イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

疫病 イタリア文学とポール・バーホーベン新作映画 ペルージャで撮影に遭遇

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 新型コロナウイルス感染が広がり、東洋人差別が見られ始めたというニュースを見聞きしたとき、すぐ頭に浮かんだのは、ハンセン病患者が差別され遠ざけられ苦しんでいた13世紀に、虐げられた人々のそばに行って手を取り、兄弟と呼びかけたアッシジの聖フランチェスコのことでした。

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San Francesco abbraccia Cristo che gli appare sotto l'aspetto del lebbroso (a destra)
Santuario della Verna, Chiusi della Verna (AR) 29/1/2015

 イタリアと疫病と言うとまた、特に文学の世界で思い浮かぶのは14世紀半ばに多くの犠牲者を出したペストです。イタリア語の父と言うと、すぐにダンテを思い浮かべる人も多いかと思います。15、16世紀のまだ政治的に分断されたイタリア半島で、活版印刷技術が発達し、半島全体に共通する言語で印刷をしようと考えられたとき、議論の末に、14世紀フィレンツェの文学者の作品の書き言葉を範とすることに決まりました。その14世紀フィレンツェの文学者には、ダンテと共に、ペトラルカ、ボッカッチョも名を連ねていて、19世紀に生まれた新生国家イタリアの共通語としてのイタリア語もまた、この14世紀の文学者たちの作品の書き言葉に負うところが多く、ゆえにこの3人がイタリア語の父と言われています。ボッカッチョの代表作、『デカメロン』は、1348年にペストが猛威をふるうフィレンツェで、10人の若者たちがペストを逃れて町から遠い館へと赴き、郊外の館に滞在した10日間に、それぞれが語った物語を収めるという形式を取っています。


 また、ペトラルカの『カンツォニエーレ』でも、南仏アヴィニョンで出会ったペトラルカが恋い焦がれた女性、ラウラが1348年にペストで亡くなったための悲嘆や心境の変化が、詩を通じて語られていて、イタリア語の父と言われる文学者たちの作品には、14世紀のヨーロッパを襲ったペストが色濃く反映されているのです。

 イタリアで多くの被害をもたらしたかつての伝染病に想いを馳せていて、ふと、2018年8月にペルージャの中心街で撮影されていた映画の場面を思い出しました。

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Centro Storico di Perugia 8/8/2018

 この日は、奥さまのお仕事でペルージャに滞在されるご夫婦に通訳として同行し、この風景を背景に、お二人の記念写真を撮影しました。奥に見えるフタコブラクダのコブのような山が、わたしたちの改築中のうちがあるミジャーナが中腹にある山、テッツィオ山です。

 この日はお二人のご希望で、重たいイタリア料理に胃がもたれたので、日本料理が食べたいということだったので、中心街にあるなんちゃって日本料理店へと長い坂道を下って昼食に行きました。昼食後は、おみやげを購入したいとおっしゃるので、目抜き通りに向かって、長い坂道を登っていると、

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こんな情景が目に入ってきたので、一瞬驚きました。かつて伝染病患者が出た家にはバツ印をつけていたことは、以前にどこかで聞いたことがあり、衣装から考えて、何かの撮影をしているのだろうと分かりました。

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 どうせ長い坂道を登るなら、下ったときとは違う道を通って、ペルージャの美しい町並みを楽しんでいただこう、写真も撮影していただこうと考えて選んだ道で、アーチや町並みはいつものように風情があるのですが、下方に病に倒れる人形の姿が見えます。

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 それまで目にした情景と粗末なつくりから、見てすぐに、マンゾーニの『許嫁』に、ペストに倒れた人を山積みにして運んでいたという描写があった荷車を連想しました。今改めて写真を見ると、覆いがあるので、荷車ではないようではあるのですけれども。

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 せっかくだからぜひ見て写真も撮っていただきたいと思っていた中世の大噴水やプリオーリ宮殿は、けれども、映画の撮影かつ準備中で、立ち入りも撮影もできないようになっていました。場面を撮影してはいけないと言っていたのですが、これだけ遠くてごく小さく一部が頭の向こうにのぞいて見えるくらいなら大丈夫でしょう。

 2年も経ったのだから、すでに上映されただろうから、記事にしようと思って調べたら、監督の健康上の理由のために、公開が今年、2020年になったと知って驚きました。

Prime immagini di BENEDETTA il nuovo film di Paul Verhoeven, posticipato al 2020 per permettere al leggendario regista...

Pubblicato da Amore cinema su Domenica 19 maggio 2019


 次のオンライン新聞のFB投稿には、マスコミには撮影が許可されていたのでしょう。このときの映画の撮影風景をとらえた写真があります。


 大噴水も大聖堂もプリオーリ宮殿も、今も中世の頃とほぼ変わらない姿を見せてくれるのですが、残念なのは、ちょうどこのとき、本来なら青銅色をしているはずの大噴水のブロンズ像の複製が、水道管の腐食のために変色して黄色くなってしまっていたことです。(記事はこちら

 この日ペルージャで、オランダ出身の映画監督、ポール・バーホーベン(Paul Verhoeven)が、17世紀のイタリアを舞台とする映画、『Benedetta』を撮影していたことは、今この記事を書くにあたって調べていて、初めて知りました。このことは、上のFB投稿中のリンク先記事に書かれています。記事ではさらに、同監督の代表作として『ロボコップ』や『氷の微笑』の名を挙げ、撮影中の映画について説明をし、撮影風景の録画映像も紹介していますので、興味のある方はご覧ください。

 撮影はさらに、ウンブリアのイタリアで最も美しい村の一つ、べヴァンニャ(Bevagna)でも行われたとのことです。



 わたしがここでFB投稿を埋め込んでご紹介しているのは、投稿した業者の著作権を侵害しないためです。YouTube映像よりもFB投稿を、さらにそれよりTwitterの投稿を好んで記事に埋め込むのは、経験的に後から削除される可能性が少ないと感じているからです。

 疫病と文学作品と言えば、日本でも鴨長明の『方丈記』や芥川龍之介の『羅生門』で、疫病が語られています。それだけ時代や人々の心、人生、暮らしに大きな影響を与えるということでしょう。ハンセン病患者への差別・偏見を描く日本映画、『あん』を、わたしはイタリアで見て感動したのですが(詳しくはこちら)、最近この『あん』がなんとアマゾンイタリアのプライムビデオで見られることが分かりました。残念ながら、少なくとも今のところは、イタリア語音声吹き替え版のみであるようなのですけれども。

 いつの世にも伝染病は、人々の命や生活、社会を脅かし、また大切な命を奪ってしまいます。どうか一刻も早く新型コロナウイルス感染の拡大が収束し、世界中の人々が穏やかな暮らしを取り戻すことができますように。

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Nell'agosto 2018 camminavo nel centro storico di Perugia

accompagnando i miei clienti giapponesi e
davanti a noi sono comparse queste scene!
Il regista olandese, Paul Verhoeven girava le scene
per il film, "Benedetta" che uscirà quest'anno.
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参照リンク
PerugiaToday.it - Perugia diventa un set cinematografico, le riprese del nuovo film di Verhoeven (9/8/2018)

関連記事へのリンク
- イタリア語学習メルマガ第18号⑴「ダンテ『神曲』の冒頭を読む⑴」
- 近づく復活祭、聖金曜日とペトラルカ『カンツォニエーレ』 (2012/4/6)
- ブロンズ像元に戻って一件落着、ペルージャ 大噴水 (15/5/2019)
- タグ: 新型コロナウイルス イタリア

Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by 3841arischan at 2020-03-14 12:49
なおこさん、プリオ―リ宮殿、いつも素晴らしいなあ~と拝見させていただいてる場所で、なんと映画撮影があったのですね!この時、観光されていた方たちには、ちょっと不運だったかもしれませんが、撮影に出会う確率のが少ないから、ラッキーと捉えた方が良いかもしれませんね(*^_^*)
14世紀の疫病、その時代は、医療事情が今とは違いますから、沢山の方が亡くなられたのでしょうね~映画の描写は生生しいです(-_-;)
今は、欧州全体に広がる新型コロナウイルス、今となれば、日本は、今のところ、やり方は間違ってなかったのかもしれません!重症者に重点を置いて、軽症者は、自宅隔離(今のところは日本でも病院ですが)にして医療崩壊を起こさないように1日も早い終息を願うばかりです!
Commented by higurete at 2020-03-14 13:49
なおこさん、こんにちは。

疫病とイタリア文学についての考察、感動しました。
タイムリーに映画撮影があったのですね。
かつての死の病であったペストは、まるで今のコロナ菌の騒ぎのようです。

日本でも詩人であり、作家であり、精神科の医師であった神谷美恵子さんが、「らい者へ」というタイトルで詩を書いています。
なおこさんも書いていらっしゃるように映画「あん」のテーマであるライ病、ハンセン病の治療に従事していた医師の詩です。

何故私たちでなくてあなたが?
あなたは代わって下さったのだ、
代わって人としてあらゆるものを奪われ、
地獄の責め苦を悩みぬいてくださったのだ。

許してください、らい者よ。

と続く詩です。
この世の中でいったい何人が人の不幸を「何故私たちでなくてあなたが?」と思うことができるでしょう。
治療薬がない今、蔓延の終息を祈らないではいられません。


Commented by mahoroba-diary at 2020-03-14 16:05
なおこさん、こんにちは。
さすが、なおこさん・・・・。
聖フランチェスコ、ペストの流行の時代、そしてマンゾーニ、さらには日本の文学までに言及なさる。。。素晴らしい記事をありがとうございます。
イタリアは大変な状況に置かれているのだとお察し申し上げます。それでもこうしてお写真を拝見すると普段の日常がきちんと流れているのですよね。なおこさんのミジャーナのお宅のあるところは、遠くから拝見すると本当にお山のあるところなのですね。素晴らしい大自然・・・美しいです。
確か先日、イタリアのどこかの市長さん??お名前は失念いたしましたが、マンゾーニの作品を挙げて、人々に呼びかけの演説をしたと新聞で目にしました。こういう語り掛けができるのは欧州にはまだまだ言葉に力があり、教養が血肉になっている証と感心していました。日本の政治家からは残念ながらそのような含蓄や文化的な言葉が聴こえてこず、言葉そのものに覇気や人の命を守ろうとする気概が感じられないのです。映画「あん」は私も観ました。いい映画でした。樹木希林さんが好演していらして・・・仰る通り、ハンセン病の方々の長いご苦労を想いますね。疫病というのは社会に分断をもたらすものなのだと心苦しく痛感しています。イタリアで早く事態が収束しますように、心から願っています。
Commented by milletti_naoko at 2020-03-15 19:43
アリスさん、たまたま撮影現場の近くを通って、こんな人形がまるで本物のように道端に転がっていたので驚きました。このご夫婦は、お仕事の関係で数日滞在されていたため、わたしが通訳として食事や買い物に同行していないときに、宮殿や大噴水を見る機会があったことを祈ります。旅先で映画の撮影に出くわすなんて、確かにめったにない機会ではありますよね。昔疫病がはやったときの様子は芥川龍之介の『羅生門』にも書かれていて、現代文の教科書にあったため、よく教えたので覚えているのですが、京都の通りのあちこちに死体が転がり、積み重ねてあってと、被害者も多く恐ろしかったことと思います。

自分では気づかぬうちに感染してしまっているために、知らぬうちに多くの人に移してしまう可能性があるのが、このウイルスの恐ろしいところだと思います。イタリアでも特に症状が悪化して医療が必要とされる人以外は、自宅で静養ということになっているようです。どうか一日も早く穏やかな日々が戻ってきますように。
Commented by milletti_naoko at 2020-03-15 19:54
haruさん、こんにちは。映画の撮影があったのは2018年夏だったのですが、毎日同行通訳で慌ただしかったため、また、撮影されていたドラマか映画が発表されてから記事にしようと考えて、まだブログには書いていなかったのです。かつてのペストは死の病で、それこそ多くの人が亡くなっているのですが、現在では自分の目には見えない遠くでの感染のニュースに人々がおののくように、かつては、目の前で次々に病に倒れる人や道に積み重なる死体を見て、人々がどんなにか恐怖におびえていたことだろう、それこそ世の末だと思われたことだろうと、改めて感じています。

記事を拝読して、神谷美恵子さんが患者の方たちに接するその心や姿勢に、そして、もちろん詩にも感動しました。一人ひとりの患者を、かけがえのない尊い存在として診ることさえ忘れられがちな中、病に苦しむ人に心の奥底からの敬意を持ち、また痛みを我が痛みのように感じながら治療をされたとは、すばらしいですね。

本当に、どうか一刻も早く蔓延が収束しますように。
Commented by milletti_naoko at 2020-03-15 20:13
まほろばさん、こんにちは。そんなにほめていただいて、穴を掘って入らなければいけません。イタリアで感染者がで始めた頃、東洋人差別の報道を知り、ハンセン病患者を兄弟と呼び、傍らに寄り添った聖フランチェスコを慕うイタリアの人々がと、悲しく思ったのを覚えています。もちろんそういう人はおそらく全体のごく一部ではあるのでしょうけれども。ミジャーナとテッツィオ山は、ペルージャの歴史的中心街からそう遠くないのに、自然が豊かでありがたいことです。

心優しい人が多く、聖フランチェスコを慕う人も多いイタリアで、けれども一部政党のプロパガンダに影響されるマスコミ報道のために、近年では、敬虔な聖人を慕うカトリック教徒でさえ、戦火を逃れ命からがらイタリアにたどり着いた難民の人々や移民に対して、分け隔てなく偏見・差別的意識を持つ人が、残念ながら少しずつ増えてきています。イタリアで感染が広がり始めた頃にも、そういう状況を政治的に利用しようとする短絡思考で利己的な極右政治家が、移民排斥に結びつけていたのですが、最初のうちから、首相をはじめとして、そういう差別・偏見を許さず、国全体で互いに協力して感染を食い止めていこうという姿勢が感じられて、こうしたイタリア政府の姿勢や首相の在り方に安心感・信頼感を抱くことができました。わたしも『許嫁』に言及して生徒たちに心から語りかけた校長先生の記事を読んで、すばらしいと思いました。市民にしても学校にしても、こういう心と真の教養があり責任感ある人たちにこそ、上に立ってもらいたいものです。

ありがとうございます。終息は難しいことでしょうが、世界中で一刻も早く自体が収束しますように、わたしも心から願っています。
by milletti_naoko | 2020-03-14 09:30 | Covid-19 Italia | Comments(6)