2020年 08月 10日
馬を愛し城いっぱいに描いた城主、ヴェナーフロ パンドーネ城
このヴェナーフロの古城、パンドーネ城(Castello di Pandone)は、村の高みに建っているために、
ヴェナーフロの村全体や、遠くの青い山々まで見晴らすことができます。
眺めもすばらしい上に、「世界で唯一、実物大の馬のフレスコ画の数々で装飾された城なので、ぜひとも見る価値があります。」と、宿泊した宿の主人に教えてもらって、到着した翌日の午後、
今は博物館となっているこの国立パンドーネ城博物館(Museo nazionale di Castello Pandone)を訪ねました。
そして、話には聞いていたものの、城内に入ると、次から次へと入っていくどの部屋にも広間にも、様々な等身大の馬(cavallo)が描かれていたので、驚きました。
城主だったエンリーコ・パンドーネ(Enrico Pandone)は馬を愛し、軍馬の養育に情熱を注いでいて、自ら育てた馬を他の貴族などに贈り物として進呈していたそうです。
壁に描かれた馬は、中でも特に気に入っていた馬たちで、フレスコ画には、それぞれの馬の特徴や、いつだれに贈ったかなどという情報も、書き添えられています。
エンリーコ・パンドーネは、1522年から1527年にかけて、自慢の馬たちのこの一連のフレスコ画を描かせました。
特に注目すべきは、スペイン国王でもあった神聖ローマ帝国皇帝のカルロ5世(Carlo V)に、1522年に贈った馬、サン・ジョルジョ(San Giorgio)を描いたこのフレスコ画であるということです。
後の城主が、かつての装飾を消し去ってしまおうとしたとのことなので、おそらくはそのために、今は馬のフレスコ画の下絵だけが残っている広間や、
部屋もあります。けれども、博物館入口でもらったパンフレットには、こうして跡だけがわずかに残っている壁面から、一連のフレスコ画を描くための準備や手法を知ることができるとも書かれていました。
古代ローマ時代に遠い水源から引かれた清らかな水に満ちるヴェナーフロには、他にもとても興味深い博物館があり、標高が低いので暑くはありましたが、見どころが多く、本当に訪ねてよかったと考えています。
パンドーネ城の城主、エンリーコ・パンドーネが馬を贈ったカルロ5世が、今読んでいる『ルネサンスの女たち』に登場するため、歴史的な関係についても触れながら書こうと考えていたのですが、それでは書くのがいつになるのか分からず、また文章の収拾がつかなくなりそうですので、まずは馬の絵を中心に、この珍しい古城をご紹介することにしました。
Museo nazionale di Castello Pandone
Luogo della cultura afferente al Polo Museale del Molise
Via Tre Cappelle snc, 86079 Venafro (IS)
Tel. : +39 0865 904698
Email : drm-mol@beniculturali.it
Sito : http://www.castellopandone.beniculturali.it/il-castello
Direzione regionale musei Molise - Museo nazionale di Castello Pandone
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Museo nazionale di Castello Pandone
Unico e interessante il ciclo di affreschi di cavalli a grandezza naturale
realizzato per volontà del Conte Enrico Pandone,
bellissimi i panorami da diversi angoli del castello.
Venafro (IS), Molise 21/7/2020
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パンドーネ城、の馬のフレスコ画、素晴らしいですね!
こちらは馬好きの方には堪えられませんね。
ヴェナーフロ、まだ訪れたことがなかったです。
イタリアは本当にたくさんの宝のような街が散在していて、発見の連続ですね。お写真を拝見しているだけで、なにか街の空気が伝わってくるようです。
先日のコメントで、塩野さんのチェーザレの著作がデビュー作と書いてしまいましたが、ルネサンスの女たちの方が先だったのですネ。間違えて書いてしまってごめんなさい。
チェーザレボルジアを調べていくと自然に当時の都市国家群の歴史に結びつくので、ルクレツィアやイザベッラ・デステについてもとても深く調べられたのでしょうね。私はなぜか、塩野さんの著作を読むたび、いつもなにか目から鱗が落ちるような、新鮮な感覚を覚えます。私自身の内面も、実はかなり男っぽいのかもしれません。笑笑
うーむ、身震いするくらいの壁画ですね。
馬の壁画というと映画「世にも奇妙な物語」に
出てくる黒馬の壁画を思い出します。
馬と人間は、ともになくてはならない存在として
長く暮らしてきて、その思いはときとして「奇異譚」
として欧州の各地に残っているとか。
ヨーロッパ人の馬に対する思いが伝わってきます。
お城から見える風景もなんて素敵~♡
所々にちょっと変わった装飾の建物がまた面白いですね。
教会なのでしょうか。ニンニクが乗っているようなのも見えます。(怒られちゃいますね。笑)
お気に入りの馬を5年もかけて壁に描いたとは。
自慢なだけあって美しい馬たち。
でもあとの城主はなぜそれを消してしまおうと思ったのでしょう。
何がどう描かれていたのか・・・観たかったですね。
今の技術ならCGで再現などもできそうですが・・・
(よくドキュメンタリーなどで遺跡などの再現のシーンがありますが
ああいうの、大好きです)
貴重なものを観せていただきました!!!
ナポリに付いたときは
燦燦と輝く太陽が、季節を逆戻りさせてました
ほんの数か所しか知らないですが
イタリア南部、解放的な街並みと
白い建物の印象が濃く残っています
長い国ですよね、日本同様
方言があるのですね・・
どの国にも、それぞれの土地柄がありますよ
ヨーロッパをひとくくりにはできないですね(笑)
モリーゼは歴史も町並みも風景も、みどころがたくさんあるのに知られておらず、訪ねようとしても情報が見つかりにくいので、昨年初めて訪ねたときは、地元の人にあれこれ尋ねて、宝探しのようにあちこちの観光地を探して訪ねました。おっしゃるように、まさに「発見の連続」で、「宝のような街」がたくさん隠れているなあと思います。
コメントを機に、わたしが購入した文庫本の前書きと後書きを読み直すと(作品を読む前にまずこの二つを読みました)、いずれも塩野七生さんご本人の言葉で、前書きに「作家になるなど考えもしないでイタリア生活を愉しんでいた私が、偶然に出会った人に推められるままに書いた最初の作品が、『ルネサンスの女たち』です。」とあります。後書きには、1966年11月フィレンツェのアルノ川が氾濫した3日後に、ローマからフィレンツェに到着した塩野七生さんが多くの学生たちと共に、国立古文書館の泥に埋まった古文書の救出作業にあたり、毎日作業を進める中で、その1か月前「粕谷氏から与えられたテーマ「ルネサンスの女たち」を書くための勉強を、どんな風に始めるべきかわかってきた」と書かれていて、イタリアではよく聞くその大洪水や救出作業に、日本の塩野さんも関わられていたこと、そしてその中で、現代に書かれた歴史書だけではなく、多くの原資料に目を通して、「後世の人のフィルターを通さず、あの時代に生まれた人々に肉薄」しようと考えられたことが分かって、とても興味深かったです。塩野さんの作品を読みたいと思ったのは、まほろばさんたちの記事のおかげで、いつもの心からの、そして温かいコメントと共に、そうしてきっかけを与えてくださったことにも、感謝しています♪
機会があれば、ぜひ訪ねてみてください。
教会の鐘楼、確かにニンニクのようにも見えますね。ニンニクは好きな人も多いので、怒らずにそういう見立てもあるのかと、地元の人も考えるのではないかしらと思いました。
絵姿女房という日本の昔話がありますが、この城主も、「馬は手放しても、せめてその絵だけでも身近に残していつもいつまでも眺めてみたい」と思うほどに、馬たちを愛し自慢に思っていたのでしょうね。
実はこのエンリーコ・パンドーネ、後にカルロ5世の敵側に寝返って、けれど敗北したため、裏切り者ということで処刑されてしまい、この城は他の貴族の手に渡り、そのために、この新たな君主は過去の装飾を消し去ろうとしたようです。
日本同様方言があるのですが、日本と違って、同じ言語が各地で変容して方言になったのではなく、古代ローマ時代の話し言葉であった俗ラテン語が、イタリア半島の各地で、それぞれ独自に変容・発展してできた言語が、かつては政治的・行政的に分断した各地で話されていて、その言語、ナポリ語やローマ語、シチリア語などが、1861年のイタリア統一、そしてその後の標準語としてのイタリア語の採用と共に方言となったという経緯があるため、方言は語彙や文法、発音、イントネーションも各地でかなり異なるんです。それぞれの土地にそれぞれの食などの文化があるのもまた、そうしたかつての長きにわたる政治的・行政的分断から来ているんですよ。