イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

第22号(2)「マイク・ボンジョルノとイタリア語、ラジオ・テレビ イタリア語普及に大貢献」

 第22号イタリア語学習メルマガ第22号(1)「マイク・ボンジョルノの人生と業績、使える便利な会話表現」(リンクはこちら)の続きです。



3.マイク・ボンジョルノとイタリア語、ラジオ・テレビ イタリア語普及に大貢献


 私がマイク・ボンジョルノを取り上げたのは、単にイタリアのテレビ界で重要な人物であったからだけではありません。私はペルージャとシエナの外国人大学でイタリア語教授法やイタリア語の歴史を学んだのですが、どちらの大学にも、「多くのイタリア人が、マイク・ボンジョルノからイタリア語を教わった。」と言う先生がいました。では、マイクがどうやってイタリア語をイタリア人に教えたのかというと、「方言しか知らなかった多くのイタリア人が、マイク・ボンジョルノのテレビのバラエティ番組を夢中になって繰り返し見て、マイクや他の出演者の話すイタリア語を聞くうちに、イタリア語を理解し、話すことができるようになった。」というわけです。

 第20号(2)「イタリア語の歴史とダンテ」でも触れましたように、1861年のイタリア統一当時に、イタリア語を使用できたイタリア人の割合は、わずか2.5~10%であったと推定されています。それが、現在ではイタリア語を話せず方言だけを話す人の割合が約6-7%となり、ほとんどのイタリア人がイタリア語を使用することができるようになったことには、様々な要因があるのですが、中でもラジオ・テレビ放送、特にテレビ放送の果たした役割が非常に大きいと言われています。(Marcato C., "Dialetto, dialetti e italiano”, i Mulino, 2002.)

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Notte prima del concerto di Radio Subasio, Centro storico di Perugia 2016/5/13


 “La radio italiana nacque nel 1924. La televisione ha iniziato a trasmettere in maniera regolare nel gennaio 1954. La sua funzione linguistica si è così affiancata a quella dei media che già esistevano, giornali, radio, cinema. De Mauro ne ha messo in evidenza gli effetti: le trasmissioni televisive (e radiofoniche) sono giunte ≪anche nelle zone geografiche e nelle classi sociali a più basso reddito, che sono anche le zone di più tenace persistenza del dialetto: da ciò l’importanza della radiotelevisione ai fini della diffusione della lingua...≫ [De Mauro 1972: 353; cfr. anche De Mauro 1973].” (Marazzini C., “La lingua italiana. Profilo storico” , il Mulino, 2002)

「イタリアのラジオ放送は1924年に生まれ、テレビが定期的に放映され始めたのは1954年であった。こうして、イタリア語の普及においてテレビの果たす役割が、新聞・ラジオ・映画といった既存のメディアがすでに受け持っていた役割に横並びすることとなった。デマウロはテレビ放送の影響力を強調し、次のように記している。『テレビ(およびラジオ)放送は『方言が最も根強く残っていた、所得が最も低い地域や社会階級まで』行き渡った。『そこから、言語の普及にあたってラジオ・テレビ放送の重要さが……』[引用の出典、De Mauro 1972: 353; De Mauro 1973]」(Marazzini C., “La lingua italiana. Profilo storico”, il Mulino, 2002)

 子供・青年は学校教育を通じて、若者は兵役を通じて、また多くの家族が仕事を求めての主に南部から北部への移住によって、イタリア語を学ぶようになったのですが、こうした教育や移動の網から漏れたのは生まれ育った地方にとどまり、やはり同じ地方で生まれ育った家族・友人・知人と、方言だけを話して過ごしてきた高齢者でした。こうした老人の中には小学校教育しか受けていない人や読み書きができない人もいて、特にトスカーナから地理的に離れている地方の老人の中には、14世紀のフィレンツェの話し言葉を基準とした「書き言葉」が基盤となったイタリア語を話すのにも理解するのにも苦労する人がまだ大勢いました。

 ですから、興味深い番組で大衆を引きつけ、くぎづけにしたテレビ放送が、子供から老人まで、大半のイタリア人へのイタリア語教育に果たした役割は非常に大きいと言えます。そして、イタリアでそのテレビ放送が始まったとき、国民を魅了する番組を提供し、イタリアでのテレビ普及の立役者となったのが、マイク・ボンジョルノだったわけです。

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参考資料

- Beccaria G. L., “I linguaggi settoriali in Italia”, Bompiani, 1973.
- De Mauro T., “Storia linguistica dell’Italia unita”, III ed, Laterza (I ed. 1963)
- De Mauro T., “Il linguaggio televisivo e la sua influenza”, in Beccaria 1973: 107-117)
- Marazzini C., “La lingua italiana. Profilo storico” , il Mulino, 2002.
- Marcato C., “Dialetto, dialetti e italiano” , i Mulino, 2002.
-ペルージャ外国人大学の語学コースおよび大学の授業のプリント・ノート。
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 それでは、また。時間に追われているため、次号の発行は2週間後の10月16日にします。今号は長くなりましたが、時間をかけて、じっくり記事を読み、ニュースやインタビューを何度も視聴してみてください。

イタリア語学習メールマガジン「もっと知りたい! イタリアの言葉と文化」関連号へのリンク
- 第20号(2)「イタリア語の歴史とダンテ」
- 第21号「イタリアのニュースから:テロにより兵士6人死亡、マイク・ボンジョルノ逝去」
- 第22号(1)「マイク・ボンジョルノの人生と業績、使える便利な会話表現」

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*追記(2020年4月29日)
 ブログへの記事の移行にあたり、ラジオへの言及があるということで、イタリアの人気テレビ局、Radio Subasio40周年記念祭前夜のペルージャ中心街の写真を添えています。中世の町並みや建造物が、青や赤紫の照明に浮かび上がり、不思議な美しさがありました。

ブログ関連記事へのリンク
- 熱狂ペルージャ、人気ラジオ局40周年記念コンサートと前夜の幻想美 (2016/5/13)


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Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2009-10-02 13:00 | Lingua Italiana | Comments(0)