イタリア写真草子 ペルージャ在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

第28号(1)「人生からの逃避―小説『Il fu Mattia Pascal』」

 2009年11月20日発行のイタリア語学習メルマガ第28号「人生・現実からの逃避 ―小説・映画・歌の紹介―」に、無効となったリンクを張り替えて文章の関連箇所に訂正を加え、本とわたし自身のかつての読書記録の写真を添えて、このブログに移行しています。特に2003年の感想は、当時留学生活の中でそんなにも孤独や不安を感じていたのかと意外で、今同じように感じられている方の励みにもなるかと、つまりそういう思いは表面には出さなくともありがちで、通り過ぎることができるトンネルだと伝える意味で、お恥ずかしいのですが、あえて添えておきます。



1. 人生からの逃避―小説『Il fu Mattia Pascal』(Luigi Pirandello, 1904)


 古典的作品から現代文学まで、イタリア文学で楽しみながら読める作品は数多いのですが、今回はその中から、近代文学の巨匠、ルイージ・ピランデッロ(Luigi Pirandello、1867-1936)の代表作をご紹介します。

 題名は、『Il fu Mattia Pascal』

 以下のリンク先から、全作品および作者自身によるあとがき(PDF、359ページ)を閲読、ダウンロードすることが可能です。中・上級の方は、まず小説の最初のページ(リンク先の6ページに当たります)を全文ざっと読んでから、記事の続きを読むようにしてみてください。

- Il fu Mattia Pascal
https://liberliber.it/opere/download/?op=2346907&type=opera_url_pdf

 また、小説全編およびあとがきもこちらのリンク先のYouTube映像で聴くことが可能です。



 小説の出だしから数行目、朗読映像の26秒目から、以下のような会話があります。意味を考えながら、何度か声に出して読んでみてください。


- Io mi chiamo Mattia Pascal.
- Grazie, caro. Questo lo so.
- E ti par poco?


 お分かりになりますか。Mi chiamo...は「私の名前は~です。」という重要表現です。すでに、第20号で用法をご説明しています。イタリア語では、主語のioは通常省略されます。動詞形(ここではmi chiamo)から主語が特定できる場合が多いからです。にも関わらず、ここであえてIo(私は)と言っているのは、主語を強調する意図があるからです。「おれのね、名前はマッティーア・パスカルなんだよ。」

 caroというのも、日常生活でよく使う形容詞です。手紙の最初に、Caro Paolo/Cara Mariaと書いてあれば、「親愛なるパオロへ/親愛なるマリーアへ」という意味ですから(英語なら、Dear Paul/Dear Mary)、この意味では、caroは英語のdearに相応します。男性にならCaro/Caro mio、女性ならCara/Cara miaという形で、親しい人への愛情や親しみの気持ちを込めた呼びかけに使うこともあり、本文2行目のcaroはこの用法です。

 ちなみに、このcaroという形容詞は、「値段が高い」という意味でもよく使われます。

 “Questo lo so. ”は分かる人にはすぐ分かると思うのですが、難しいと思う方は、まず文の中の述語と主語を突き止めるべく考えてみてください。

 述語はsoです。これは、他動詞 sapere(~を知っている、~できる)の直説法現在、ioが主語の時の活用形です。主語は当然ながらio(私は)。

 では、目的語は何なのかというと、最初にあるquesto(これを、このことを)です。ふつうは「そのこと(このこと)を知っている」は“Lo so.” (“So questo.”)というのですが、ここでは目的語を強調するために、ふつうなら動詞のあとにおくべきであるquesto「これ(を)」を文頭に持ってきて、さらにそれを代名詞loで置き換えているわけです。

 ですから、2行目を訳すと、「ありがとう、パスカル。でも、そんなことは知っているよ。」となります。

 関連表現として、 “Non lo so.”「(私には、それは)分かりません。」を覚えておきましょう。英語の“I don’t know”にあたる慣用表現で、話し言葉では、頻繁に使われます。

 ちなみに、ごく親しい間で、特に若者同士の会話で、「そんなこと知らないよ。」と言うのには、“Bo!”(Boh!)という一音節の間投詞だけで済ませてしまう場合もあります。ドラマや映画ではよく出てきますので、気をつけてみてください。

 3行目“E ti par poco? ”は、「で、君には(それが)たいしたことじゃないと思えるのかい。」という意味です。par は動詞parere 「~に思われる」の活用形pare(直説法現在で主語が三人称単数)から、語調をよくするために、語尾の -eを落としたものです。このように語末のアクセントのない母音・子音や音節を語調やメロディーを滑らかにするために削除することをapocope (troncamento)と言い、母音の語末削除は、削除される母音にアクセントが置かれておらず、かつその母音の直前に来る子音がr, l, n (まれにm)である場合に可能になります。

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 とても変わった会話なのですが、内容が分かったところで、2、3度声に出して読んでみてください。一体どうしてこんな奇妙な会話をするかについては、以下の小説の冒頭部、先の会話に先立つ部分を読むと分かります。先の朗読映像での該当箇所は2秒目から31秒目までとなります。


“Una delle poche cose, anzi forse la sola ch'io sapessi di certo era questa: che mi chiamavo Mattia Pascal. E me ne approfittavo. Ogni qual volta qualcuno de' miei amici o conoscenti dimostrava d'aver perduto il senno fino al punto di venire da me per qualche consiglio o suggerimento, mi stringevo nelle spalle, socchiudevo gli occhi e gli rispondevo:

- Io mi chiamo Mattia Pascal.
- Grazie, caro. Questo lo so.
- E ti par poco? ”


 会話に先立つ部分の動詞が、主節の動詞に関してはすべて半過去(imperfetto)で書かれていることに注意してください。最初のsapessi接続法半過去(congiuntivo imperfetto)で、あとはすべて-vo, -vaで終わっており、直説法半過去(indicativo imperfetto)になっています。直説法半過去の用法にはいろいろありますが、過去に習慣的に行っていたことを叙述したり、過去の状態を述べるのが主な用法で、ここでは最初のeraは過去の状態を、その外の直説法半過去の動詞は、習慣的な過去の動作を表すのに使われています。訳してみましょう。


 「私が確実に知っていた数あることのなかの一つ、いやおそらく唯一のことは、『自分の名前がマッティーア・パスカルである』ということであった。そうして、それを利用してもいた。私の友人や知人の誰かが、忠告や助言を求めて私のもとを訪れるまでに分別を失った態度を示したときには、そのたびごとに、肩をすくめ、目を細めて、こう答えていた。

― おれのね、名前はマッティーア・パスカルなんだよ。
― ありがとう、パスカル。でも、そんなことは知っているよ。
― で、君にはそれがたいしたことじゃないと思えるのかい」(「 」内は石井訳、以下も同様)


 「自分の名前を自信を持って言える―そんな当たり前のことが、実はとても大事だったと今では分かった。今ではもう、自分の名前を言って答えることもできない。」と述べたあとで、語り手は自分の現在の状況を語ります。そして、自分の人生があまりにも風変わりで、特殊なものだから、書き残しておくことにしたと説明して、彼自身のいかにも奇妙な人生を読者に語り始めます。

 前半では、主人公の奇抜な性格や行動、運命がおもしろおかしく描かれています。後半では、苦難に満ちた人生からの逃げ道を偶然に手にした主人公の「第二の人生」と、その懊悩が語られています。

 「自分とは何か」、「自分の名前・過去を捨て去って生きるとはどういうことか」など、さまざまな興味深いテーマが、特に後半で語られていますが、読書の楽しみを奪ってはいけないので、その部分の引用は避けます。

 興味を持たれた上級の方は、ぜひ原文で読むことに挑戦してみてください。主人公が自分の人生を振り返って語る、という形で書かれているために、文章が口語調で、他の文学作品に比べると読みやすく分かりやすいと思います。

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 以下のリンク先に、日本語訳の紹介がありますから、初級・中級の方で興味を持たれた方はぜひ読んでみてください。中級・上級の方は、イタリア語と日本語を並行して読んで、分からないところを確認するという学習法をとることもできると思います。あるいは、日本語で先に読まれてからイタリア語で読むという方法もあります。ちなみに、私自身については、過去の読書記録を見ると、初めて日本語版を読んだのが2001年1月、原作をイタリア語で読んだのが2003年8月になっています。

- amazon.co.jp -『生きていたパスカル』 ルイージ・ピランデッロ作、米川良夫訳、福武文庫
- amazon.it - Il fu Mattia Pascal (Italiano)

 ピランデッロはノーベル文学賞も受賞しており、劇作家としても非常に優れた作品を数多く残しています。戯曲集もいくつかご紹介したかったのですが、残念ながら、アマゾン日本のページでは戯曲集に収録されている作品名が分からないので見合わせました。

 小説の題名『Il fu Mattia Pascal』は、「故マッティーア・パスカル」という意味です。

 小説冒頭部のpremessa(序言、前おき)についても、すべての朗読音声を先の朗読映像で聴くことができます。読解力と共に、聞く力もつけるべく、最初は何も見ずに、次に文を目で追いながら何度か朗読を聴き、最後は朗読音声のすぐ後について自分も発音する練習をしてみてください。

最後になりましたが、先のリンクから小説をダウンロードすると、2頁目の下部に次のように書かれています。


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 日本に住んでいる皆さん、あるいは海外で生活費を切り詰めながらイタリア語を学習されている方が、簡単にイタリア語の文学作品を読むことを可能にするすばらしい企画だと思います。賛同される方で、小説をダウンロードされた方は、本来イタリアから本を取り寄せたらかかったはずの料金のごく一部でも寄付をされると、今後、電子版として利用できる文学作品がますます増えていくことにつながるかと思います。」

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*この記事の続きは、以下のとおりです。以下の記事にも、聴解・発音練習ができる音声映像が添えてあります。ぜひリンク先の記事をお読みください。

- 第28号(2)「現実からの逃避―映画『向かいの窓 / La finestra di fronte』」
- 第28号(3)「Giorgia恋の歌 アルバム『Mangio troppa cioccolata』」


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- 第10号 「詩を読む〜生きる、モンターレの詩とマザー・テレサの言葉」


Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2009-11-20 12:00 | Film, Libri & Musica | Comments(0)