2020年 08月 07日
広島原爆記念の日に、燃える雲とトラジメーノ湖
今日はイタリアのニュースでも、広島での原爆投下の記念日であることや、広島やローマで平和を祈る記念の式典が行われる様子が放映されていました。昨晩も、夫が広島原爆投下のドキュメンタリー番組を見ていたので、途中まではいっしょに見たのですが、日常が突然破壊され、黒煙が立ち昇り、多くの人々の命と幸せが奪われる生々しい映像にいたたまれず、途中で席を立ちました。
昨夜の番組でも、被爆された方々の回想の言葉が、しばしば放映されたのですが、今日のニュース報道でも、原爆投下直後の広島の様子や、当時の回想や今の思いを語る被爆者の言葉が報道されていました。中でも特に心に残ったのは、原爆を落とした米兵にどうしても会って話を聞かなければいけないと強く念じ続けて、その面会を果たした女性の言葉でした。
「この恐ろしい苦しみ、恐ろしい原爆を落とした犯人、その原因となったのは、戦争だということが分かりました。」
イタリア語の訳を、しかも家事をしながら聞いていたので、実際の言葉とは若干違う可能性があります。けれど、この女性や、記念の式典に参加された多くの方の、また世界各国で広島の原爆投下を思われた方の心に共通する思いではないかと思います。
戦争がいかに恐ろしいものであるかということ、
決して繰り返してはならないものであるということ。
市民の命や平穏な暮らしよりも戦争を、
自らの懐が潤うことを優先するような輩が
国政を担うことがないように、
政治に関心を持ち、自らの頭で状況や情報を判断し、
選挙では必ず投票しなければいけないということ。
そうすることで、自分や大切な人、国を守ることができるということ。
東日本大震災後、原発事故による放射能漏洩を報道した米誌の記事に、「自然界では、まさかこんなことは起こるまいということが、いつでも起こり得るのだ」とあり、そういう中で、「極めて地震の多い日本における原子力発電は、常にこうした恐ろしい被害の危険をはらんでいたのだ」と書かれていて、まさにそのとおりだと思ったことを覚えています。
万一の事故が起これば、どれだけ多くの人の命や生活を脅かし、奪うことになるか。それが分かりながらも、原子力発電を続けていく行政。被害に遭った地域の人々の暮らしや健康が安全になるために最善を尽くす代わりに、国の名誉や経済を優先する為政者。
新型コロナウイルスにおける被害が、当初世界で二番目に大きかったイタリアが、政府の指揮のもと市民が一丸となって、感染拡大を防ぐべく努めたおかげで、今は欧州や世界の国々と比べて、感染が抑制でき、世界で16位となったと、今日のニュースで報道がありました。
16位というのは、今こちらの感染地図で確認したのですが、これまでに確認されている累計感染者数を言っているのだと思います。感染状況を把握するために、イタリアで全国64,660人を対象に実施された新型コロナウイルス抗体検査の暫定結果で、イタリアでの実際の感染者数は、上の表に書かれた人数の6倍、148万2千人と推定されているということは、先日の記事でお話ししました。(記事はこちら)この暫定結果の発表に際しては、「この推定された人数を基準に考えると、新型コロナウイルスによる死亡率は2.3-2.5%と、世界の他国とほぼ並ぶものとなる」という発言もありました。イタリアでは、特に北伊では、本当は新型コロナウイルスで亡くなったのではないかと疑われるのにそうとされていない事例も多々あり、世界の他国にもそういう例が少なくないとは思うのですけれども。
閑話休題。わたしが言いたかったのは、その際にイタリアでは、首相たちが自信を持って言うように、
Fin dall’inizio abbiamo affrontato l'emergenza #Covid mettendo al primo posto la tutela della salute dei cittadini. Ed è per questo che, ancora oggi, rinnovo l'invito a rispettare le minime regole precauzionali nell'interesse dell'intera collettività. #IoMettoLaMascherina pic.twitter.com/PcWdfHLYPg
— Giuseppe Conte (@GiuseppeConteIT) August 3, 2020
非常事態の最初から、イタリア政府が、市民の命と健康をこそ最も大切で守らなければならないものとして、対応してきたということです。
経済も国の名誉も、まずはその国に暮らす市民の健康と幸せがあって、その後で考えるべきものではないでしょうか。何があっても戦争はせずに平和的な解決を試みるという憲法の条文や心は、日本国民と世界の人々の命や幸せ、平和の大切さをこそ最重要と考えているのですが、今の政府の今の感染対策から考えて、また、原発事故で被害を受けた地域への対応や原子力発電を続けていこうという在り方を見て、この政府がその平和を守り続けてくれる、国民の命と暮らしを任すに値すると言えるのでしょうか。
昨晩、広島の上空に湧き上がる灰色の大きな雲と、そのあとに降り注いだ黒い雨、放射能に汚染されたその雨を、のどの渇きのために飲もうとする人々の映像を見ながら、最近の日本の政治を思い、また、世界の情勢を思い、どうか2度とこのような恐ろしいことが、戦争が繰り返されることがありませんようにと、改めてそう思いました。
今後、世界の空に現れる大きな雲が、夕焼けに染まる、あるいは白い、または灰色の自然の雲だけでありますようにと願いながら、先週土曜日にトラジメーノ湖(Lago Trasimeno)で見た茜色に染まる雲とその水鏡の写真を添えておきます。
この日は夕焼け空とその色を映す湖面が、いつになく美しかったのですが、その夕景については、いつかまた記事でご紹介できればと考えています。
他の国でも報道されたでしょうね
人類史上初めて核兵器を使用された国のその記念日式典 当然のこと関心を持たれて然るべきですが、
世界終末時計が2020年に入って、100秒前まで進んだそうです アメリカとイランの関係が悪化したからですが、今は少し持ち直したものの、大きく後退することはないでしょうね 今でも世界覇権をたくらむ国、己の政権保身のために核開発に血眼になってる国(指導者) それらのために時計の針が後退することはないでしょうね
もし核戦争が勃発すれば人類は滅亡するかもしれません
コロナ、イタリアは頑張りましたね どうなることかと心配していましたが
翻って日本 第二波の様相を呈しています 盆の帰省がさらなる拡大を増幅させるのではないかと危惧されています
これも人類とコロナの戦争ですね masa
いま、日本では原爆被害の風化が叫ばれています。
テレビでは報道するのですが、被爆地以外では黙とう
の習慣もほとんどないそうです。母方の親戚が数人亡くなっていて、後遺症に悩む親戚を見てきただけに嘆かわしい限りです。
コロナでも日本の総理は先頭に立って指導力を
出そうとしていません。国民はあきれてます。
その歳月が、何を言わんとしているか?
一番わかっていないといけない政治家さんたちです
核保有しないのは当たり前ですが
核保有国に、未だにお伺いの国です・・
情けないですね・
イタリアのコロナ封じは功をなしたのですね
素晴らしいです
相変わらず・・
経済優先の姿に、肝心な有識者たちが、もの申せない
その結果が、今の日本の第二派です
自己管理以外に方法が無いのがむなしいです
ありがとうございます。イタリアも、今はヨーロッパの近隣諸国に比べて、感染をかなり抑えることができているのですが、そうした国ほか、様々な国への旅行や観光客を通じて少しずつ感染があちこちで広がっているようで、ここで気を引き締めなければと心配しています。帰省をしても、たとえば法令で、車両内で乗客が互いに安全な距離を取れるよう取りはかることを義務づけたり、マスクの着用、車両の消毒などを徹底すれば抑えていけると思うのですが、中途半端に、あいまいに自己責任や自粛ばかりを要求するだけでは困りますよね。
総理はもとより、わたしたち国民の一人ひとりも、政治や選挙、きちんと市民を考えた政治ができる人を見て選ぶことが本当に大切で、このままでは民主主義や平和憲法を守っていけるのだろうかと、不安になってきています。ローマまでバスなどを乗り継いでペルージャから3、4時間、大使館に投票のためだけにわざわざ来られたんですかと、昨年大使館の方に驚かれたのですが、自分にできる意思表示を、投票の義務と権利を遂行していくことの大切さを、今ほど感じているときはありません。
「イタリアが16位」というのは何が16位なのだろうと調べていて、久しぶりにこの集計を見ました。各地の様子が具体的、詳細に分かり、イタリアでも日本でも、おそらくニュースなどで言及される外国は数が限られているという点で、ありがたいですよね。
歴史を繰り返してはいけない、今こそ学ばなければ、伝えていかなければいけないと、切に感じる今日この頃です。
あるコメントでは原爆を落としたことによって戦争が終わったから、もし戦争が続いていたらどれだけの人々が亡くなったことか。原爆によって多くの人の命が救われたのだと正当化していました。
広島や長崎の被害者やその家族のことを思えばそのようなことを軽く言える筈がない筈です!
そんなことを思いながら読み進んでトラジメーノの茜色がいつもより赤くどきっとしました。
勝ち負けに関係なく、人の命を大切にするための歴史教育、そして、戦争をしない世の中にしていくための教育が必要だと感じています。そうなんです。わたしもこの赤とたそがれの暗さに、あえて当時の恐ろしい状況を重ねる思いもって、この写真を選びました。