、「いつも・よく・時々・あまり〜ません」といった頻度を表す表現も使うことができる。

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 教科書、『まるごと』で、国籍や職業を表す言葉を学び、会話表現の習得や理解を目指す第3課は、カタカナの学習を先延ばしにすることに決めたため、また、少年自身が中学生なので、「きょうし」・「かいしゃいん」・「しゅふ」という言葉はいたずらに習得する語彙を増やすだけであり、急いで学ぶ必要もなかろうと考えて、まだ学習していません。結果的に、ひらがなの定着が図れ、家族について語れることを目指す第4課や、少年が興味を持つ食べ物や飲み物を扱う第5課に、早く入れたので、よかったと思っています。

 学んだ表現について、実際にいろいろな人と話をして、しっかりと応答できるようになるまでには、もっと演習が必要とは思いますが、例えば、イタリア語を教える語学学校の多くで、授業は毎日4時間、月曜から金曜までの週20時間であることと、その授業内容を考えると、わずか20時間余りで、かなり多くのことを学習できたと思います。

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 少年に学習意欲があること、個人授業であることもありますが、授業と授業の間の間隔が長いために、学んだことを、その気になればしっかりと定着させやすく、また、母語であるイタリア語での説明を受けながらの授業であるために、学習効率がいいためだと思います。

 ゼロからの学習である場合には、日本の方がイタリア語を学習する場合にも、ほぼ同じことが言えて、イタリアですべてイタリア語の授業の授業を受けるよりも、日本語でイタリア語の文法説明を学びながら勉強した方が、学習効率がはるかにいいのです。今から約15年前の話ですが、イタリア語教育法の授業で、とある先生が言ったことがあります。「生徒皆が同じように、イタリア語学習経験ゼロから出発して、同じ授業を受けても、母語によって、同じレベルに達するまでにかかる時間が違ってくる。」そのときの先生の経験談では、確か、スペイン語やフランス語圏出身の生徒であれば1か月で習得できる力の養成に、英語・ドイツ語圏の生徒なら3か月、日本など欧米の言語とは言語体系が異なる言語を母語とする場合には6か月かかると言っていたように思いますが、いつかまた、その授業のノートが見つかったら、記事に追加・訂正を加えるつもりでいます。

 フランス語、スペイン語、ポルトガル語など、イタリア語と同じ俗ラテン語から発展・変容してできたロマンス語の言語は、語彙も文法もイタリア語と類似点が多いために、まったく何も学習しない段階で、イタリア語を聞いたり読んだりしても、理解できる語彙や文法事項が多く、そのために習得も早いのです、一方、母語語彙や言語体系がイタリア語と異なれば異なるほど、何時間授業に参加しても、理解できる言葉や文法事項は、特にそれまでまったく学習の経験がないのであれば、極端に少なくなり、ですから、日本の学習者が、イタリアの語学学校で、ゼロからイタリア語を習得しようとすると、ひどく学習効率が悪いのです。

 わたしは、 ペルージャ外国人大学の入門・初級の生徒を対象とした授業を、教科書も書かれたベテランの先生方に、教育実習のための参観授業として、数十時間見せていただいたことがあります。先生方は、すべての生徒が理解できるようにと、パニーノやカップッチーのなどの写真入りのスライドや、分かりやすく記した動詞変化の表などをうまく活用され、世間話や生徒とのやりとりから、巧みにその日学ぶべき文法の学習事項や会話表現に入っていかれていて、さすがだなと思いながら、授業を参観しました。それでも、日本では、大学で1、2年イタリア語の授業を受けた学生さんたちが、先生の言うことがほとんど分からず悔しいと言っているのを聞いたことが、しばしばあります。

 慣れぬ言葉と文法体系があふれる授業の中で、知らない文法や言葉、会話表現が紹介されるのですから、日本でほとんど勉強せずにイタリアの語学学校でゼロから勉強するとなると、さらに大変でしょう。逆に、週に2時間でも3時間でも、数週間、日本人、あるいは日本語の分かるイタリア人で、さらに外国人へのイタリア語の教育法を学んだ先生に教わっておくと、身につく語彙や表現、文法事項も、すべてイタリア語で行われる授業を聞いて理解できることも、イタリア語で話せることも、はるかに多くなるはずです。

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 遠い昔、愛媛大学教育学部の国語学の授業で、方言について学んだときに、西条の方言では、「東京へ行く」などという際の助詞として、「へ」や「に」の代わりに「い」と言うと聞いて、ひどく驚いたことがあります。「そんなこと、まったく知らなかった」と、わたしが言うと、それを聞いた西条出身の友人から、「何言うとん。わたしいつも『い』ゆうとるのに」と言われて、さらにびっくりしました。文脈から、「〜へ、〜に」と言っていると思い込んでいたので、友人がいくら「い」を使っても、わたしの耳には、「へ」や「に」と聞こえていたのでしょう。

 ある文法事項や言葉、表現を、何度も何度も耳にしていても、その違いを意識するための文法に対する注意力が、文法学習を通して培われていなければ、よっぽど語学の勘や耳のいい人、すでに似た姉妹言語を学習している人でもないと、聞き逃してしまい、結果として学び損ねてしまい、間違ったまま記憶に刻んでしまい、そうして、いったん間違えて覚えてしまったことは、後になってからでは修正がひどく厄介なのです。そして、この「最初に間違って覚えると後が大変」であることが、わたしが、日本語を教えるときには、生徒に早くひらがなとカタカナを習得させて、読みをローマ字に頼ることをやめさせ、日本のイタリア語学習者に対しては、カタカナに頼って発音を学習し続けるのはやめましょうと言う理由でもあります。

 閑話休題。少年の来週の授業、24時間目の授業を準備するにあたって、また、夏休みの宿題の準備にあたって、これまでの授業内容を一通り確認したので、自分の覚え書きとして、また、かなり特殊な学習・授業の在り方なのですが、ひょっとしたら、いつかどなたかの参考になることがあるかもしれないと思い、書いた記事です。後半部分では、つい常々考えていることを、力説していまいました。

 写真はすべて、先日ラクイラの日本料理店で食べたときのことを語った記事(リンクはこちら)で使用した写真を、再利用しています。今回は、一部を切り取って拡大したり、日本語学習に役立つように、ひらがなやカタカナ、漢字で飲み物や料理の名を添えたりしてみました。

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Dopo 23 ore di lezione di giapponese ora il mio allievo di 12 anni sa parlare in giapponese
della preferenza dei cibi e delle bevande, della sua abitudine alimentare oltre a salutare e presentarsi, parlare di sé dalla nazionalità all'età, dalla famiglia alla città dove vive.
Su questi argomenti sa conversare, leggere e anche scrivere, perché ha imparato a scrivere la maggior parte degli alfabeti hiragana e ora sta imparando anche gli alfabeti katakana.
L'entusiasmo del ragazzo continua ed ecco perché i suoi genitori hanno deciso di consentirgli di studiare il giapponese con me finché ne abbia voglia e ne sono molto contenta
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Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by nonkonogoro at 2019-06-20 09:42
他国の言葉を学習するのは
本当に楽しいですね。

今私は 日本語教師養成講座の通信教育を受けていますが
母国語である日本語を じっくり見直すことができて
楽しいです。 

各国の言葉で 自己紹介などできたら
楽しいだろうなと思います。
簡単な挨拶(こんにちは)だけは 英語 ドイツ語 フランス語 イタリア語で言えますが でも。。。 ハローだけで通じるような気もします(笑)

スイスの山などで 外国の方とすれ違う時に
堂々と日本語で言えない小心者です。
皆さん母国語で 言われてるのにねえ。
Commented by 3841arischan at 2019-06-20 16:30
こんにちは^^
母語により、外国語の習得にかかる時間が違うということ
何となく感じてましたが、なおこさんの説明でよく理解でしました(^^♪
なおこさんが、日本語を教えている少年、やる気があるとは言うものの、少ない時間でかなり習得してるのは、やはりなおこさんの日本語教師としての力量だと思います♪
イタリア語が堪能な日本語教師、なかなかいないと思います♪
そして、なおこさんは、日本語の教師として高校で教鞭をとられてたので少年はラッキーだと思います(*^^)v
ますます少年が日本語の勉強が好きになり、上達することを願っています♡
Commented by milletti_naoko at 2019-06-21 05:37
のんさん、外国語を勉強すると、世界が新たに広がり、旅での会話や原語での本や映画の鑑賞もできていいですよね。

スイスの山では、皆さんが母国語であいさつをしているとは、おもしろいですね。一度フランスのアルプスで、登山中に会った人と英語かフランス語で話していたら、実は相手がイタリアの人だと分かって、二人して笑ってしまったことがあります。
Commented by milletti_naoko at 2019-06-21 05:42
アリスさん、実は、日本語と中国語は、言語類型から見て、イタリア語から最も隔たった言語であり、そのためにイタリア語学習においての苦労が多いと言われているんですよ。シエナ外国人大学が実施するイタリア語検定では、そのために、入門レベルに至っては、日本と中国の学習者を対象にした試験があるほどです。イタリアの人にとっても、ということは、日本語の習得はなかなか大変だということだと思います。

ありがとうございます。本当にしっかりと身につくためには、もっと練習を繰り返す必要があるのですが、飽きないようにと先に進んでしまっているんですよ。高校で教えていたことは、特に今日も教えたN1、日本語能力試験の上級の試験の合格を目指す若者を教えるのに、役に立っているように思います。
Commented by PochiPochi-2-s at 2019-06-22 16:38
おもしろいなぁと興味津々で読ませていただきました。
写真に言葉を入れているのを見てふっと思い出したことがあります。

ひとつは、夫が元高校教師(英語)だった関係でALTとして働くの外国人
がよく遊びにきました。彼らの大半はひらがなカタカナまでは覚える
ことができ、その読み書きもできたのですが、漢字になった途端、難しいと
習得を諦めました。漢字は絵のように見えるらしいです。
難しいのでしょうね。

またアメリカで仕事のために10年以上暮らした弟の子供が帰国した時には
小5になっていて、漢字が覚えられず、苦労していました。日本人がほとんど
いない地域に住んでいたので現地校に通い、英語は日常語になり、日本語は
だんだんと使えなくなっていったようです。漢字には湯桶読み、重箱読み
などの音訓入り乱れた読み方があるのでそれがなかなか覚えられず、
いまだに日本語の理解力は?と首を傾げたくなるような時があります。
漢字って難しいのでしょうね。

最後に、日本語教師の先生方が日常生活のすぐに役に立つようにとと
スーパーのチラシを使って商品の名前(特に食品)や数字を教えていました。
留学生や海外からの駐在員の奥さんたちには必要ですから。
裏に厚紙を貼り、カードにしていました。便利だと言ってました。
昔ピアノを習い始めた頃使った音符カードを思い出しました。

Commented by milletti_naoko at 2019-06-24 17:41
PochiPochi-2-sさん、そうだったんですね。わたしが愛媛県の高校に勤めていた頃は、AETと呼ばれていたALTの先生たち、やはり仕事も研修もいろいろとあって忙しいので、日本語の漢字を覚えるのは、なかなか大変なのでしょうね。学校や大学で教える場合は、少しずつ導入していくと、比較的きちんと覚えて、書けるようになっていくんですよ。毎回の授業で導入する漢字は、日本の国語の授業を考えると、ぐっと少ないのですけれども。

欧米の言語では、表音文字のアルファベット一つですべてをまかなうので、表音文字にアルファベットの倍の文字数があるひらがなとカタカナが2種類あり、その上に表意文字である漢字がある日本語は、文字体系が学習において難しい点の一つになると思います。文法や語彙もまた大いに違うので、特に日本に滞在して仕事をしているからと、まずは言葉や会話に重点を置くと、漢字や読解・書くことの学習は優先度も低くなってしまうのでしょう。少しずつ読むこと、書くことで力はついていったかと思うのですが、甥御さん、何かとご苦労が多くて、それでは大変ですね。

スーパーにチラシは、外国語学習や外国語教育に大いに役立ちますよね。わたしも、授業中によく利用しています。
Commented by cocue-cocue at 2019-06-26 02:19
なおこさんの解説がとても分かりやすかったです。

私は通った中学独自のメソッドで、3年間英語のみを使った授業で英語を学びました。会話力、聞き取り力はかなりつきましたが、文構造への理解は高校からの日本語による解説ではじめて深まった気がします。大学の卒論で英文法の一構文をとりあげたのも、たどるとこの辺りがきっかけかもしれません。

その後、ドイツでホームステイした1年間、実地で学び[帰国後も講座をとりました]、成人してからゼロから中国語とイタリア語を教室に通って学びました。いずれも初歩段階は日本語が堪能なネイティブの専門講師の先生から学んだので、10代の頃の2つの外国語とは異なる形の習得だったように思います。

私にとっての語学を学ぶモチベーションとは、伝えたいことをより的確に伝えたい、というのが原点で、その後は語学そのものを学ぶことの楽しさも知りました。
最近は定期的に学ぶ外国語はないのですが、メッセージが伝わるかどうかは、日本語を含めてどの言語を使うか、ではないのかも、と痛感する機会が増えています。やはり、通じない人には日本語でも通じない。

語学の世界は本当に奥が深いので、なおこさんの書いておられる指導の工夫や考え方を拝読するのはとても楽しいひとときです。
Commented by milletti_naoko at 2019-06-26 04:13
cocue-cocueさん、日本の中学校の英語教育としては、特に学ばれたであろう頃を思うと、とても斬新な教育法ですね。ゼロから、学習対象となる外国語のみで授業を受けると、特にネイティブの先生による授業であれば、イントネーションや発音、そして聞いて概要を理解する力は育つのですが、文法を自身で正しく分析し身につけるのは、やはり難しいことと思います。イタリア語を勉強していて出会った日本人の方で、ゼロからイタリアで学んだ方は、得てしてこういうときにはこう返すという決まり文句の習得や発音はよいのですが、会話が多岐にわたると聞き取りが難しいようで、苦労されていました。逆に、日本で独学や大学などでイタリア語を学んでから留学した方は、正しく話そうという意識もあって、話し方がゆっくりだったり、発音や会話の聞き取りが難しかったりはしましたが、最終的には上達が早く、助詞や冠詞、動詞の活用や形容詞・過去分詞と名詞との数・性の対応など、文法的にきちんとしたイタリア語を話せるようになる傾向がありました。実際には、会話と文法は車の両輪であって、どちらか一方だけではバランスの取れた語学力が身につかないと、近年の外国語学習・外国語教育研究では言われています。

伝えたいことをより的確に伝えることは大切ですよね。言葉は結局は、思いや考えを共有したり、発信したりするためのものですもの。わたし自身も、初めは旅先でできるだけ現地の人と直接話をしたいという思いから英語の再勉強を始めたのが、国語の教員であることもあって、学習する言語を使用する状況や相手に応じて、きちんと話せるようになりたいと考えるようになり、発音やイントネーションの習得も重視しつつ、文法学習や学習する言語での読書も、積極的に行ってきました。母語で論理的に考え、人に分かるように話したり、人の話を理解したりできること、そして、それに必要な語彙力や考察力があることが、外国語をしっかり身につけるための必要条件だとわたしも思います。母語でできないことが、外国語でできるようになることはまずありません。日本語よりも、イタリア語の方が度胸が出て、自分の意見をしっかり主張できるということはあるかと思うのですが。

楽しんで読んでくださっと知って、わたしこそうれしいです。ありがとうございます。
by milletti_naoko | 2019-06-19 17:07 | Insegnare Giapponese | Comments(8)