2019年 11月 20日
イタリア 女性による女性の写真展、参加するわたしの俳句もご紹介
写真家、アナスタージア・トロフィモーヴァ(Anastsia Trofimova)は、「幸せの歳」(L’età della felicità)を主題に、幼い少女から白髪の老婦人まで、さまざまな年代の女性が幸せにほほえむ姿を撮影しています。あらゆる年齢において、女性が日々のささやかなできごとにも大きな喜びを感じることができること、その喜びが写真を通して見る人の心にも広がるのではないかという思いが、写真に込められています。
一方、ロレーナ・パッセリ(Lorena Passeri)は、「島の女たち」(Le donne isolane)という題のもとに、ウンブリア州、トラジメーノ湖に浮かぶ小さな島、マッジョーレ島に生き、過疎化が進んだ島で、今も島伝統のレース編みを作り続ける高齢の婦人たちの姿をとらえています。共に過ごすと心が落ち着いて、まるで家族と共にいるような喜びを与えてくれる島の女性たちの素朴さ、知恵、すばらしさを伝えようという写真家の思いが、写真の横に掲示されたパネルに書かれています。
この写真展、Donna vede donna「女が見る女」は、ウンブリア州の村、サン・フェリチャーノにある漁業・トラジメーノ湖博物館(Museo della Pesca e del Lago Trasimeno)で、11月10日から12月29日まで開催中です。写真展の題名を見て、「女、女性」を意味するイタリア語、donnaの中に、日本語の「おんな」(onna)が隠れていることに気づかれた方もいられることでしょう。
al Museo della Pesca e del Lago Trasimeno, San Feliciano, Magione (PG) 10/11/2019
11月10日日曜日の午後、展覧会場で行われた開会式には、この女性写真展の企画・運営に関わったマルコ・パレーティ(Marco Pareti)とステーファノ・ファージ(Stefano Fasi)も、地域の代表と共に演台に立ちました。マルコ・パレーティの「女性自身がとらえた女性のさまざまな姿を発信することによって、女性に対する暴力をなくすためにも、マスメディアが伝えがちな女性のイメージに対抗し、女性の優しさやすばらしさを、特にこれからの若い世代に伝えていきたい」という言葉に、わたしも改めて感動しました。
この写真展では、トラジメーノ湖周辺の自治体や文化協会などがスポンサーとなっていることもあり、トラジメーノ湖を背景とした写真が数多くあります。だからと言うわけではないのですが、子を産み育てる女性と、自然が豊かで多くの生物が生息するトラジメーノ湖、その両者の豊かさ、美しさに共通するものが多いことを、展示された写真を見ながら、感じました。
リータ・ペッチャ(Rita Peccia)は、「女性、喜びあふれる少女」(Donna fanciulla gioiosa)という主題のもと、いくつになっても無邪気な子供の心を忘れない女性とその魅力を伝えようとしているのですが、その作品でも、傘で自在にポーズを取る女性の向こうに、トラジメーノ湖が映っています。
「女性と自然の密接なつながり」(In simbiosi… donna e natura)と題するレニルダ・ザジミ(Renilda Zajmi)の作品では、空と湖の境界が溶け合い、吹く風に枝が揺れ動き、木の葉が舞う晩秋のトラジメーノ湖を背景に、女性を森や湖の精、ニンフとして描き、その美しさを讃えています。
エーレナ・サンティーニ(Elena Santini)の一連の写真の題名、Riflesso e reflexには、ちょっとした言葉遊びの要素があります。一眼レフの「レフ」に当たるreflexという語は、イタリア語のriflessoという語に対応するのですが、そのriflessoという語が、ここでは「鏡や窓に映る像、姿」という意味で使われています。「レフと映る姿」と訳してしまうと、その言葉遊びのニュアンスが消えてしまうのが残念です。女性の姿が鏡や窓に映る瞬間をレンズでとらえ、幸せな女性とはと考えをめぐらせて選んだ5枚の写真のうち、わたしの夫がとりわけ魅かれたのが、この1枚です。パネルの写真家の言葉にも、幸せの頂点は、孫たちへの愛情に瞳が輝く女性の姿にあると書かれています。
「しぐさ、身ぶり」を意味する言葉、Gestiを題名とするロベルタ・コスタンツィ(Roberta Costanzi)の写真では、女性らしいさまざまなしぐさや動作、慌ただしい世の中だからこそ、ふと女性が取りがちな、官能的要素もあるゆっくりとしたしぐさに、焦点を当てています。
それぞれの女性写真家の一連の写真の横に、題名と写真家名、作品の意図とモデル名と撮影場所を記したパネルがあり、さらに、作者名と共に、写真の心を語ろうとする詩が添えられています。
ロベルタ・コスタンツィの写真も、このグラツィエッラ・マッラマーチ(Graziella Mallamaci)が添えた詩句を読むと、相乗効果で、より心に迫ってきます。
習慣的で、注意力に欠けていて、
包み込み、手をかけ、
愛し、
動作はゆっくりと、
時に素早く、
正確で忍耐強く、
確かながら震えがち。
観察していると
時に、しずかに
笑みがこぼれる
女の
しぐさに
人生が
見つかる
(以上、石井訳)
開会式当日、多くの訪問者があったこの女性写真展に、わたし自身も、二人の女性写真家の写真作品に、日本語の俳句とそのイタリア語訳を添えるという形で参加しています。ともすると、政治も文学もマスメディアも、そして女性の在り方でさえ、男性からの視点や男性に都合のいい形で語られがちな中、女性を主題・被写体として女性が撮影した写真作品に、女性が詩を添えることで、これまでとは違うさまざまな女性像、女性の優しさや強さ、美しさを伝えて、女性に対する暴力の撲滅に貢献しようというこの写真展への参加を誘われたとき、すぐに喜んでと承諾しました。俳句で頼みたいとの話だったこともあり、イタリアで日本文学を教え、講演で、日本の俳諧や和歌を紹介した経験もあるわたしは、目的もすばらしい写真展に参加できることと共に、何らかの形で、わずかでも日本の文化を紹介できる機会をありがたいと思ったからです。
アントネッラ・マルツァーノ(Antonella Marzano)は、「母と娘」(Madri e figlie)という題のもとに、プロではなく、本当の母と娘であるモデルの女性たちを対象として、人生のさまざまな段階における母と娘の関係とその変遷を描いています。その写真のうち1枚を、わたしが添えた俳句とイタリア語訳と共にご紹介します。
quanto felice con la mamma al lago,
anche il salice non piange ma balla
2枚目のこの写真では、写真家が「少女時代、心配なしに無邪気に過ごせるとき」を伝えようとしていることを、写真に付された題から知っていました。思春期を迎え、母と娘の間に距離ができていく様子を語る3枚目との対照からも、少女の母と過ごせる喜びや母に一心に寄せる愛情を表現することを念頭に置いて、俳句を考えました。二人の服装から考えて季節は夏なのですが、背景に大きく写る柳は、そのままでは春の季語です。葉柳であれば、青々と茂るこの写真の柳にもふさわしく、夏の季語でもあるからと句に詠み込みました。一方、イタリア語訳では、柳を詠み込んだ必然性を感じさせるために、しだれ柳がイタリア語ではsalice piangenteで、直訳すると「泣く柳」となることから、「お母さんと湖で過ごせるなんて本当に幸せ、しだれ柳だって泣かずに踊ってる」と表現しました。
わたしが俳句を担当したもう一人の女性写真家は、アントネッラ・ピゼッリ(Piselli)です。太古には女性が神とされ、女性の性質やエネルギーが、宇宙をつくる四元素、水や火、空気、土と相通ずる性質を持つと考えられていたのに、男性社会の中で、女性に冠されていたそうした性質が剥奪されていったこと、そういう現代に、そのかつての神であった女性を、トラジメーノ湖のニンフ、かつ土、水、空気、火、木という太古に宇宙をつくりあげた五つの要素として描こうという構想を、初めて出会ったときに聞いたときから、自然と女性の密接な関わりに注目する点で、また、平塚らいちょうの『元始、女性は太陽であった』に通ずるものが多いこともあり、大いに共感しました。
「女性が神であったとき」という主題のもとに撮影され、送られてきた美しい写真を実際に目にした際には、同時に、その作品の背景にある女性観の変遷や、それぞれの写真で描こうとしたことを詳しくびっしりと記した資料も添付されていたので、それだけの内容を、どうやって十七字に収めたものかかなり悩みました。そこで、実際には、それぞれの写真のニンフには名前や独特の性質があるのですが、名前には触れず、ニンフを一人称として句を詠むこと、写真を通して写真家が伝えようとすることを、写真と俳句が補い合いながら表現できることを念頭に置いて、俳句を考えました。
tramonterà il sole, si trasformerà tutto,
ma io sarò ferma qui come roccia
二人の女性写真家が、一連の写真を通じて伝えようとしたことやその意図は、写真展に掲示されたパネルに記されているのですが、一つひとつの写真を通じて表現しようとしたことは、わたしだけが文や言葉で書いた説明を受け取っていて、その説明を踏まえて、言わんとすることの一部は写真そのものに委ねながらも、十七字という短い言葉の中でどう表現するかを考えました。この「大地」(Terra)と題する作品の説明は題・副題を含めて8行あったのですが、核となるのは最後の2行にある、「あらゆる女性に認められる堅固さ、忍耐、強さの象徴としての岩に腰を下ろし」という部分だと考えて、その主旨を句で表しました。アントネッラ・ピゼッリの作品は、どれも四季と時代を超越した、普遍的なものであると考え、写真に添えたどの句にも、季語は配しませんでした。
この写真展、Donna vede donnaは、写真や詩が伝える女性像を通して、女性の優しさや美しさ、すばらしさを、まずは地域に、そして世界に向けて発信していくことを目標に掲げていて、現在開催中のサン・フェリチャーノに続いて、やはりトラジメーノ湖畔にあるいくつかの市町村や島で催されたあと、ペルージャ、そして、ウンブリア州外、外国での開催も予定されているとのことです。
この写真展の心が、そしてこうした動きが、イタリア全体に、そして世界に広がり、偏りのない女性像、男女差別のない世の中が、少しずつでも実現していくことを、心から願っています。そして、この写真展に参加することができたことを、光栄に思っています。
*******************************************************************************************************************************
Donna vede donna, mostra collettiva fotografica corredata da versi, San Feliciano, Magione (PG) 10 novembre - 29 dicembre 2019
Integrando le fotografie di altre quattro fotografe, i miei due haiku e la loro traduzione in italiano, ho riscritto e ampliato l'articolo precedente sulla mostra alla richiesta della redazione di HuffPost Giapponese alla quale avevo proposto il mio articolo dell'11 novembre sulla mostra.
Stamattina la redazione mi ha risposto scrivendo che dopo la discussione ha deciso di riportare il mio articolo precedente aggiungendo il link per questo nuovo articolo e le ho risposto Okay. L'articolo ampliato è molto più lungo e ricco, chi è interessato alla sintesi, all'articolo di prima, leggerà anche questo nuovo. Poi questo articolo rimarrà comunque sempre sul mio blog visitato da circa 300 persone al giorno e in futuro metterò il link anche a un nuovo numero della mia newsletter per i giapponesi interessati alla lingua e cultura italiana la quale attualmente ha 747 abbonati. Vi informerò quando HuffPost Japan avrà riportato il mio articolo in futuro.
*Nota del 22/11/2019
E' pubblicato ieri il mio articolo sulla mostra, Donna vede Donna su HuffPost Japan. Ecco il link per l'articolo su HuffPost Giappone:
https://www.huffingtonpost.jp/entry/story_jp_5dd61071e4b010f3f1d274d7
*******************************************************************************************************************************
関連記事へのリンク
- 女が見る女〜女性写真展にわたしも俳句で参加、イタリア トラジメーノ湖 / Donna vede Donna. Mostra collettiva fotografica corredata da versi (7/11/2019)
- 女性の視点・優しさ・美を地域に世界に、女性写真・詩の展覧会 イタリア トラジメーノ湖 / Inaugurazione della mostra, Donna vede Donna (10/11/2019)
- 女性写真展 「女を見る女」 地域・世界へ、ハフポスト日本版に掲載していただきました / Mostra Donna vede Donna su HuffPost Japan (22/11/2019)
↓「女性が神であったとき」の写真・俳句すべてを掲載 / Tutte le foto & haiku di "Quando le donne erano Dee"
- 女性が神であったとき 写真 アントネッラ・ピゼッリ 俳句・伊訳 石井直子 / "Quando le donne erano Dee" fotografie di Antonella Piselli & haiku e traduzione di Naoko Ishii (25/11/2019)
↓「母と娘」の写真・俳句すべてを掲載 / Tutte le foto & haiku di "Madri e Figlie"
- 母と娘 写真 アントネッラ・マルツァーノ 俳句・伊訳 石井直子 / "Madre e Figlie" fotografie di Antonella Marzano & haiku e traduzione di Naoko Ishii (30/11/2019)
ならばmaをつければマドンナになりますでしょうか
ベネチァで高潮の被害がでているとか 被害にあわれた方へ
お見舞い申し上げます masa
写真も、俳句も素晴らしいですね。
写真家の意図する気持ちと、なおこさんの俳句がぴったり合ってると思います。
11月29日の日本出発で予定を立ててましたが、仕事が入ってしまい、
年末のケニアにも、ヨーロッパにも行けなくなってしまいました。
また来年仕切りなおします。
とても良い企画だったようで、皆さんの笑顔から伺えました。
お疲れ様でした。
俳句の季語は初心者には難しいですよね。まして異国の地ですから無季俳句が無難なのかもしれません
私も以前写真俳句のグループを毎年やっていました。
写真俳句のコツはべたに画像の説明をしないことです。
微かに匂う程度、これが難しいですけどね。
次回の挑戦楽しみにしています。
お疲れ様でした。
アントネッラ・マルツァーノさんの柳の木と母娘の一枚は、ほほえましい一枚で好みです。「柳が泣かずに踊っている」という意味のイタリア語の訳文も、原文の俳句も写真にぴったりで素敵ですね!センスがなければこうはいかないでしょう。
アントネッラ・ピゼッリさんの写真と俳句とその訳文は「かつての神であった女性」という題名にぴったりはまって、美しい湖岸で動かない意志を感じました。
とても面白い試みでしたね!イタリア中で大反響になるように期待し、お祈りしています。
ありがとうございます。ベネチアのみならず、イタリア各地で竜巻や洪水などの被害が相次いでいて、わたしも、これ以上の被害が出ないことを祈っています。
長い間、写真俳句のグループをされていたんですね! 温かいお言葉をありがとうございます。
ありがとうございます。こういう新しい試みが反響を得て、また他の方や別の地域や国でも、続々と行われ、世の中が少しずつ男性にも女性にも暮らしやすく生きやすいものに変わっていくことを、わたしも祈っています。
バイリンガル短歌から枕詞がなくなるように
バイリンガル俳句から季語がなくなるのも
国際化の流れでしょうか。
自由律や、自由な行分けも進行中です。
なおこさんの柳の俳句から、シェイクスピアのオセローの柳の歌を思い出しました。英語でもweeping willowですね。
機知に満ちた、はつらつとした素敵な俳句ですね。
内容からも、2行句の形がぴったりだと思います。
写真から俳句を詠むときも、さすが、深く考えておられるのですね。
日本では屏風絵から和歌を詠む伝統がありますから
写真俳句もじつは伝統的なスタイルという気がします。
近代俳句(短歌)は詩歌の自立を重んじますが
贈答歌(句)や写真俳句(短歌)もずっと続く気がします。
外国語部分に日本語にはないフレーズを補うことも、私自身ときどきあります。
si trasformerà tutto
「万物流転」を思わせるこのフレーズが入ることで
外国語圏の人々に分かりやすくなったと思います。
勉強途上の身には、とても刺激になり、いろいろ学ばせていただきました。また再読に来ます。ありがとうございます。
シェイクスピアのオセロの柳の歌ですか。これからまた調べて拝読しますね。古今集が好きで、伊勢物語の東下りなど、折り句や掛詞が出てくる歌をよく授業で教えたこともあって、俳句ではありますが、こういう言葉遊びが思い浮かんだのかもしれません。
ふだんからブログの記事をFBなどで共有するときに、サムネイル映像にある写真を主題としたイタリア語の若干リズムのある詩のような言葉を添えて紹介して、イタリアの友人・知人たちが、写真や記事に興味を持ってくれるように工夫していたら、その詩がいいとほめてくれる、今は退職をしたイタリア人の学校の先生がいます。イタリアの古典・近現代文学での詩作品もいろいろ学んだのですが、わたしはおそらく、古典の授業で何度も音読した漢文や古文、中学校の頃から親しんだ小倉百人一首に、社会人になってから始めて熱中した競技がるたを通して、自分が文や詩を書く際に、詩についてはそれがイタリア語でも日本語でも、何か自分の中に、基準とする、これが流れや響きがよい、ここからは外れないようにと思うリズムができて、そのリズムを大切にして、ブログの題を考え、文章を書き、イタリア語でも詩のような写真と記事の説明を書いています。イタリア語による俳句の訳でも、わたしは言葉と共にその自分が心地よいと思うリズムも意識していました。
こちらこそ、俳句を詠むなんて、わたしが代表でそんなことをしていいのだろうかと思いつつ、すばらしい催しに参加して貢献できる機会だからと、清水の舞台から飛び降りる心持ちで詠んだ俳句とその訳に、専門とされるsnowdrop-naraさんからコメントとご教示をいただけて幸いです。ありがとうございます。