イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

第20号(2)「イタリア語の歴史とダンテ」

3. イタリア語の歴史とダンテ


 イタリアという国家が誕生したのは、1861年のl’Unità d’Italia(イタリア統一)によってですから、ごく最近のことです。イタリア全体が同一の行政下にあった時代をそれ以前に求めると、476年に滅亡したローマ帝国まで遡ります。ですから、476年から1861年まで約1400年もの間、現在のイタリアにあたる領土は、政治的・行政的に分断されていたわけです。また、ローマ帝国の8世紀にわたる支配によって、ラテン語に圧倒され、吸収されてしまったものの、ローマ帝国の支配が始まる前には、もともとエトルリア人、ギリシア人など、様々な民族がそれぞれの言語を持って暮らしていた地域でもあります。

 にも関わらず、すでに14世紀に、現在のイタリアにあたる領土とそこに住む人々に共通するものが存在していました。

“Le 《genti del bel paese la dove ’l sì suona》: per riferirsi agli italiani, in un’epoca in cui l’Italia era ancora un concetto di là da venire, Dante Alighieri usa nel suo poema questa espressione (Inferno, canto XXXIII, versi 79-80). La lingua, dunque, come punto di riferimento e il sì, la parola usata per esprimere accordo e consenso, come primo nucleo di un’identità comune alle diverse 《genti del bel paese》.”
(“Dove il sì suona. Gli italiani e la loro lingua”, Giunti, 2003)

「《sìが響く美しい国の人々》-イタリアという概念がまだ存在しなかった時代に、ダンテ・アリギエーリは、イタリア人に言及するのに、彼の長大な詩作品の中で、こういう表現を用いている(『地獄篇、第33章、第79‐80行』。)そういうわけで、『美しい国』に住む様々な『住民』にとって、(現在のイタリア語にあたる)言語はその特性を定める基準であり、『sì』という賛同・同意を表すのに使われる言葉が、彼らに共通する特性の中でも、他に先駆ける核となるものであった。」
(「 」内は石井訳。以下も同様。引用した本の題名は『siが響く土地‐イタリア人とその言語』とでも訳せるでしょうか。」

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Cappella di San Brizio, Duomo di Orvieto, Orvieto (TR) 2018/12/1

 原文にあるi “l suo poema”(彼の長大な詩作品)は、もちろんダンテ・アリギエーリ(Dante Alighieri)の傑作、『神曲』(1304-1321、原題は“Commedia”第18号を参照)のことです。ダンテは、ラテン語での著作『俗語論』(1304-1307、原題“De vulgari eloquentia”)の中で、様々な言語の分類を行っています。そして、イタリア各地の言語が、異なる言語でありながら、肯定にsìを用いる点で共通しており、互いに似通っていることを指摘します。ダンテは、死語であるラテン語に頼らずとも、当時の話し言葉であったle lingue volgari(俗語)も文学作品を書くに値する言語であるとし、当時のイタリアには14の異なる俗語が存在するけれども、各地に共通するいわば「標準俗語」、他の俗語の模範となり、文学作品や行政・教皇庁などで使うことのできる格調の高い俗語が必要だと訴えています。

 14世紀には学術論文や文学作品は古典ラテン語(il latino classico)で書かれていましたが、ラテン語を理解できるのはごく一部の教養人と教会関係者だけでした。ローマ帝国時代の話し言葉であったのは、俗ラテン語(il latino volgare)ですが、俗ラテン語は、何世紀もの時の流れがもたらす当然の変化の上に、帝国支配以前に各地で話されていた言語やその滅亡後に侵入した異民族の言語の影響も受けて、14世紀には、イタリア各地で、すでにまったく異なる新しい言語へと変貌していました。そして、当時の一般の人々が話していたのは、俗ラテン語が各地でそれぞれに変化・発展を遂げてできた新しい言語(「俗語」)でした。文学作品や各種の論文が古典ラテン語で書かれていた時代に、ダンテが『神曲』を、当時のフィレンツェの話し言葉であった俗語、il fiorentino(当時フィレンツェは独立した都市国家であり、「フィレンツェ方言」よりも、むしろ「フィレンツェ語」と言えると思います。)で書いたのは画期的なことでした。誰でも理解することができる言語で書こう、という意図と共に、文学作品を書くに値する「俗語」の模範を示したいという思いもあったことでしょう。

“La lingua che oggi adoperiamo in ufficio, in autobus, nei negozi, nelle conferenze e il dialetto fiorentino trecentesco, con le inevitabili modificazioni (massime nel lessico, minime nella fonetica) che il tempo intercorso gli ha impresso.”
(“Dove il sì suona. Gli italiani e la loro lingua”, Giunti, 2003)

「今日私たちが職場やバス、店、講演で使用している言語は、1300年代のフィレンツェの言語に、その間に流れた時が刻みつけた必然的な変更(変更が最多なのは語彙で、最小なのは音声体系)が加わったものである。」

 ここで説明されている「言語」(“La lingua che oggi...nelle conferenze)は、もちろんイタリア語のことです。

 1861年に、イタリアが統一される前後にも、標準語として採用されるにふさわしいのはどのような言語かという論議が尽くされました。何世紀にもわたって、政治的・文化的に分断されていたイタリア各地では、ナポリではナポリ語、ベネチアではベネチア語といった具合に、同じ俗ラテン語から発展した言語とは言え、様々な異なる言語が話されていたからです。

 最終的には、14世紀の文学作品で使われたフィレンツェ語(フィレンツェ方言)に、1800年代当時のフィレンツェの話し言葉の要素を盛り込み、そこから方言色の強い要素を除いたものが「イタリア語」、新しい国家の標準語として採用されることとなりました。

 なぜ、5世紀も前に書かれた文学作品の言語が、1861年に成立した新しい国家の公式言語の基盤となったのでしょうか。また、なぜローマでもピエモンテでもなく、フィレンツェの言葉を採用したのでしょうか。

“Firenze è stata la città che ha dato vita a una grande letteratura, presto diffusa ed emulata altrove. L’eccellenza dei grandi scrittori fiorentini è stato il primo volano linguistico che ha promosso una singola parlata municipale a strumento di riconosciuto prestigio sovrallocale. Proprio Dante, autore di quel capolavoro della letteratura italiana che è la Commedia (poi detta Divina), può essere considerato il capostipite di una tradizione linguistica e letteraria che costituisce oggi, a distanza di secoli, uno dei patrimoni culturali più ricchi del mondo.”
(“Dove il sì suona. Gli italiani e la loro lingua”, Giunti, 2003)

 「フィレンツェは偉大な文学を生み出した町であり、その文学はすぐに他の地域に普及し、模倣された。フィレンツェの偉大な作家たちが比類のない卓越した存在であったことが、言語を促進する最初の原動力となり、一地方都市の話し言葉を、地域を超えてその名声が知られる手段へと昇進させた。イタリア文学の傑作、『神曲』の作者であるダンテこそ、今日数世紀の後に世界で最も豊かな文化的遺産の一つである言語・文学の伝統を切り開いた始祖とみなすことができよう。」

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Firenze 2016/1/28

 それでは、なぜ19世紀の新生国家が500年も前の話し言葉を標準語の基盤としたのでしょうか。それは、16世紀から18世紀にかけて、互いに異なる言語を持っていたイタリアの各地方で、いわば共通語として使われていた書き言葉が、14世紀のフィレンツェの文学作品の文法・語彙を基盤としたものであったからです。

 イタリアでは、14‐16世紀にわたる人文主義の中で、ラテン語を文学に使用する言語として復興させようという試みが行われました。けれども、16世紀の初めには、独創性のある芸術作品を「生命のない死語」で生み出すことが不可能であることが見えてきました。多くの文学者が、ラテン語に代わる、生きた新しい言語を、文学作品を書くに値する洗練したものにしていく必要があることを感じていました。

 また、16世紀には活版印刷が行われるようになり、書物の値段が下がって、多くの人に手が届くものとなりました。ただし、ある作品をイタリア全土(現在のイタリアにあたるすべての地域)で読まれ、売れるものとするためには、イタリアのどの地方でも理解できる共通の文法や語彙が必要でした。

 ここでも、「書き言葉、文学作品の共通語、標準語」をめぐって、多くの議論が尽くされました。相変わらず「ラテン語」を採用するべきだと主張する人もいれば、16世紀当時の教養ある人々がフィレンツェ(あるいはトスカーナ)で用いていた話し言葉を推す人もいました。また、イタリア各地の宮廷で支配階級が使っていた話し言葉(これは、イタリア各地の方言(言語)の様々な語彙や表現から形成された言葉でした)がいいという人もあれば、フィレンツェ語の選択には異論はないけれども16世紀当時に話されていた話し言葉ではなく、1300年代(il Trecento)の偉大な作家、ダンテ・ペトラルカ・ボッカッチョが文学作品の中で用いたものを規範とするべきだと主張する人もいました。

 1525年に、ベネチアの学者・詩人、ピエートロ・ベンボ(Pietro Bembo)『俗語散文集』(“Prose della volgar lingua”) を著しました。ベンボは、なぜ模範とすべきが14世紀の偉大な作家が用いたフィレンツェ語であるのかを具体的に説明した上で、さらに、これらの作家・詩人が傑作に用いたフィレンツェ語を分析して、その文法・規範も詳しく叙述しました。ベンボを初めとする、フィレンツェ出身ではない知識人にとって、フィレンツェ語(方言)は外国語であり、さらに、模範としようと考えたのが16世紀の当時でさえ200年昔の14世紀の言語であったため、その言語で作品を書くためには、文法規則の記述が不可欠であったわけです。

 最終的に、この共通語をめぐる論争で勝利を手にしたのはベンボの主張でした。そのため、16世紀から18世紀のイタリアでは、14世紀のフィレンツェ語(方言)が書き言葉の規範・模範として採用されます。実は、ベンボはダンテの使用した言葉をあまり高く評価しておらず、「韻文ではペトラルカ、散文ではボッカッチョを模範とするべき」と記したのですが、その理由や詳細については、いずれ、またの機会に書くつもりでいます。

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Roma 2019/3/27

 そういう経緯があったために、1861年にイタリアが統一された際に、新しい国の標準語となるべき「イタリア語」の基盤として採用されたのが、数世紀にわたってイタリア全領域で「共通語」の役割を果たしてきた14世紀の文学作品に使われたフィレンツェ語(フィレンツェ方言)だったわけです。ただ、この書き言葉が生きた話し言葉であったのは400年以上も前であったため、19世紀当時のフィレンツェの話し言葉の要素も取り入れました。そして、そこから方言色の強い要素を取り除いて、「イタリア語」という言語が誕生したわけです。

 イタリア語は、それまで何世紀もの間、知識人の間で書き言葉として使われてきた言語でした。1861年のイタリア統一当時に、イタリア語を使用することができたイタリア人の割合を、デ・マウロ(De Mauro)は2.5~2.6%、カステッラーニ(Castellani)は約10%ではないかと推定していますが、いずれにせよ、国民のごく一部であったことが分かります。大多数の国民は、それまで各地方で使われていた話し言葉(方言)を使用していました。

 その後、学校教育やテレビ・ラジオの放送を通じて、イタリア語が普及し、現在では、大部分のイタリア人がイタリア語を用いるようになりました。統計によると、約半数がイタリア語と方言を場に応じて使い分けており、イタリア語だけを用いるイタリア人の割合は約40%(戦後は8%)、方言だけを用いるイタリア人の割合は約6‐7%となっています。

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参考資料

-“Dove il sì suona. Gli italiani e la loro lingua”, Giunti, 2003.
- Alighieri D., “Commedia. Inferno” (a cura di Pasquini E., Quaglio A.), Garzanti, 2002.
- Marazzini C., “La lingua italiana. Profilo storico”, il Mulino, 2002.
- Marcato C., “Dialetto, dialetti e italiano”, i Mulino, 2002.
- Olivieri C., “Compendio della storia d’Italia”, Benucci, 1997.
- Tagliavini C., “Le origini delle lingue neolatine”, Patron, 1972.
- ペルージャ外国人大学の語学コースおよび大学の授業のプリント・ノート。
- 東京外国語大学語学研究所編『世界の言語ガイドブック1』、三省堂、1998年。
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 イタリア語をめぐっては、俗ラテン語との関係や方言との関係など、興味深い話題がたくさんあるのですが、また時機を見て、少しずつ書いていきたいと思っています。

 では、また。イタリア語やメルマガの内容について質問があれば、ぜひお知らせください。旅行から帰ってからになりますが、できる範囲でお答えするつもりでいます。また、記事の内容についても、何か希望や感想があれば、書いていただけるとうれしいです。

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関連記事へのリンク
- イタリア語学習メルマガ第18号⑴「ダンテ『神曲』の冒頭を読む⑴」
- ダンテの日 受胎告知の日とフレスコ画
- Blogger a Firenze - フィレンツェブロガー招待 2013年10月・2016年1月

*追記(2020年4月25日)
 ヤフージオシティーズのサービス終了のため、現在、このイタリア語学習メルマガのバックナンバーを、ブログに移行中です。すでにブログに収録済みのメルマガ一覧は、タグ、「イタリア語学習メルマガ バックナンバー」(リンクはこちら)からご覧になれます。


Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented at 2020-04-27 06:47
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by milletti_naoko at 2020-04-27 07:31
鍵コメントの方、こんにちは。

どういたしまして。こちらこそ、ていねいにお読みくださってありがとうございます♪

確かに文学から考えると、特に古典では、関西に分がありますよね。
by milletti_naoko | 2009-09-04 13:00 | Lingua Italiana | Trackback | Comments(2)