2020年 04月 06日
枝の主日 ミサとフランチェスコ教皇の言葉、ローマ サン・ピエトロ大聖堂
枝の主日のミサでは、最後の晩餐前から主の受難、十字架でのイエスの死までを語る聖書のかなり長い聖句が読まれます。
Gesù ha provato l’abbandono totale, la situazione a Lui più estranea, per essere in tutto solidale con noi. L’ha fatto per me, per te, per dirti: “Non temere, non sei solo. Ho provato tutta la tua desolazione per essere sempre al tuo fianco”. #DomenicadellePalme
— Papa Francesco (@Pontifex_it) April 5, 2020
ミサの説教で、フランチェスコ教皇が、イエスがいかに信じていた人々に裏切られたか、そして見捨てられたかを強調したあとで、「前には闇ばかりで先が見えない、皆から裏切られて見捨てられたと感じる、そういう辛く苦しい思いと定めを、主も自らが私たちのために経験されたのです。ですから、打開策が見つからず、裏切られ見捨てられた、そういうとき、主はすぐそばにいてくださるのです。悲嘆にくれるわたしたちに寄り添い続けられるように、その苦難すべてを自ら体験されたのです。」と伝えていたのが、中でも心に響きました。
今日のウンブリア地方ニュースでは、ペルージャ、スポレート、テルニなど、ウンブリア州内各地の教会でも、枝の主日のミサが行われた様子が放映され、そして、インターネットでの生中継を通じて、多くの人々がそうしたミサに参加していたことが伝えられていました。
枝の主日のミサでは、例年ミサの前に祝福されたオリーブの枝を受け取り、そのミサの後、うちに持ち帰ったオリーブの枝を、各部屋に飾ります。
テレビでミサの放映が始まる前に、「オリーブの枝をいくつか取っておいたら、テレビを通じて祝福が受けられるかもしれないけれど、だったらあらかじめ、枝を準備しておくようにという指示があるはずよね。」と夫に言ったら、そのすぐあとに庭に出て、切り取ったオリーブの枝を数本抱えて戻ってきて、テレビの前に置いていました。
わたしは、ミサが始まってからテレビの前に立ったので見ていないのですが、夫によるとミサの前に、オリーブを祝福していたそうです。ミサが終わってすぐに、夫はさっそく、テレビ放送を通じて祝福を受けたオリーブの枝を、昨年の枝と交換していました。ミサの解説者が、「灰の水曜日に使う灰は、前年に祝福されたオリーブの枝を燃やしたものなのです。」と説明しているのを聞いて、初めてそうと知り、興味深かったです。
参考までに、2011年の枝の主日に、アッシジ郊外のサンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会の前で、祝福されたオリーブの枝を受け取ったときの写真を添えておきます。
このときちょうど、オリーブの枝を手に行進する人々が、教会に戻り、
中へと入って行くところでした。
2011年4月は、夫が友人たちと共に、ラッツィオ州のポッジョ・ブストーネからアッシジまで、聖フランチェスコの足跡をたどって、歩いて巡礼をしました。わたしは仕事で参加できなかったのですが、巡礼の最終日だった土曜日に、皆がスペッロからスバージオ山を越えてアッシジまで約25km歩いたとき、スペッロからアッシジまで、わたしも共に歩きました。
歩いてアッシジの巡礼宿に到着したその翌日、サンタ・マリーア・デッリ・アンジェリ教会まで歩いて行ったら、ちょうど枝の主日だったので、祝福されたオリーブの枝を受け取り、行進を見ることができたのです。
歌手としても活躍する修道士、フラ・アレッサンドロ(Fra Alessandro)は、かつて夫が属していた合唱団で歌っていたことがあります。この日はこのあと、リミニから来た友人たちとわたしたちに、修道院を案内して、心に残るすばらしい話をしてくれました。
枝の主日ということで、今日の散歩中に撮影した庭のオリーブの枝と葉の写真を添えておきます。夕日の光に輝く様子を撮影したかったのですが、それをねらって撮った写真は、光が強すぎるので、
日の光にきらめくスモモの花の手前にあるオリーブを写した写真を載せてみました。
ちなみに、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂の写真は、2011年10月に、ラッツィオ州のリエーティからローマまで、約125kmの道のりを聖フランチェスコの足跡を追う巡礼路、Via di Romaを歩いて、目的地だったサン・ピエトロ広場に到着した翌日に、大聖堂内部を訪ねたときに撮影したものです。
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ただいま4月6日午前9時すぎです。
荘厳な教会。イタリアの教会は良く分かりませんが雰囲気が他のヨーロッパの国の教会とは違いますね。
聖母の絵、版画ですか。とても素敵です。私の従兄はローマに留学し、ビエンナーレでローマ市長賞をとりました。日本に帰ってからは「売れない絵描き」になり果てましたけれど・・・
灰の水曜日の灰が前年のオリーブ枝を燃やしたものとは知りませんでした。これはバチカンに限ったことですか? あるいは、カトリックでは基本そういうことになっているのでしょうか。 また、祝福してもらったオリーブの枝は翌年までそのまま家に飾っておくのですか?
東京在住ですが、いよいよこちらも緊急事態宣言が出されるようで、これから時間はたっぷりあるので、この機会にカトリックを少し勉強してみたいと思っています。
版画に興味を示してくださったと知って、うれしいです。夫の遠い親戚で、わたしたちの結婚式を執り行ってくれた神父さんでありかつ画家だった故ドン・ネッロ・パッローニの作品で、今こうして記事を書いているわたしの向かいの壁にかかっています。いとこの方、すばらしい作品を創られたのですね。作品がすばらしくても、ごく一部の人だけしか知られず売るのが難しい、芸術の世界は厳しいですが、きっと今もよい作品を描かれているのでしょうね。
わたしも今回初めて知ったのですが、日本のカトリック教会だより(https://www.christianpress.jp/february-26-ash-wednesday/)にも、前年に祝福された枝を燃やして使うと書かれていて、バチカン放送局の記事の日本語訳(http://www.radiovaticana.va/japanese/japnotizie0502a/japleceneri050209.htm)にはさらに詳しい記載があり、特にバチカンという限定がないので、バチカンには限らないのだと推察します。
オリーブの枝は、我が家では翌年の祝福されたオリーブが手に入るまではずっと飾ってあります。夫の亡き伯父がカトリック教の司祭で、義家族はずっとその伯父と共に、勤務先の教会に付属する住宅に住んで、伯父の神父としての仕事や活動を支えていたため、おそらく、少なくともウンブリアでは、そうする家庭が多いのではないかと思います。
少しでも一人ひとりが屋内で過ごすことが、ご自身やご家族の感染を防ぐと共に、地域の感染を抑えて、命を救うことにつながると確信しています。どうかくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいね。
はじめまして。
たぶん前世ではイタリア人だと勝手に思っている程、イタリア大好き😍
いつか、いや近いうち、コロナが収束したらそちらに遊びに行きたいわ。
その時は、ぜひお逢いしましょうね👋
世界中でこの疫病の蔓延が収まって、いつかお会いできる日が、皆が世界を安心して旅行できるときが早く来ますように。
蘇轍の葉を使っていたんですね! クラシックと言えば、復活祭のミサで、復活の歌を初めて聞いたときには、あ、これは日本の表彰式の音楽だとびっくりしました。https://cuoreverde.exblog.jp/23872892/
こちらこそいつも興味深く温かいコメントをありがとうございます♪ こういうときこそ、花や美しい風景を、ブログにもインスタグラムにも載せていきたいと感じています。