イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

ペルージャ解放記念日と義父が語る連合軍砲撃

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 6月20日は、1944年にペルージャを連合軍がドイツ軍から解放した記念日であると共に、1859年に、イタリア国家統一運動に参加しローマ教皇領から独立しようとしていたペルージャ市民を教皇の軍隊が虐殺した日でもあり、

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Perugia 12/4/2014

今日は、この記念碑のもとで厳粛に式が催されたという報道が、昼の地方ニュースでありました。

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 以前に、モンテカッシーノ修道院が、本当はドイツ軍がだれ一人いなかったのに、いるとの誤解に基づいて連合軍に爆撃されたことについては記事にしていますが、ウンブリア州でも、ドイツ軍がすでに退却した地域を、連合軍が砲撃することがあったそうで、義父母からそれぞれが当時住んでいた村での終戦時の状況を聞いて驚きました。

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Perugia 7/6/2020

 この写真は、先日友人たちと歩いたときに撮影したもので、奥にテッツィオ山、その中腹にミジャーナの村が写っています。

 1944年、まだ少年だった義父が家族と暮らしていたミジャーナでは、それまで村を占領していたドイツ軍がすでに退却していたにも関わらず、連合軍による砲撃が始まり、テッツィオ山や村のあちこちで、被害や犠牲者が出たそうです。そのために、もうドイツ軍はおらずイタリアの一般市民が残っているだけだと連合軍に連絡しに行くために、志願者が村を出発したのですが、その際に義父も、あちこちに地雷が敷かれていた道を長く皆と歩いて、連合軍の兵士たちのところまで行き、白旗を掲げて、もうドイツ軍はいないのだと告げて、それでようやく攻撃が収まったのだそうです。

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 戦争と言えば、わたしの日本語の教え子である13歳の少年は、他の多くのイタリアの中学3年生と同様に、中学校の卒業に際して、写真や図を示しながら口頭で自分が選んだ主題について、様々な教科と関連づけて、オンラインで多くの先生方の前で発表することになっていて、少年が日本を主題に選んだので、ずいぶん前から、日本語の授業の際に、または電話で問われて、少年がきちんと準備と発表ができて、あり得る質問に答えられるようにと、わたしも何かと要望に応えて、あれこれ調べたり答えたり、助言をしたりしています。その発表が来週月曜日で、今日も電話で話をしたのですが、歴史については、第二次世界大戦を中心に取り上げるつもりだそうなので、その当時の日本について、あれこれ質問がありました。

 今もまだ戦火の絶えない国が世界にはあり、戦どころではない今のような状況においてさえ、他国と話し合って軋轢を解決する代わりに、交渉を絶つなどして国際関係を悪化させる国やそういう政治家が、残念ながらいます。多くの人の命や日々の平穏な暮らしを奪う戦争が起こらないことを願い、本当に国民のことを考えて、平和な世の中を実現してくれそうな為政者を選ぶ、その判断と意志と実行が、今ほど必要とされるときはないように、切に思う今日この頃です。

関連記事へのリンク
- ペルージャ花めぐり1
- 英米連合軍によるモンテカッシーノ修道院の爆撃

Articolo scritto da Naoko Ishii

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by milletti_naoko | 2020-06-21 07:15 | Umbria