2009年 12月 31日
第33号(2)「歌『L’anno che verrà』(Lucio Dalla)」
2. イタリア語の歌 - Lucio Dalla、 『L’anno che verrà』
まずは次のリンク先から、歌を聞いてみましょう。後の二つの質問を先に読んで、質問に答えられるように、よく耳を傾けてください。
(1) 誰に対して、どんなコミュニケーション手段を使って語りかけていますか。
(2) 主に何について語っていますか。
さて、お分かりになりましたか。難しいという方は、次のリンク先の歌詞を見ながらもう1度聞いて考えてみてください。
- AngoloTesti.it - Lucio Dalla - L'Anno Che Verrà Testo
では、答えを考えるために、まず冒頭部分を見てみましょう。
“Caro amico ti scrivo così mi distraggo un po'
e siccome sei molto lontano più forte ti scriverò.”
caroという形容詞は「親愛な」、「(値段が)高い」という意味でよく使われます。英語で手紙をDear ...「親愛なる~へ」と書き始めるように、イタリア語でもこの単語を使って、Caro Francesco「親愛なるフランチェスコへ」、Cara Chiara「親愛なるキアーラへ」とするのが手紙の一般的な書き出しです。(caroは形容詞なので、相手が男性か女性かによって語形が変わります。)amicoは「(男性の)友人」ですから、語りかけている相手は(親しい)友人であることが分かります。
ti scrivoについて、このように動詞scrivereは、lettera「手紙」という目的語を伴わなくても、「手紙を書く」という意味を表すことがあります。-oは動詞の現在形で主語が「私」の場合の活用語尾です。ですから、(1)の答えは「(親しい男性の)友人に対して、手紙で語りかけている」となります。

最初の5行を訳してみますね。
“Caro amico ti scrivo così mi distraggo un po'
e siccome sei molto lontano più forte ti scriverò.
Da quando sei partito c'è una grossa novità,
l'anno vecchio è finito ormai
ma qualcosa ancora qui non va.”
「親愛なる友よ。君に手紙を書いて、少し気を紛らわせるつもりだ。
君はとても遠くにいるから、いっそう力強く書くつもりだ。
君が去ってから、大きなニュースがある。
古い年はもはや終わったといえるが、
ここではまだ何かがうまく行かない。」(「 」内は石井訳。以下も同様)
2行目のpiù forte ti scriveròについて、副詞forteは、「力強く、たくさん、大声で、速く」といった意味です。夫に言わせると、よくforte という言葉と共に使う動詞はparlare 「話す」であり、「ここでは、手紙だけれど話すように書いているから、こんなふうに表現している」ということです。parlare forteは「大声で話す」という意味でよく使われる表現です。この場合のforte はad alta voceと言い換えることもできます。遠くにいる相手には大声で話しかける必要がありますよね。私はよく義父に“Parla più forte! ”(もっと大声で[力強く]話しなさい)と言われます。義父の耳が遠いからなのですが、会話の際の声の音量が日本文化ではイタリア文化に比べるとかなり小さいからでもあります。
最後の行が訳しにくいのですが、vaは動詞andareの直説法現在、主語が3人称単数のときの活用形です。andareは「行く」を意味するほかに、人の健康や調子・物事・事業の進行状態などを主語にして、その様子を表す用法があります。「調子はどうだい」と人の健康や物事の進行具合を尋ねるには、“Come va?”と聞くことができます。「大丈夫、OK」をタリア語では“Va bene.”(直訳は「うまく行っている」)と言います。(英語からの外来語を使って、OKと言うこともよくあります。)小学館の『伊和中辞典』には“Il mio orologio non va.”「私の時計は動かない」という例文がありますが、non vaという表現は、「物事があるべき状態ではなく、うまく行かない」ことを意味します。
具体的に何がうまく行っていないかについては、歌詞の6~10行目に説明されています。
漢詩や文章の構成で「起承転結」と言いますが、この「転」に当たる大きな変換点が、この歌詞では13行目から始まります。
“Ma la televisione ha detto che il nuovo anno
porterà una trasformazione
e tutti quanti stiamo già aspettando”
「けれど、テレビが
新年は変化をもたらすだろうと言っていた。
だから、誰もかれもが皆(その変化を)待ちわびているところだ。」
このtrasformazione「変化」の内容もこれまた、16行目から27行目にわたって、具体的な例を挙げて詳しく説明しています。
その具体例を前半だけ訳してみます。
“sarà tre volte Natale e festa tutto il giorno,
ogni Cristo scenderà dalla croce
anche gli uccelli faranno ritorno.
Ci sarà da mangiare e luce tutto l'anno,
anche i muti potranno parlare
mentre i sordi già lo fanno. "
「クリスマスの日が3度あり、1日中お祭り騒ぎとなるだろう。
すべての(十字架の)キリストが十字架から降りるだろう。
鳥たちも戻ってくるだろう。
食べるものと日光が1年中あることだろう。
口がきけない人々も話すことができるようになるだろう。
耳の不自由な人たちはすでに話すことができるのだけれどね。」
奇想天外なありえそうもないことばかり並べてあるのがお分かりかと思います。こうした奇抜な「新年に訪れるあろう変化」を並べ立てたあと、けれど32行目から、は次のように歌っています。
“vedi caro amico cosa si deve inventare
per poterci ridere sopra,
per continuare a sperare.”
「分かるかい、親愛なる友よ。
笑い飛ばすために、希望を持ち続けるために、
どんなことをでっち上げなければならないことか。」
イタリア語を教える友人は、「重大な事件が相次いで、人々が衝撃を受けた暗い時代に書かれた作品で、そういった危機的な状況を乗り越えるためにも、歌を通して人々に希望を与えようとしている」と言います。 一方、私の夫は「世の中には意気を失わせるようなことも多いけれども、その中で笑いながら前を向いて進もうとしている」と解釈しています。
歌の最終行を見てみましょう。
“E se quest'anno poi passasse in un istante,
vedi amico mio
come diventa importante
che in questo istante ci sia anch'io.
L'anno che sta arrivando tra un anno passerà
io mi sto preparando è questa la novità”
「もし今年が一瞬のうちに過ぎ去るとしたら―
分かってくれるだろうか、我が友よ―
この一瞬にぼく自身もいるということが
どんなに大切になることか。
訪れようとしている年は1年後には去っていくだろう。
ぼくはその準備をしている、そしてこれが(冒頭で述べた)ニュースなんだ。」
過ぎた年や社会に思いを寄せるとき、「2009年は」、「2010年は」、「イタリア社会は」、「日本社会は」と大構えに捉えると、何だか抽象的で第三者として時代や世の中を眺めることになるのですが、実は私たち自身もこうした時代や社会の一員として関わっているわけです。
他人事でなく、自分自身に大きく関わるもの、自分たちで少しでも変えられるものとして時代・社会をとらえ、この一瞬(questo istante)を大切にして、懸命に生きていけたら。日本語でも、もともと茶道の精神を表す言葉ですが「一期一会」と言います。イタリア語でなら、Cogli l’attimo!(機会をつかめ、いまを生きろ)。
1年後に(tra un anno)、新年が過ぎ去ってしまうときに、「今年はこれまでと違って(あるいはこれまでの努力を継続して)、こんなことができた。」と、満足しながら1年を振り返れるような、そんな毎日が送れたらと思います。
歌の題名、L’anno che verraのverràは、動詞venire「来る」の直説法未来で主語が3人称単数のときの活用形です。この述語動詞の主語はl’anno「年」ですから、題名を訳すと「来る年、訪れようとする年」となります。この歌では、特に14~28行目の来年訪れうる変化を述べている部分で、イタリア語の未来形(直説法未来)が頻出していますから、直説法未来を学習中の方には、いい学習教材になると思います。
ルーチョ・ダッラ(Lucio Dalla) は冒険心とサービス精神が旺盛で、同じ歌でも様々に編曲して、多種多様な歌い方や演奏に挑戦する歌手です。この歌についてもYouTube上で、テレビ番組・コンサートなどでの様々な編曲や歌い方を楽しめます。ただし、一言一言がはっきり発音されていて、一番聞き取りやすいのは最初にご紹介したリンク先の映像だと思います。
ルーチョ・ダッラが歌っているところは次のライブ映像で視聴可能です。
ルーチョ・ダッラの歌は、曲調や発声・内容などが千差万別です。私が好きな歌はCaruso、Piazza Grande、A modo mio、3/4/1943などです。メルマガでも少しずつご紹介していきたいと思いますが、YouTubeのサイト上で歌手名・曲名を入力して検索すれば、歌の映像がいくつか見つかると思いますので、興味のある方は歌を聞いてみてください。
アルバムは数多くありますが、以下のものがおすすめです。
- Lucio Dalla - Caro Amico Ti Scrivo (アマゾンイタリアでのリンクはこちら)
- Lucio Dalla - Dalla Americaruso(ライブ録音、アマゾンイタリアでのリンクはこちら)
イタリアでは大晦日の夜は友人などと大勢でレストランや誰かの家に集って、ごちそうを楽しく食べておしゃべりしながら、新年の訪れを待ち、カウントダウンと共に、乾杯をして祝いのあいさつや頬へのキスを交わしあうのが通例です。外では花火がいくつも打ち上げられたりもするため、除夜の鐘で年を締めくくり、初詣で新年を迎える日本とはかなり雰囲気が異なります。
大晦日の晩に、日本なら年越しそばを食べるところを(食べたくて仕方がないので、残念です。)、イタリアではlenticchie(「ヒラマメ」、女性名詞・複数形。単数形はlenticchia)のスープをzampone(「豚の前足の皮に挽肉と脂身を詰めた食品」。定義は小学館『伊和中辞典』から借用)と共に食べるのが慣習となっています。lenticchieを食べるのは小さくて平たい豆粒をお金に見立てて、「裕福になれますように」という願いを込めてだとのことです。
では、皆さん、よいお年をお迎えくださいね。
ヤフージオシティーズのサービス終了のため、現在、このイタリア語学習メルマガのバックナンバーを、ブログに移行中です。すでにブログに収録済みのメルマガ一覧ページへのリンクは、こちらです。


オーソレミヨー・・とつづきます(笑)
古い人間ですから
イタリアのオペレッタか、それぐらいですね(笑)