2020年 08月 13日
ルクレツィアと文書く思いと暮れゆく湖
チェーザレ・ボルジアの盛衰に、『平家物語」の冒頭に書かれた言葉そのままに、まさに盛者必衰だなあ、「猛き者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ」なのだなあと思いました。

ルクレッツィア・ボルジアが、第1章の主人公、イザベッラ・デステと姻戚関係にあり、同時代に生きていたこともあって、たとえばチェーザレ・ボルジアがスペインに行き命を落とすまでのいきさつなど、第1章ではさっと触れられていただけで気になっていたことが、第2章を読んで明らかになるということが、よくありました。

興味深く読み進めることができたのですが、それほど知っているわけではないものの、わたしが思い描いていたのとは違うルクレッツィア像と、そうして、ひどく冷たく感じられる書きぶりに驚きました。

いくら手紙を書いて送っても、事態を解決するには、大切な人を救うには役に立たない手紙を書く、それはむだだという言葉から、作者が、ルクレッツィアを世間知らずで無知で役立たずだととらえているように感じられました。そうして、その突き放すような冷たさに驚きました。
「着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでます」
(都はるみさんの歌、「北の宿から」より引用)
ではありませんが、結果的に役に立った、立たなかったからと、その行いや人となりを低く評価するのではなく、むだかもしれないと分かっても、何かせずにはいられず、自分にでき得ることを必死に愛する人のためにしていくその行為はそれはそれでまた、そんなふうに突き動かす心と共に、尊く人間らしいとわたしは感じたのです。

手紙の件だけではなく、章の最初から、ルクレッツィアに対する作者の手厳しい、冷酷と思われるまでの評価に、わたしはとまどったのですが、それで思い出して、本の前書きを読み直して、また驚きました。作者である塩野七生さんご自身が、次のように書かれているからです。
「イザベッラ・デステは、こんな女とは友達になりたくないと思うくらいに我の強い女で、そこが私に似ていなくもなかったからです。
ルクレツィア・ボルジアとなるとそれとは反対の女に見えますが、私には同じように共感できた。長女に生れた私には兄という存在に憧れる気持ちが常にあり、チェーザレのような兄を持つことができるなら、政略結婚でもなんでも協力しちゃうなあ、と思っていたくらいなので。」
そうして、塩野さんのルクレッツィアについての書きぶりが冷たいのは、ルクレッツィアに重なる自分自身と似通ったところ、自分自身の弱さを、それではいけないと感じているからだろうかなどと、ふと思いました。同時に、文章というのは、書く人の思いと受け取る人の思いが離れてしまうことが、得てしてあるのだなあと感じました。

この記事は、イタリア時間8月12日の晩に、予約投稿として書いています。今夜も眠る前に、次の第3章を少し読もうと考えているのですが、その前に、第2章について感じたことを、忘れないように書き留めておきたいと思ったのです。ひどくとりとめもない文章になってしまいましたが、いつかは滅び傾く主人公たちの運命に沈む夕日を重ね、曇りの日でも夕景が美しいように、すべての人にかけがえのない価値があるのではないかという思いから、今日の夕べのトラジメーノ湖の写真を添えてみました。
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- 読書中『ルネサンスの女たち』とマントヴァ旅行の写真


この日のトラジメー湖は少し悲しげです。
夏休みには、どうしても、省けない宿題がありましたね
だから、どうしても「読書」という二文字に嫌悪感を抱いた
子供心に、読み手、語り手、そして、何よりも。書き手
三者三様の気持ちがあってよいのでは?
今は、解放で活字が好きです
第三章で、何か?輝きを見いだせればいいですね
とてもきれいな夕焼けだと感動しながら眺めたのですが、そうなんです。少し悲しげな、斜陽とも言うべき雰囲気のある写真を、記事の内容から選んでみました。
イタリアで4つ目に大きい湖です。トラジメーノ湖はけれど、火山が起源ではないんですよ。そのためか水深が5〜6メートルと低いんです。
起きた事件、それではいつかご紹介しますね。
今も日本全国で、読書感想文どうしようと考えている子供たちが大勢いるのでしょうね。読書感想文は、わたしもずっと生徒として書いていて大変でしたが、高校の国語の教員となって、夏休み明けに実力テストの採点や夏期課題の点検があって慌ただしい中、自分が現代文を担当していた150人近くの生徒たちの感想文を読んでコメントを書き、さらによい感想文を選んで、そのあと、他の先生方が選ばれた感想文にすべて目を通して、これはと思えるものを選んで協議するのもなかなか大変でした。
歴史や人物を知るという意味で、おもしろいなあと思って読んでいるんですが、第3章に入って、物語としても楽しんで読めるようになってきました。