2009年 12月 11日
第30号(1)「政権の私物化を許すな、ゴモラ作者呼びかけに署名50万人」
おお、ベルルスコーニ!
「現在イタリアでは、主権が国民から、司法官たちの政党へと移りつつある。国民から選ばれた議員たちが議会で法令を作るのに、司法がこの正当な法令を違憲だとして廃止する。これは、司法官の80%が左派だからだ。もはや司法府は国家の正常な機能を保証する機関ではなく、左派の政治的組織と化している。」
今、洗濯物を干しながら、RAI3のテレビニュース(telegiornale、男性名詞)を見ていたら、ベルルスコーニ(Berlusconi)がドイツで爆弾発言をする模様が放映されていました。ニュースはその後、ベルルスコーニ率いる政府(il governo)と司法官たち(la magistratura)の間の長期にわたる確執についても解説していました。
ベルルスコーニが「正当」とするこの法令は、裁判の簡便化・迅速化に関するものです。前日9日に司法府の委員会が「憲法違反である。」(“È incostituzionale.”)という見解を下したのが、この首相の発言の引き金になったと思われます。
イタリアでは裁判に要する年数が他国に比べて非常に長いため、市民のためにも司法の改革(riforme della Giustizia)が必要であることは、与党だけではなく、野党も一般市民も望んでいることで、以前から緊急課題の一つとされていました。
本当に必要なのは、多くの学者・司法官たちが訴え、野党に加え、与党でも下院議長(Presidente della Camera)のフィーニ(Fini)などが主張しているように、司法に十分な資金と人材を充当して、裁判や司法手続きの円滑化を図ることのはずです。
ところが、今回政府が考え出した司法改革は、大勢の人々から「改善」ではなく「改悪」だとみなされています。
il processo breve「迅速な裁判」をスローガンに掲げるこの提案では、たとえば重大な犯罪を除いては第1審(giudizio di primo grado)は最長でも2年間とされ、2年を超えると犯罪が時効(prescrizione)を迎えることになっています。そうすると、判決を長い間待ち望んでいる被害者たちが泣きを見て、傷害・殺害で訴えられている犯人や大企業、庶民の蓄えをだましとった企業などがまったく罪に問われないことになります。
というわけで、野党や司法関係者などがこぞって反意を表している上に、マフィアの恐ろしさを写実的に描いた小説『ゴモッラ(Gomorra)』が映画化されて有名になった作家、サヴィアーノ(Saviano)も、首相に撤回を求める手紙を新聞紙la Repubblica上に公表して、賛同する読者に署名を呼びかけていました。チャンピ(Ciampi)前共和国大統領(Presidente della Repubblica)も、「公的な立場を考えると署名はできないが、サヴィアーノに全面的に賛同する」と、やはり同紙に記事を寄せています。記事へのリンクは以下のとおりです。

di Massimo Giannini (23/11/2009)
“Basta!”は本来、bastare(「十分である、事足りる」という意味の動詞)の活用形ですが、この形で間投詞として使われ、沈黙を強制したり、議論に決着をつけたり、何かをやめるように要求したりするのに使われます。場面によりますが、日本語では「いい加減にしろ」とか「うるさい」、「もういい」などと訳せるでしょうか。以上は、伊伊辞典『Lo Zingarelli』(Zanichelli)の定義を和訳したものです。同辞典から、用例もいくつか引用しておきます。
- Basta! State zitti! 「うるさい! 静かにしろってば!」
- Basta con queste lamentele! 「泣き言を言うのもいい加減にしろ!」
Leggi ad personamについて。ad personamはラテン語ですが、この表現全体で「一個人だけに都合よく作られた法令」といった意味です。ベルルスコーニ率いる政府が過去何年間の政治の中で世に出した法令の中には、企業家としてのベルルスコーニが大きな利益を得る法令や被告として罪を問われるのを避けるための法令など、「彼個人のためだけの法令」と非難されるものが多く、このleggi ad personamという言葉は、識者・ジャーナリストや野党の政治家を中心に、首相個人の利益ばかり優先しているように見える与党の政策を批判するために多用されています。
作家、サヴィアーノの呼びかけに応じて、50万人もの読者が署名をしました。以下のLa Repubblicaの記事で、彼が紙面に載せた手紙の一部と多くの署名が集まったことに感銘を受けた彼の言葉を読むことができます。「署名」はイタリア語でfirmaと言い、女性名詞で、複数形はfirmeです。

主要な部分をいくつか引用してみます。
Per questo, Saviano, nel suo appello pubblicato per la prima volta il 15 novembre, scriveva così: "Ritiri la legge sul processo breve e lo faccia in nome della salvaguardia del diritto. Il rischio è che il diritto in Italia possa distruggersi, diventando uno strumento solo per i potenti, a partire da Lei".
「このため、サヴィアーノは、11月15日に初めて公表された嘆願書の中に次のように記していた。『迅速な裁判に関する法令を撤回し、その撤回を、権利を侵害から守るための行為として行ってください。(この法令がはらんでいる)危険は、イタリアでは権利が消滅し、あなたを始めとする権力者だけのための道具になってしまいかねない、ということです。』」
(Saviano) - spiega - [...] "Mi piacerebbe rispondere che una firma è la premessa dell'impegno, la voglia di partecipare. Di promettere in qualche modo che il proprio nome è lì a sostenere un'idea di paese diverso, una difesa del diritto e non di un territorio politico. Perché - conclude - la giustizia non è né di destra né di sinistra".
「(前略)(サヴィアーノは次のように説明している。)『署名は誓約の前提であり、参加しようという意欲だと答えたい。自分の名前が、政治的領域ではなく、異なる国家を求める理念と権利の擁護を支持するためにそこにあることを何らかの形で約束しようという意欲であると答えたい。』 そして、『なぜなら、司法は右派のものでもなければ、左派のものでもないのだから。』と(説明を)締めくくっている。」
誰かが書いたり、言ったりした言葉を引用するのに使われる動詞ですぐに思い浮かぶものには、たとえばscrivere「書く」、dire「言う、話す」があり、前者が今記事の引用箇所で使用されています。引用の仕方には、活用した動詞のあとにコロン(:、イタリア語ではdue punti)を置いて、書いたり話したりした内容をそのまま引用符などでくくって直接話法(discorso diretto)で表す方法と、接続詞che(英語のtheにあたる)を用いて引用する間接話法(discorso indiretto)などがあります。
引用箇所では、直接話法が用いられています。二つ目の引用箇所については、サヴィアーノの言葉を導入する動詞、spiega (spiegare「説明する」の直説法現在、3人称単数)と conclude( concludere「締めくくる」の直説法現在、3人称単数)が、引用符にくくられて引用された言葉の途中にダッシュで囲まれて挿入されているので、読解が少し難しいかもしれません。
ベルルスコーニ首相の傍若無人ぶりを非難する声は、少数ですが与党内にも上がっています。下院議長のフィーニは、もともと「なぜこんな真面目な人がベルルスコーニと一緒に組んでいるのだろう」というのが不思議な人で、テレビの政治討論番組や様々な集会の中でもことあるごとに「司法の大切さ、司法官の働きぶり・信頼性の高さ」を断言していました。最近、彼がある会合に参加した際に放送中ではない(fuori onda)場面で発言した内容が実はしっかり録画・録音されていて、それが公表されたことが、与党内に波紋を投げかけました。
以下のla Repubblica.itの記事では、どういう場面で誰とフィーニが何について話したかを要約したあとで、フィーニと隣席の検事(procuratore della Repubblica)、トリフウォッジ(Trifuoggi)との間に交わされた会話がすべて書き写されています。記事の半ばにあるGUARDA IL FUORIONDAというリンクから、その会話の録画映像を視聴することもできます。
- la Repubblica.it - Fini, fuorionda su Berlusconi: “Ha il consenso per governare, ma non l’immunita assoluta” (1/12/2009)
政府の高職にある者が、会がまだ終わらず聴衆にマイクで話しかけている人がいるにも関わらず、平気で隣席の知人と長いおしゃべりを交わす、というのがイタリアらしくもあります。イタリアで驚くのは、(最近では日本でもそうかもしれませんが)時々映画館で平気でおしゃべりをする人がいることです。
音声が他の人の発言と重なっているため、聞き取りにくいかとは思いますが、画面上にもイタリア語の字幕がついていますので、中・上級の人はぜひリスニング力を鍛える教材に使ってみてください。
焦点となる部分を取り上げて訳しておきます。
Fini: "No ma lui, l'uomo confonde il consenso popolare che ovviamente ha e che lo legittima a governare, con una sorta di immunità nei confronti di... qualsiasi altra autorità di garanzia e di controllo... magistratura, Corte dei Conti, Cassazione, Capo dello Stato, Parlamento... siccome è eletto dal popolo..."
フィーニ:「いや、しかし彼は、この男は(石井注:ベルルスコーニのこと)明らかに自分の手中にあり、そのおかげで国を治めることが合法とされている国民の支持を、保証・監視を担う他のあらゆる機構に対する免責特権と履き違えている。……たとえば、司法府、会計検査院、破毀院、元首、議会に対してだ。国民から選ばれたのだから……」
Trifuoggi: "È nato con qualche millennio di ritardo, voleva fare l'imperatore romano"
トリフウォッジ:「生まれるのが数千年遅かったんだな。ローマ帝国の皇帝になりたかったんだろうに。」
Fini: "Ma io gliel'ho detto... confonde la leadership con la monarchia assoluta.... poi in privato gli ho detto... ricordati che gli hanno tagliato la testa a... quindi statte quieto"
フィーニ:「しかし、私は彼にこう言ったんだ……リーダーシップを絶対君主制と混同しているとね。それから、こっそりと彼に言ったんだよ……絶対君主制の君主を(人民が)断頭の刑に処したことを覚えておけよ、とね。……だから、君も安心しろ。」
与党内からは、この発言を「裏切り行為、恩知らず」と激しく糾弾する声が上がっています。しかし、下院議長フィーニの言うことはもっともなことで、どこも間違っていません。本人も「公の場でもいつも言っていることを口にしているだけで、釈明の必要などまったくない。」と語っています。以前は、ベルルスコーニとフィーニと組んでおり、前回の選挙の前に決別したUDCの党首カジーニも「フィーニは何もこれまでと違ったことは言っていない。」と述べています。
この記事の続きへのリンクは、以下のとおりです。
- 第30号(2)「政権の私物化を許すな、マスコミと司法を敵視 ベルルスコーニ」

