2019年 08月 12日
はじめまして、新しい日本語入門者2時間目の授業
「大人になって、すでにある言語を母語として習得したあとで、新たに外国語を学習すると、母語の発音やイントネーション、文法などの慣習を、学習中の外国語にもついつい反映させてしまいやすく、中でも音声面での母語の影響は最も大きい」と、母語の転移(language transfer)について、様々な授業で学んだのは、それからもう何年も経ってからでしたが、そのたびに、ふとあの内子の方の言葉が頭をかすめました。会話や演説、朗読など、様々な英語の音声に聞き慣れていないと、それぞれの単語の発音がたとえきちんと分かっても、それを文や会話として発音する際には、つい自分の母語のイントネーション、日本語や方言のイントネーションに乗せて発音してしまう、そういうことがあるのでしょう。
高校生の頃、英語の成績はよくても、聞くことも話すこともさっぱりできなかったわたしが、大学でドイツ語を学び始めたときには、きちんと聞いて話せるようになりたいと、NHKのドイツ語講座を受講したり、ドイツ語の歌をあれこれ何度も聞いたりしたのは、外国語のイントネーションや抑揚を学ぶ必要を、経験から感じ取っていたためでしょう。
社会人4年目で、勤務校が変わったとき、元の高校で同僚だった英語を教えていた先輩と、赤毛のアンの舞台、プリンス・エドワード島をいっしょに訪ねようと約束したのですが、彼女が英検1級を受験するほど勉強熱心だった方だったこともあり、会話に置いてけぼりにされぬようにと、わたしもヒアリング・マラソンを受講し、かつ英語の原書を簡単なものから少しずつ読み始めて、英語が話せるようになろうと勉強に励んだのですが、「話せるようになるためには、ネイティブが会話や朗読などで、どんなふうに話したり読んだりするかというイントネーションの流れを耳で学ぶ必要がある」ことは、おそらく、ヒアリング・マラソンの受講前から自分なりに悟っていて、受講中にそれをさらに確信したように思います。
外国語学習において、特に音声面で母語の干渉が大きいことを授業で学んだのは、その後さらに10年近く経って、12年勤めた高校教師の職を辞してイタリアに留学し、大学や大学院の課程で、外国人に対するイタリア語教育法を専攻していたときでした。
日本語を教えるときには、できるだけ早いうちにひらがなとカタカナを習得して、ローマ字読みに頼らずに日本語が読めるようになりなさいと言い、イタリア語の個人授業やイタリア語学習メールマガジンでは、カタカナ読みに頼らずにすむように、イタリア語の発音の決まりを早く覚えましょう、そして、様々なイタリア語の音声に触れましょうと勧めているのは、イタリア語でも用いるアルファベットや、日本語の文字であるカタカナの表記で発音を学ぶと、ただでさえ大きい母語の発音への影響がいっそう大きくなり、また、一度間違って、あるいはいいかげんなまま身につけてしまった発音は、後から修正するのが非常に困難だからです。
イタリア語も日本語同様、子音+母音という構造を持つ音節が大半であるものの、イタリア語には日本語と違って、たとえばpastaのsのように、次に母音が来ずに、子音が続く単語も多々あります。この読みをカタカナ表記で覚えてしまうと、けれども、カタカナでは「パスタ」と、イタリア語にはないsに続くウの母音ごと発音を習得してしまうことになります。また、イタリア語では、hは文字表記として存在してはいても発音されない音であるために、ただでさえhの音の聞き取りや発音に苦労するイタリアの人が、「はい」をローマ字表記のhaiを通して覚えてしまうと、「あい」と発音してしまいがちになります。また、イタリア語では単語の最後から二つ目の音節にアクセントが置かれる場合が多く、その音節が開音節(母音で終わる音節)である場合には、母音が長く発音されます。日本語を知らないイタリアの人が、日本語の「さようなら」や「大阪」を「サヨナーラ」、「オザーカ」と発音しがちなのは、そのためなのですが、たとえ日本語を学習していても、読みをいつまでもローマ字表記に頼っていると、イタリア人学習者は、そういうイタリア語の発音の癖を、日本語を話すときにも持ち込みがちです。もう10年近くも前の話ですが、ペルージャ外国人大学で、日本語・日本文学の授業中、あるイタリア人男子学生が、点呼に「はい」と答えるつもりで「あい」と返事をし、喫茶店での注文の会話演習をしていたら、「コーヒーください」と言うつもりで、「こいください」と言ってしまったことがあります。そのとき、「イタリア人は女たらしという偏見を持つ日本の人もいるので、愛や恋をむやみに口にすると誤解されかねませんよ」と、冗談めかして注意を促したという話は、以前にも記事にしています。この学生は、日本文学の試験ではほぼ満点のすばらしい説明をしたものの、日本語の筆記試験については、問題用紙を回収すると、問題文の日本語の下に、本人がローマ字で読みを書き込んでいるところが多くありました。
閑話休題。と言うわけで、原則的には、日本語の授業では、生徒がひらがなやカタカナの読みをひととおり学んだあとで、会話などを学習していきたいところなのですが、個人授業で、週あたりの授業時数が少ない場合には、ひらがなやカタカナの授業ばかりではつまらないでしょうし、本人が日本語を学んでいるという充実感が感じられない恐れがあります。今は13歳、昨年は12歳だった少年の場合には、そういうわけで、すぐに教科書の課には入らずに、本人が自分の名前や国籍、年齢、好きなものなどを、毎週少しずつ言って書けるようになることを目標とし、、そのために必要なひらがなやカタカナを、授業中に、少しずつ導入していきました。これは、この少年の授業は、昨年始まった段階では「誕生日の贈り物」とのことで、何時間授業が続くか、さっぱり見当がつかなかったからでもあります。
一方、つい最近教え始めたばかりの、明朝2時間の授業がある若い女性については、教科書『まるごと』のオンラインで利用できる音声ばかりではなく、インターネットで見つけた教材を、積極的に活用していることが、やりとりしたメールから分かり、また、初めての授業中に彼女から受けた質問から、耳から入ってくる音声にとても敏感だということが分かったために、ひらがなをサ行までしか学んでいない段階ではありますが、あえて、少し長い『まるごと』の第3課の「はじめまして」の会話を、授業で取り上げることにしました。
教科書では、この会話の後に、さらにそれぞれの仕事について、紹介や質疑応答が5行続くのですが、最初からそれをすべて学習教材としてしまうと、生徒さんが自分の耳やひらがなではなく、ローマ字読みに頼ってしまうことになりかねません。
そこで、教科書のサイトに音声もある導入会話のうち、まずは冒頭の2行だけを学ぶことにしました。生徒さんが、興味のあるアニメなどを通して、「…です」や「わたしは」という表現をすでに耳にしていることは、前回の授業で分かったので、そういうことも踏まえて、授業をするつもりです。
わたしの方から、すべての文や言葉の説明をする代わりに、「これは二人の人が初めて出会ったときに交わした会話です」という説明の後で、会話を聞いて、二つの問いに答えてもらうことにしました。それぞれの言葉を言った人の名前は何か、そして、日本語では、初めて会ったときに、どういう言葉を使うかというのがその問題なのですが、こういう方法を取るのは、自分の頭で考えた方が、ずっと記憶に残りやすく、また、そういう過程を経れば、ローマ字読みに頼らず、ひらがなと音声をそのまま関連づけて覚えやすいだろうと考えたからです。
学校の宿題や勉強もある中学生の少年と違って、同じ入門者でも、今は夏休み中で学習する時間も意欲もあり、また音声を重視していて、インターネット上の学習教材を利用するのに慣れていることが分かっているため、そういう新しい生徒さんの事情や個性を踏まえて、授業を準備してみました。
最初の授業は、とても楽しかったですと、授業の後にていねいなメールをもらい、またこんなオンライン教材を見つけました、これはどういうふうに勉強したらいいですかなど質問もあったので、すでに何度か、そうしたメールに返事をしています。明日の授業も楽しんでくれますように。
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Scoprendo da sola il meccanismo della lingua e il significato delle parole,
la mia nuova allieva imparerà il giapponese più facilmente con più piacere.
Così, invece di introdurre una conversazione lunga con spiegazioni,
ho deciso di farle indovinare come ci si saluti e
come ci si presenti al primo incontro in lingua giapponese.
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新しい教材もどんどん開発されていますし、学生によって興味の対象も違いますが、どうすればより楽しみながら勉強できるか、試行錯誤の日々です。(それも楽しんでます^^)
最後の課題を提出しました。
難しかったです~Ψ( ̄∇ ̄)Ψ
スイスでトイレに入る直前に
夫と話していて その返事「はい」と言いながら
部屋のドアを開けたら~
中で順番待ちをしていた外国の方が「ハイ!」と言ってくれたので びっくり~ 面白い経験でした。
今まで 「はい」と 「Hi!」が 同じだと
認識していなかったのです。
私の英語も関西弁かもしれません(笑)
カタカナ語となっている和製英語は
関西と関東では 全てと言っていいほどアクセントが違います。 関西弁の方が 英語に近いこともあります。
目の前の相手によって、同じ入門でも授業の在り方や教える内容が変わっていきますよね。大変ではありますが、それがまた楽しく、生徒が目を輝かせて意欲を持ってくれると、それがまた、またわたしたちのやりがいにもつながっていくのでしょう。
東西の発音の違い、おもしろいですね。発音はイタリア語でも、イタリア半島の北から南まで、同じラテン語から発展・変容してできた言語とは言え、1861年までは政治的に分断されていて、別々の言語が話されていたため、各地で話される言葉に、それぞれの地方色があるんですよ。