Latina (LT), Lazio 15/9/2020
読み終えた『ルネサンスの女たち』に続いて、読むことに決めたこの本は、9月14日からの南イタリア旅行に持参して、初日にラティーナの砂浜で読み始めました。まだ夏の名残が残る浜辺で、若きチェーザレ・ボルジアが父の教皇即位を知った場面から読み始め、吹き荒れる北風で急激に気温が下がるペルージャで、夜中に 、チェーザレの戦場での死で物語を読み終えたのも、不思議な情景の一致のように感じます。読み終えたときには、真夜中を過ぎていたかもしれません。
ボルジアのドラマは、イタリアでも放映されていたのですが、どろどろした愛憎劇や策謀・殺人の多いドラマを見るのが好きではないので、旅先で一度少し見ただけです。ですから、塩野作品を読むまで、わたしがチェーザレ・ボルジアについて知っていたことと言えば、イタリア文学の『君主論』の授業や、イタリアの歴史の授業で学んだことくらいでした。
Palazzo Farnese, Caprarola (VT), Lazio 7/3/2015
一方、妹のルクレッツィア・ボルジアについては、一般に誤解され、言われているような悪女では決してないという短編ドキュメンタリー映画を、

カプラローラ(Caprarola)のファルネーゼ宮殿(Palazzo Farnese)で見ましたし、また、歴史チャンネル、Rai Storiaではさらに、君主である夫が留守の間、国をよく守る賢妻でもあったと紹介している番組も、見たことがあります。
『ルネサンスの女たち』では、作品に描かれたルクレッツィアの生涯や、彼女の人生を取り巻く当時のイタリアの政治状況などを興味深く読みつつも、それまでイタリアで得た情報からわたしが思い描いていたのとはやや異なるルクレッツィアの人物像や評価に、とまどいを覚えました。その一方で、『ルネサンスの女たち』の「第二章 ルクレツィア・ボルジア」や同書の他の章を読んだおかげで、今回チェーザレ・ボルジアを主人公とする小説を読む前に、いったいチェーザレ・ボルジアとはいかなる人物か、そして著者によってどうとらえているかを知ることができました。
塩野七生作品を読もうと決めたとき、まずは最初に書かれた2作品をと、上記2冊を購入してはいたものの、実は、『ルネサンスの女たち』を読み終えた時点では、わたしはチェーザレ・ボルジアにはあまりいい印象を抱いておらず、権謀術数にたけてかつ非情で、また不遇のうちに死を遂げる人物の物語を読むのは、気が進まないところもあったのですが、ブログのお友達が皆さん良書だとおっしゃっているからと、すでに購入していたこともあって、読むことにしました。
その結果、『ルネサンスの女たち』だけを読んでいては分からなかったような、様々な事情や当時のイタリアや教皇庁を取り巻く状況も分かり、美術史や歴史番組、旅行などを通して知っていた人物やできごとなどを、主人公の人生を軸とする物語を読みながら、自分の知識の中に有機的に位置づけていくことができたように思います。
Cesenatico (FC), Emilia-Romagna 19/6/2010
たとえば、10年前に友人の船でチェゼナーティコ(Cesenatico)を訪ねたとき、友人たちから「チェゼナーティコの港と運河は、あのレオナルド・ダ・ヴィンチが、チェーザレ・ボルジアの依頼を受けて、16世紀初頭に設計したものだ」と教えてもらってはいたのですが、なぜチェーザレ・ボルジアがレオナルド・ダ・ヴィンチに、チェゼナーティコの港と運河の設計を頼んだかは、今回本を読んで、初めて理解することができました。
また、この本を読んだら、きっと事情が詳しく分かるだろうと期待していた史実もありました。小説ではマジョーネの反乱と言われ、イタリア語ではCongiura della Magione「マジョーネの陰謀[謀反]」と呼ばれるチェーザレ・ボルジア打倒のための密談が、1502年に行われた場所は、
Castello dei Cavalieri di Malta, Magione (PG), Umbria 20/7/2017
わたしたちが時々ピザを食べに行くマジョーネ(Magione)の町にあるマルタ騎士団の城(Castello dei Cavalieri di Malta)なのです。

2017年7月には、その密談の様子を再現する劇が行われ、わたしたちも鑑賞しました。劇には史実を離れて創作された部分もあり、また、城の外を歩いたり、城内に入って広間へと登っていったりと、役者たちの後について、観客たちも移動しての上演で、物語を詳しく語るというよりは、雰囲気を感じさせようという要素が大きかったように思います。
それで、この本を読めば、いったいどういう経緯でこの陰謀が企まれることとなり、加担した人々がどんなふうに命を落とすかが、より具体的に分かるだろうと期待していたのです。
Senigallia (AN), Marche 19/9/2015
また、劇の最後に、反乱を計画した一同の大半が、セニガッリア(Senigallia)で命を落としたことには言及があったのですが、わたしたちがパン祭りで何度か訪れた海辺の町の、どこでどんなふうに征伐されたかが、ずっと気になっていたので、そのあたりの様子も、小説のおかげで詳しく知ることができました。
ちなみに、今記事を書くにあたって調べていて、この一味が討伐された場所には、現在では小学校が建っていて、壁にこの史実が起こった場所であると書かれていることを知りました。
自らの権益ばかりを思って動く君主の多い時代に、チェーザレ・ボルジアが、人民が暮らしやすい行政を意識していたということも意外でした。チェーザレの他の君主に対するふるまいが非情であったとしても、もし多くの人民がチェーザレのもとでは税や悪政、貧困に苦しむことなく生きていけたのであれば、結局はよい行いをしていたとも言えるのではないかとさえ、ふと思いました。「苛政は虎よりも猛なり」、その苛政を多くの民から取り除いていたわけですから。
読み始める前には、主人公のチェーザレにどちらかと言うと反感を抱いていたのですが、読むうちに、いつしかその不遇や危機を案じながら読むようになり、最後には戦場で無残な死を遂げたとは言え、一度は義兄のもとで厚く遇されて、また健康や若々しさも取り戻せていたのだということにほっとしました。
様々な国や人物の利害関係が錯綜していた当時、また、ただでさえ真実が定めにくい場合もあるであろう上に、敗者には歴史的記述が厳しくなりがちであることを思い、もし歴史的にできるだけ真実に近い当時のボルジア家やチェーザレ・ボルジアについて語るイタリア語の本があれば読んでみたいなと、この記事を書く前に調べてみたのですが、今のところはこれという本がまだ見つかっていません。マキアヴェッリの『君主論』がいいだろうかとも思いつつ、数か月前に原書で読み始めた『デカメロン』も、注がひどく多い上に、注に書かれている現代イタリア語訳が、回りくどく読みにくい直訳なので、途中で読みさしてしまっている状況です。
関連記事へのリンク- 読書中『ルネサンスの女たち』とマントヴァ旅行の写真- ルクレツィアと文書く思いと暮れゆく湖- アドリア海は俺の海 ~沿岸ミニクルーズ- 打倒チェーザレ・ボルジア、密談歴史劇とルネサンス宴の食をマジョーネの城で- パンの祭典 セニガッリア2
Articolo scritto da Naoko Ishii
↓ 記事がいいなと思ったら、ランキング応援のクリックをいただけると、うれしいです。↓ Cliccate sulle icone dei 2 Blog Ranking, grazie :-)
htmx.process($el));"
hx-trigger="click"
hx-target="#hx-like-count-post-31971830"
hx-vals='{"url":"https:\/\/cuoreverde.exblog.jp\/31971830\/","__csrf_value":"ad153e9a81ca8325593aa864e7e3b1d7e27aa3ef463611b694a25a0f10cdd4317615963c0daf68e8778b1390c80c5acf21dff34188268c8aef918d0d880e360c"}'
role="button"
class="xbg-like-btn-icon">