イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

第25号「Il Piccolo Principe」

1.お知らせ

 前号の「聖なる森林の山道~90kmの巡礼の旅」の記事をホームページに載せる際に、風景や旅の様子が分かりやすいように、旅行の写真をたくさん添えてみました。
第24号(1)「90kmの巡礼の旅〜聖なる森林の山道 Il Sentiero delle Foreste Sacre」

 徒歩で旅行しないと見られないような風景の写真がありますので、ぜひご覧ください。



2.Il Piccolo Principe


 これは、ある有名な文学作品の、イタリア語版の題名です。お分かりになりますか。

 piccoloは「小さい」という意味の形容詞で、対義語はgrande「大きい」です。principeは「王子、皇太子」という意味で使われことが最も多いのではないかと思います。さて、なぞなぞです。イタリア語で、il principe Carloというと、現代では誰のことを指すのかお分かりですか。

 答えは英国の「チャールズ皇太子」です。英語名Charlesはイタリア語ではCarloとなります。

 いわゆる「白馬の王子」は、イタリア語ではprincipe azzurroと言い、「おとぎ話でヒロインと結婚する王子」や「少女や若い女性が夢見る理想の結婚相手」という意味です。azzurroは形容詞で、意味は「青の、ブルーの」。名詞で「青色、ブルー」という意味もあり、これがスポーツで「イタリアチームの選手」を表すのに使われるのは、ご存じの方も多いかと思います。

 このprincipeという言葉は、小学館の『伊和中辞典』にもあるように、「(小国の)君主、(中世の、皇帝の直属の)領主;王族」などという意味でも使われます。皆さんが、世界史で学ばれたことのあるマキアヴェッリ(Machiavelli)の『君主論』という作品も、イタリア語の原題は“Il Principe”です。

 principeの対義語はprincipessa「王女、お姫さま」です。肩書きや職業、動物を表す名詞で、このように-essaという接尾辞をつけることで女性形を作るものがたくさんあります。たとえば、

professore(先生、教授)> professoressa(女性の先生、教授)、
studente(学生)> studentessa(女学生)、
poeta(詩人)> poetessa(女流詩人)、
leone(ライオン)> leonessa(雌ライオン)など。

 映画、『ライフ・イズ・ビューティフル』(原題、『La vita è bella』)では、ベニンニ(Benigni)演ずる主人公が、しばしばヒロインに“Principessa!”「姫さま!」と呼びかけていました。また、イタリアのニュースでよく取り上げられる日本の話題の一つに、la Principessa Masakoがあります。

 前置きが長くなりましたが、『Il Piccolo Principe』(直訳は「小さい王子」)という作品は、日本では『星の王子さま』という題名で親しまれています。サン=テグジュペリというフランス人の飛行士・小説家の作品で、大人のために書かれた童話と言われています。

 下のリンク先から、イタリア語版『星の王子さま』に付属の朗読CDの一部を聞くことができます。収録部分が8分58秒と長いので、最後の1分あまり、7:44-8:58の部分だけ何度か聞いてみてください。(作品をよくご存じの方や中級・上級の方は、後ですべて聞かれることをお勧めします。)



 印象に残る名場面なので、この部分を選んだのですが、初級の方には難しい言葉が多いかと思います。以下に、『星の王子さま』のイタリア語版(A. De Saint-Exupéry, traduzione di N. Bompiani Bregoli, “Il Piccolo Principe”, Tascabili Bompiani, 2001)から、上記の映像に収録されている部分を引用します。リンク先では、会話の部分だけが録音されているのですが、ここでは地の文(会話以外の部分)も載せておきます。


〜“Addio”, disse la volpe. “Ecco il mio segreto. È molto semplice: non si vede bene che col cuore. L’essenziale è invisibile agli occhi”.
“L’essenziale è invisibile agli occhi”, ripeté il piccolo principe, per ricordarselo.
“È il tempo che tu hai perduto per la tua rosa che ha fatto la tua rosa così importante”.
“È il tempo che ho perduto per la mia rosa...” sussurrò il piccolo principe per ricordarselo.
“Gli uomini hanno dimenticato questa verità. Ma tu non la devi dimenticare. Tu diventi responsabile per sempre di quello che hai addomesticato. Tu sei responsabile della tua rosa...”
“Io sono responsabile della mia rosa...” ripeté il piccolo principe per ricordarselo. 〜


 言葉を交わしているのは、La volpe(キツネ)とil piccolo principe(小さい王子、星の王子さま)です。最初に“Addio”とあるので、永遠の別れに際しての会話であることが分かります。地の文にある三つの動詞disse, ripeté, sussurrò は、それぞれ、動詞dire (言う)、ripetere (繰り返す)、sussurrare(ささやく)の直説法遠過去で、三人称単数が主語の時の活用形です。

 イタリア語版を、皆さんに分かりやすいように、直訳に近く、なおかつ日本語として不自然でない文章に訳してみます。


 「『さようなら。』とキツネが言いました。『ほら、これがぼくの秘密だよ。とても簡単なんだ―心を使わなければ、よく見ることはできない。肝心なものは目には見えない。』
 『肝心なものは目には見えない。』と、小さい王子はこの言葉を覚えておくために繰り返しました。
 『君のバラがそんなにも大切なのは、君がバラのため無駄にした時間のためなんだ。』
 『ぼくがバラのためにムダにした時間のため…』と、小さい王子はこの言葉を覚えておくためにささやきました。
 『人間たちはこの真実を忘れてしまったんだ。でも君はそれを忘れちゃいけない。君は、君が飼い慣らしたものに対しては永遠に責任を持たなきゃいけなくなる。君は君のバラに対して責任があるんだ…』
 『ぼくは、ぼくのバラに対して責任がある…』と、小さい王子はこの言葉を覚えておくために繰り返しました。」(「   」内は石井訳)


 キツネの言葉には、長くて難しい形容詞がたくさん使われています。

〜“Addio”, disse la volpe. “Ecco il mio segreto. È molto semplice: non si vede bene che col cuore. L’essenziale è invisibile agli occhi”.
“L’essenziale è invisibile agli occhi”, ripeté il piccolo principe, per ricordarselo.
“È il tempo che tu hai perduto per la tua rosa che ha fatto la tua rosa così importante."
“È il tempo che ho perduto per la mia rosa...” sussurrò il piccolo principe per ricordarselo.
“Gli uomini hanno dimenticato questa verità. Ma tu non la devi dimenticare. Tu diventi responsabile per sempre di quello che hai addomesticato. Tu sei responsabile della tua rosa...”
“Io sono responsabile della mia rosa...” ripeté il piccolo principe per ricordarselo. 〜

 essenziale, invisibile, importante, responsabile。ただ、どれも英語に似た形の言葉があり、意味が同じですから推測がつくかと思います。意味はそれぞれ「本質的な、不可欠な」、「目に見えない」、「重要な」、「責任がある」です。英語ではそれぞれessential, invisible, important, responsibleです。英語とイタリア語の語彙を比べておもしろいのは、生活基本用語には類似点が少ないのに(「水」が英語ではwater、イタリア語では acquaなど)、少し難しい長い言葉になってくると、英語の側にラテン語から語彙を取り入れたものが増えてくるため、英語とイタリア語の間で似た形で同じ意味の単語が増えてくることです。

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 大切なものやことが、しっかり分かっているはずなのに、ついちょっとした言葉や態度に傷ついてけんかしたり、落ち込んだりすることが、わたしにはあります。小さい王子のバラの花が、本当は王子を大切に思っているのに、言葉では辛辣なことしか言えないように、わたしたちは知らないうちに人を傷つけていることもあれば、本当の相手の気持ちが分かっていれば気にするべきでないような些細な言葉や態度にいらだったり落ち込んだりして、自分を無駄に暗い気持ちにしてしまうことがあるのではないかと思います。

 “non si vede bene che col cuore. L’essenziale è invisibile agli occhi”―キツネが言うように、「目で見える」表層でなく、心で本質を押さえる、見抜くことが必要だとつくづく思います。

 また、“perdere il tempo”(時間を無駄にする) というのも特に最近ではよく使う言葉で、確かに「時間を無駄にし」てはいけないのですが、本当に「無駄」になる時間とはどういう行動をするときか、を見きわめる必要があるかと思います。ミヒャエル・エンデの『モモ』もわたしの好きな本の一つですが、作品の中では人々が「時間が惜しい」と言って、他の人と話したり接したりすることを避けて得た時間が、結局は時間どろぼうに奪われていただけ、と描かれていたように記憶しています。

 本当に人生にとって大切なものは、たとえば「家族」、「健康」、「自己実現」などと考えていながら、結局は仕事中心、あるいはインターネットやテレビで無駄に時間を費やし、家族とじっくり対話をしたり、散歩をして体を動かしたりすることをおろそかにしたりするということが、特に仕事に追われやすい日本社会ではありがちなのではないかと思います。「できるだけ効率よく」、「無駄のないように」にするべきことも数多くあるでしょうが、たとえば家族との対話の時間、あるいはイタリア語の学習に費やす時間にしても、毎日少しずつ積み重ねていくことで、初めて自分にとって意味のある大切なものになっていくのではないかと思います。

 どうやって自分の時間を使い、どんな人生を送りたいかということについては、私は何年も前に英語版で読んだのですが、『7つの習慣―成功には原則があった!』(スティーヴン・R・コヴィー) がお勧めです。自分が理想とするものに近い人生を送るためにも、あるいはイタリア語をしっかり自分のものにするためにも、大切なのは「遠大な理想は実は毎日の地道な実行の積み重ねによってのみ達成されるもの」だということです。「将来こうありたい」、その理想に向かうには「今日、こうするべき」であるのに、理想と毎日の行動がまったく噛み合っていないということがありがちで、その差をなくして少しでも夢を実現させていくためにもぜひ『7つの習慣』を読んでいただけたらと思います。たとえば基本的な会話ができる力をしっかりものにするには、あるいは基本の文法だけでも身につけるには100時間の学習時間と1日1~3時間イタリア語を聞く時間を持つのが必要だとして、そういう時間をどうやって編み出し、構成するか、というのも実は「外国語学習の上達」に大いに関わってくるわけです。

 それから、このメルマガを無料で発行し続けることが可能なのは、前後にまぐまぐ側が挿入する広告のおかげなのですが、メルマガ中の広告に限らず、最近は「簡単にイタリア語が身につく」とか「収入が得られる」、「ダイエットができる」といった広告が多い気がします。「悪銭身につかず」ということわざに対応する英語のことわざは“Easy come, easy go”(簡単に得られるものは簡単に失われる)ですが、詰め込み学習で、あるいは時間をかけずに得た語学力は失われるのも早いことが研究結果でも分かっていますし、生活習慣や食事の在り方を変えず、急激に何らかの方法で減らした体重がすぐにもとに戻りそうなことも想像ができます。「簡単に収入が入る」という話も、自分の労働に対応した報酬でなければ結局は継続もしないし、もともとが怪しいと疑ってかかった方がいいと思います。世の中には「時間をかける」ことや「努力を続ける」ことでしか達成できないことが多く、それは一見単なる「苦労」のように見えるかもしれませんが、その苦労や努力こそが私たちを成長させてくれるのだと思います。安易に過大広告につられないように、ご注意ください。

 わたしはこの『星の王子さま』が大好きで、小さい頃から日本語版を何度も読み返しました。外国語を学ぶために、原著のフランス語ではないのですが、この作品の英語版・ドイツ語版・イタリア語版も購入しました。冒頭部を除くと短い会話からなる部分が多いので、作品の内容を覚えていることもあって、外国語版で読んでも理解がしやすく、読解や会話(会話の部分も多い)の勉強になります。そして、イタリア語版では、Bompiani社から朗読を吹き込んだCD入りの本も販売されているのですが、数年前に旅行中に買ったこのCDが大変よくできていて、登場人物ごとに違う人物が音声を演じながら吹き込んであります。日本語版の朗読CDがすべて一人の俳優さんの吹き込み朗読(最後に女性歌手による歌も吹き込まれていますが)であるのに比べると、声優さんが登場人物になりすまして感情豊かに演じているので、何度聞いていても飽きがきません。初級の方で、イタリア旅行の予定がある方は、ぜひ現地の書店で購入してみてください。本とCDが一緒で16ユーロほどの値段です。

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 それから、『星の王子さま』の言葉をよく引用して、生き方について語っている著者に、渡辺和子さんがいます。わたしが初めて読んだ著書は『愛をこめて生きる』。もう20年近く前になりますが、初めて教壇に立った高校で教えていた高校生が朗読コンクールに参加するのを指導したときに、彼女が朗読するのに選んだのがこの本でした。生徒が読むことにした一節に感動して、すぐにこの一冊を読み、自分の生き方を考えさせられ、またひどく勇気づけられて、それから書店で著書を見つけるたびに一冊また一冊と購入して読み続けました。イタリアという国を知る一つのキーワードが「カトリック教」です。著者は現在もノートルダム清心学園の理事長をされていて、カトリックの教えについて初心者にも分かりやすく「望ましい生き方・在り方」を通して語られています。私は特に高校で教えていた頃は、生き方や生徒との関わり方などについて悩むことが多く、仏教やキリスト教、心理学や哲学の本を読んで、教わったり、励まされたりすることが多かったのですが、渡辺和子さんの本もその一冊です。心が疲れたときに、温かく内側から支えてくれるようなそんな文章が多いので、よかったらぜひ一度読んでみてください。著書の中には、『星の王子さま』だけでなく、著名人や聖フランチェスコなどの美しい祈りの言葉が引用され、それについての著者の深い洞察が述べられています。

 読書の秋、ということもあり、今回は本の紹介が多くなりました。有名な本が多いので、皆さんがお住みの町の図書館にもきっとあることと思います。ぜひ図書館に足を運んで、本を探しながら、イタリアやイタリア文化、またそれ以外のことについても、おもしろそうな本があったら、手にとって読んでみてください。本を1ページ開くたびに、心の窓が少しずつ開き、自分を豊かにしてくれるはずです。

 最後に、ご紹介した本や著者のアマゾンのページへのリンクを貼っておきます。本のより詳しい解説や読者の感想・意見が分かりますので、参考にしてください。

Antoine de Saint-Exupéry, "Il Piccolo Principe" (Tascabili ragazzi), Bompiani ←本のみ
Antoine de Saint-Exupéry, "Il Piccolo Principe" Con autdio libro. CD Audio, Bompiani ←朗読CDつき
アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、『星の王子さま』、岩波書店
ミヒャエル・エンデ、『モモ』、岩波書店

(以上の2冊にはいろいろな版がありますが、リンク先には、購入される場合のことも考えて、挿絵が美しく、装丁がしっかりとしたものを掲げています。親から子へと読みつがれるべき永遠の名作だと思いますので。)

スティーヴン・R・コヴィー、『7つの習慣―成功には原則があった!』、キングベアー出版
渡辺和子、『愛をこめて生きる―“今”との出逢いをたいせつに』、PHP出版

 4年前、ペルージャ外国人大学で日本語を教え始めたばかりの頃に、授業中に『古今集』の秋の歌を教える導入として、「秋を感じるのはどんなときですか」と尋ねたら、「夏が終わった悲しさ」と答えたイタリア人学生がいました。「日の光を浴びること」や「休暇を楽しむこと」ができる夏が終わってしまう悲しさが、真っ先に答えとして返ってきたところに文化の違いを感じたのですが、イタリアでも秋には葉の色が変わる木々もあり、きのこ狩りに繰り出す人が大勢いるなど、それ以外の季節感もあります。「イタリアの秋」を目で見ることに興味のある方は、ぜひ次の記事をご覧ください。

秋のラヴェルナ (2012/10/14)
秋色の光注ぐ山を頂へ、ラヴェルナ ペンナ山 (2019/10/26)
晩秋のラヴェルナの森に紅葉求めて (2019/11/9)


 では、また。皆さんにとっては、秋は「実り・食欲の秋」でしょうか、それとも「芸術・読書・スポーツの秋」でしょうか。人それぞれだと思いますが、充実した秋をお過ごしください。


Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by snowdrop-uta at 2020-05-06 07:25
おはようございます!
まあ、王子様がイタリア語をしゃべっています!
それに、このキツネ…中世の詩を朗唱するようなイントネーションではありませんか!!
フランス語版ではキツネのしゃべり口がとっても軽やかなんです。

生活に密着した単語は国によって違いが大きいのは、使用頻度が高いからでしょうか。大切な動詞ほど不規則に活用して、初級の段階で泣かされますものね。
抽象語や学問用語、政治用語のほうが共通点が多くて(中級以上だと)かえって分かりやすいのと、対照的ですね。
Commented by milletti_naoko at 2020-05-06 07:43
snowdrop-utaさん、本はイタリアに持ってきたので、CDもあるだろうと探したのに見つからないのですが、何度も何度も聞いた記憶からは、このキツネ、ひどく鷹揚でひょうきんで、舞台役者のような話し方をすることが多く、この場面ではことさらにまじめに声を低くして話していたように思います。フランス語版はイタリア語版と違って、本を読むのも聞くのも難しいのであまり聴き込めていないのですが、そうなんですね! キツネの声に注意して、また聞いてみます。
Commented by snowdrop-uta at 2020-05-07 07:10
舞台役者、なるほど!
ジェラール・フィリップも、古典劇の舞台ではこういうイントネーションで話していましたっけ。

手持ちのCD(1986年、Victor)では、主人公がジェラール・フィリップ、王子さまがGeorges Poujouly(「禁じられた遊び」のミシェル)、キツネはJacques Grello(映画俳優/歌手)でした。他のバージョンもあるかもしれません。

apprivoiser(飼いならす)、イタリア語ではaddomesticareなんですね。
Commented by milletti_naoko at 2020-05-08 01:19
snowdrop-utaさん、なんとフランス語で古典劇も鑑賞されているんですね! domestico「家の」という言葉が「うちで飼う動物、ペット」の意でanimale domesticoと使われているため、そこから派生したaddomesticareという言葉を使うのだと思います。
by milletti_naoko | 2009-10-30 12:00 | Lingua Italiana | Comments(4)