2009年 08月 28日
第19号(1)「笑い満載 ベニーニの被災地訪問」
1.ベニーニの被災地訪問
さて、宿題としていた記事を見ていきましょう。記事へのリンクは以下のとおりです。
Benigni tra i terremotati di Onna
Le promesse vengano mantenute (Corriere della sera, 17 agosto 2009)
http://www.corriere.it/cronache/09_agosto_16/benigni_onna_04cfb91e-8a7b-11de-b377-00144f02aabc.shtml
記事の概要と読解にあたって留意すべき点については、前号に書いてあります。今号から初めて読まれる方は、まず前号をご覧になることをお勧めします。 前号「宿題: ベニーニの被災地訪問を語った記事を読もう」へのリンクはこちらです。
見出しに、“Benigni tra i terremotati di Onna”とあります。
イタリア語では地震をterremoto(「大地の動き」という意味のラテン語から派生した言葉です)といい、地震の被災者をterremotatoと言います。traは、ここでは「~の間に」という前置詞です。Onnaは今年4月6日のアブルッツォ地震で甚大な被害を受けた町の名前ですから、見出しは「オンナの地震の被災者の間に、ベニーニ(がいた)」、つまり「ベニーニ、オンナの地震被災者を訪問」という意味になります。
ただし、記事本文の最初を読むと、ベニーニがオンナだけでなくアブルッツォ州の他の町も慰問していることが分かります。ベニーニは各地で、町・建築物の残骸や再建のための工事現場、プレハブ住宅、今なお多くの人が住むテントが密集する地区(tendopoli)を訪ねて、被災者と言葉を交わし、住民を勇気づけます。上記のリンク先の記事には写真も何枚か添えられていて、ベニーニが被災者の方たちと交流している様子を見ることができます。
“Roberto Benigni abbraccia così i terremotati d'Abruzzo. ≪Controlleremo che le promesse vengano mantenute: se le cose non accadono, urlate e chiedete≫ dice l'attore agli abitanti di Onna, il paese simbolo del terremoto che ha colpito l'Abruzzo il 6 aprile. ”
「ロベルト・ベニーニはアブルッツォの地震被災者に、温かい声援を送った。『約束がきちんと果たされるように注意深く見守りましょう。もし約束どおりに事が運ばなかったら、声を上げて要求してください。』と、俳優は4月6日にアブルッツォを襲った地震の象徴である町、オンナの住人に語った。」(石井訳。以下の「 」内も同様。)
過去の出来事を、臨場感を出して語るために、動詞の現在形(abbraccia、dice)を使って表現しています。こういう現在形の用法をil presente storico(歴史的現在)と言います。動詞abbracciareは「抱擁する、抱きしめる」という意味ですが、ここでは比喩的に用いられています。この動詞はbraccio(腕)という名詞に、接頭辞a- と接尾辞-areがついてできたものです。ちなみに腕輪をイタリア語ではbraccialeあるいはbraccialettoと言います。
さて、ではベニーニの次の言葉を見ていきましょう。
“≪Sono qui, con Nastasi e Bertolaso, che ci proteggono dalle calamità. Ci devono proteggere anche dallo straripamento di Berlusconi. Bertolaso, proteggici! Berlusconi sta straripando, e in piena≫. ”
「『私は今ここに、私たちを災害から守ってくれるナスタージとベルトラーゾと共にいます。二人はベルルスコーニの氾濫からも私たちを守らなければいけません。ベルトラーゾ、私たちを守ってくれ! ベルルスコーニが氾濫している、満水状態だ。』」
ベルトラーゾについては記事の最初の部分に説明がありますが、capo della Protezione Civileです。イタリア各地で様々な災害が起こったときに市民を救済し、災害復興を援助したり、災害を防ぐために様々な調査を行ったりするのがProtezione Civileですが、ベルトラーゾはその長(capo)です。「ベルルスコーニの氾濫」とベニーニが言っているのは、 再び首相になってからというもの、ベルルスコーニがテレビや新聞・雑誌に顔を出すことが多く、地震の被害を受けたアブルッツォには復興支援と言って度々足を運んでいるためです。
“≪I comici devono far ridere, i politici devono fare i fatti. A loro i fatti e a noi le parole, ma talvolta una parola aiuta più di mille cose vere≫, dice poi più serio, rivolto ai terremotati. E ancora: ≪Dante insegna che per andare in paradiso è necessario passare dall'inferno. Voi avete vissuto l'inferno≫. ”
「それから、より真面目な表情で地震の被災者に向かってこう語った。『お笑い芸人は笑わせなければいけないし、政治家は行動を起こさなければいけません。政治家には実行、われら(お笑い芸人)には言葉(あるのみ)。でも、時には一言が幾千の現実より助けになることがあります。』そして、さらに『ダンテは、天国に行くためには地獄を通り抜けることが必要だと教えています。皆さんは(まさに、その)地獄を(地震を通して)生き抜かれました。』」
comico(お笑い芸人、喜劇俳優)、politico(政治家)という男性名詞に注意してください。どちらもアクセントが置かれるのが、後ろから3つ目の母音で、複数形の語尾がcomici、 politiciと‘-ci’になっています。
devono(彼らは~しなければいけない)という言葉が多用されています。「~しなければならない」という義務・必要を表すのに、イタリア語ではdovereという補助動詞を使います。devonoはこのdovereの主語が三人称・複数の際の活用形です。また、ベニーニの言葉にもありますが、“per ... è necessario~”(…するためには、~することが必要だ)というのも、よく使われる表現です。
“≪Ieri è venuto Berlusconi - scherza il premio Oscar per La vita è bella -, ma non mi hanno avvertito. Se venivo anch'io, c'era un altro terremoto, si verificavano delle scosse veramente... avremmo fatto Verdone, Berlusconi e Benigni: i tre più grandi comici italiani all'Aquila≫.”
「『ライフ・イズ・ビューティフル』(石井注:原題 “La vita è bella”)でアカデミー賞を受賞したベニーニはふざけてこう言った。『昨日は(ここに)ベルルスコーニが来ましたよね。でも、私には何にも連絡がなかったんです。もし私も来ていたら、別の地震が起こったでしょうね、とんでもない揺れが起こったことでしょう。『ヴェルドーネ・ベルルスコーニとベニーニ』(というショー)をやったでしょう。イタリアの三大お笑い芸人、ラクイラに集まる、ってね。』」
動詞scherzare(ふざける、冗談を言う)も、過去のことを表すのに、現在形を用いています。名詞形scherzo(いたずら、戯れ、冗談、冷やかし)もよく使われるので覚えておいてください。
イタリア人にとって、8月15日のフェッラゴスト(Ferragosto)が主要な夏の祭日であることは第18号(リンクはこちら)でも触れました。首相ベルルスコーニはかねてから「フェッラゴストをラクイラで過ごす」と公言しており、約束どおり8月15日は被災地を再訪したのですが、この日は、イタリアで喜劇映画の俳優・監督として知られるカルロ・ヴェルドーネ(Carlo Verdone)もラクイラに来ていました。ベニーニは8月16日、ちょうどこの二人が訪れた日の翌日にラクイラを訪れたため、上記のように言っているわけです。
さて、先のベニーニの発言のうち、次の部分に注意してください。
“Se venivo anch'io, c'era un altro terremoto, si verificavano delle scosse veramente...”
この部分では動詞として、従属節(Se venivo anch’io)・主節のいずれにも直説法半過去(indicativo imperfetto)が使われています。imperfetto (半過去・未完了時制)は普通「過去の人物や物事がどうであったか、その状態を描写する」のに使われ、一方、perfetto(完了時制)と呼ばれる近過去(passato prossimo)・遠過去(passato remoto)は、「過去に起こった出来事や起こされた行動」のその出来事・行為を表現するのに使います。たとえば、先の部分でベニーニは「昨日ベルルスコーニが来た」というのに“Ieri è venuto Berlusconi”と近過去を使っています。ここでは、ベニーニは「もし私も(8月15日にここに)来ていたら、別の地震が起こったでしょうね」と言っています。過去の事実に反する仮定に基づく仮定文なのですが、くだけた場面では、特に話し言葉などでは、このように、仮定文の主節・条件節のいずれにおいても直説法半過去が使われることがあります。ここで、上級者の方は、標準イタリア語の規範文法に従えば、あるいは書き言葉では、この文をどのように表現するべきか考えてみてください。
A: “Se venivo anch'io, c'era un altro terremoto, si verificavano delle scosse veramente...”
B: “Se ( 1 ) anch’io, ci ( 2 ) un altro terremoto, ( 3 ) delle scosse veramente...”
過去の事実に反する仮定に基づく仮定文(periodo ipotetico)では、条件節に接続法大過去、帰結節に条件法過去が使われます。ですから、正解は、「1. fossi venuto、2. sarebbe stato、3. si sarebbero verificate」となります。ベニーニのこの言葉を引用した記事をサイト上でいろいろ見てみたのですが、読み手に対するイタリア語教育の観点からか、記事によっては、実際にベニーニが言った言葉を、規範文法に則った表現に直して(つまり、動詞をBのように改めて)引用しています。
さて、この段落には次の小見出しがあります。
“≪PECCATO NON ESSERE QUI CON BERLUSCONI≫”
実際にベニーニが言った言葉か、記事を書いた人による要約なのか分からないのですが、「ここにベルルスコーニと共にいないのが残念です。」という意味です。peccatoは本来の意味は「(道徳や神の掟に背く)罪」であり、たとえばダンテの『神曲』(第18号を参照)に描かれた地獄の中で、人々が苦しみ悶えているのも自らが地上が犯した様々なpeccatiによるものです。I sette peccati capitali(七つの大罪)は、地獄で永劫の責め苦を受けて贖わなければならぬ罪で、lussuria(邪淫)、 gola(貪食)、avarizia(貪欲)、 accidia(怠惰)、 ira(憤怒)、 invidia(羨望)、superbia(高慢)という七つの罪があります。このpeccatoという言葉は、日常会話では、むしろ「残念(なこと)」という意味でよく使われます。人に誘われて、「行きたいのに、残念だけれど、用事がある」というときも、“Peccato!”あるいは “Che peccato!”と言って、「ああ、残念!」という気持ちを言い表すことができます。伊伊辞典『Lo Zingarelli』には次のような例文があります。“Che peccato che tu no sia qui!”「あなた/君がここにいないのが残念!」旅行先からの絵はがきにでも一言書き添えるのに便利な表現ですね。
*1万字を超えすぎる記事の投稿がエキサイトブログ ではできませんので、分割して投稿します。
続きへのリンクは、以下のとおりです。
・第19号(2)「ベニーニ被災地訪問 後編、カプリ 青の洞窟の汚染疑惑解消」
関連記事へのリンク
- 第18号(1)「ダンテ『神曲』の冒頭を読む1」 (2009/8/14)
- 第18号(2)「ダンテ『神曲』の冒頭を読む2、フェッラゴスト」 (2009/8/14)
- 大聖堂クーポラ登り、フィレンツェ ブロガー招待4 (2013/10/19)
*追記(2020年4月19日)
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