イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

食と時の共有の大切さを思う、『京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ』を読んで

 1月9日、山際寿一著、『京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ』を読み終えました。京都大学の学風に、アフリカでのゴリラ研究、アフリカの人々との交流やゴリラの生態など、思いもかけないような未知の世界に、本を開くと入っていくことができて、おもしろかったです。

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 ヘーゲルの弁証法を論理としては知っていても、たとえば夫と、友人たちと、あるいは仕事の場などで意見が分かれたときに、けれど、さあ、その違いの中から、双方の考えを取り込みつつ、新たなよりよい解決法を見出していこうというふうに、それを実地に移すことができていないことが多いのではないかと、この本を読みながら思いました。筆者は、大学や研究の世界でも、飛び込んだ先の異文化の中でも、相容れないと扉を閉ざすのではなく、互いの持つもの、互いの考えや意見を、よりよいものへと統合・発展させていきます。わたしも今後誰かと意見や考えが食い違うときは、筆者の姿勢に倣いたいと思いました。

 この本を読んで何よりも印象に残ったのは、人間は本当に社会的動物なのだということです。他の動物は、生きる糧である食料を分け合ったりはしないので、その食べ物を分け合って、しかもいっしょに食べるのは、まさに人間らしいことであり、また、そうやって食事を共にする時間を取ることが大切なのだと読んで、驚くと同時に、心に深く響きました。

 イタリアに留学したばかりの頃は、誰かが声をかけてくれて、いっしょに食事できるのがうれしかったのに、いざ自分の家や時間というものができてしまうと、そういうことが、ついおっくうになってしまっていました。夫や友人たちが、皆も仕事で忙しいはずなのに、しばしばいっしょに会ったり、行動したり、食事をしたりすることや、大家族が皆で集うことが、大切だとは思いつつも、自分の時間がなくなるなどと思うこともあったのですが、人が人として生きるために大切な、共に過ごすということ、絆を深めていくために大切なことを、イタリアの人は肌で知って、ずっとそうやって生きて暮らしてきたのだと思い、そういう温かい輪の中で日々を過ごしていけることをありがたいと思いました。

 筆者は、お酒が飲めることの大切さも力説しています。確かに、日本の高校で教えていたときには、日々学校でも、先輩の先生方が、あれこれ教えたり励ましたりしてくださっていたのですが、お酒の席で、深く親密に語り合うその中でこそ、学べたことが多くあるように思います。


 「同じ釜の飯を食った仲」と日本語では言い、イタリア語でも、仲間を表すcompagnoという言葉は、「パンで、同じパンを分かち合うことで」を意味するラテン語、cum panisから生まれたのだと、セニガッリアのパン祭りで言葉の派生を知って驚き、感嘆したのですが、今回この本を読んで、人の絆にとって共食がかくも大切であるからこそ、こうした表現や言葉が生まれたのだろうと、思いました。

 同じときを共有していくことの大切さや、時に人間関係が難しく思えても、時間をかけていくことの大切さはまた、『星の王子さま』やミヒャエル・エンデの『モモ』でも読んだのですが、この本を通じてそのことが、よりいっそう心に深く刻まれたように思います。

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Alessandro Barbero, "Carlo Magno. Un padre dell'Europa", Laterza

 この本を読み終えてから、慌ただしい日々が続き、おとといからようやく読書を再開しました。今読んでいるのはアレッサンドロ・バルベーロ著、『Carlo Magno. Un padre dlell'Europa』です。昨年12月14日の晩から読み始めていたのに、途中で読みさして、日本から届いた本を2冊読んでしまったら、内容がうろ覚えになってしまったため、今は最初から読み直しています。

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Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by kagura-x at 2021-01-20 06:50
人間という生き物は不思議です。
有り余るほどのパンを奪いある愚かさもあれば
一つのパンを分け合って食べる知恵もある。
人間という生き物はバカなのか賢いのか?

Commented by nonkonogoro at 2021-01-20 08:32
京大総長さんは
ゴリラの研究家なのですね。
たくさんの著書があるので また読んでみたいと思います。

私は基本的に一人行動が好きで
宴会などは苦手ですが
一緒に話していて 楽しいひとときが過ごせると
とても幸せな気持ちになれます。

Commented by yuki0901671 at 2021-01-20 08:47
おはようございます。

京大には霊長類研究所があって、
世界的に珍しい猿などがいて、楽しいところです。
会食がコロナ感染源のコアな部分だということが
常識になって、今後の世界は人との接し方が大きく
変わるかも知れないですね。
Commented by tokotakikuh at 2021-01-20 15:17
そうですね
特に、私のような年代に入ると
人と、人がコミュケーションを取る方法
あるいは、場がどんどん失われていきます
仕方のないことですが
その点をどう模索するか?
面倒ですよ、年齢が増すと( ´艸`)
寂しさとは打って変わって
面倒だからと、ついつい拒否していますから

霊長類
サルは、決して単独では行動しない
これに着目されている現実が
嵐山の「モンキーパーク」です
京大の先生たちが、開いた場所です
Commented by cocue-cocue at 2021-01-20 17:52
こんにちは。
山極先生のゴリラのお話は、短いコラムを読んで、そのわずかな文の中にもたくさんの学びがありました。
紹介されていた本、是非読んでみたいです。
イタリアの方々のつながり、コロナ禍では思うように集まりづらいとは思いますが、これまでの積み重ねがきっと、人の心を支えているのかもしれないですね。

またお邪魔いたします。時節柄、ご自愛ください!
Commented by mahoroba-diary at 2021-01-20 20:07
なおこさん、こんばんは。

山極先生の本を読了されたのですね。なおこさんのご感想に、共感しながら記事を拝読しました。
私も山極さんの本で、みんなと一緒に共食する根源的な大切さに気付かされ、人間性について深く学ばされたと思っています。人が一度に付き合えるのは150人程度まで、それも本当に仲良く行動できるのはラグビーチームくらいの人数、というご意見にも納得するんですよね。ネット社会ではイイねなどで簡単に繋がれると思いがちですが、本当に絆を築けるのはやはり目と目を見てのリアルな関係なのでしょうね。そのことを理解したうえでネットの社会もうまく取り入れて生きていかねばと、このコロナ禍でかえって認識している次第です。私は昨日塩野さんの小説の新刊(小説イタリア・ルネサンスの第4巻)を読了し、頭の中がヴェネチアやローマやフィレンツエで一杯になっています。笑 塩野さんは時に毒舌的に発言されるので嫌いな方も多いかもしれないですが、人間性への洞察力という観点では、山極先生とはまた違った意味で、やはり凄い人だなあと実感しています。
Commented by milletti_naoko at 2021-01-21 06:11
さくらさん、この本にも、他にいくらでも食べられるものが周囲にあるのに、なぜか相手が持っている食べ物をねだる類人猿の話が載っていたように思います。
奪い合うよりも与え合う方がずっと互いが豊かに、皆が豊かになるというのに、なかなかそれに気づくことができないのは、残念なことですね。
Commented by milletti_naoko at 2021-01-21 06:18
のんさん、わたしも大勢でわいわいという中にぽんと放り込まれるのは苦手で、どちらかと言うと、そういう中でも、誰か一人か二人とじっくり話すのが好きなので、そういう意味ではのんさんと同じように、いっしょに話して楽しいときを過ごせると、うれしくなります♪

よろしかったらぜひ。わたしも、まほろばさんの記事をきっかけに、この元総長さんの本を読んでみたいと思ったんですよ。自分の判断ではたぶん手に取ることがなかったであろう本を、こうやってブログなど、誰かの紹介のおかげで知って読むことができるというのはありがたいことだと思います。
Commented by milletti_naoko at 2021-01-21 06:31
yuki0901さん、こんばんは。
さすが、よくご存じなんですね! 京大の霊長類研究所や、そもそもそういう研究が生まれたのが日本であることなど、本を読んで初めて知って、とても興味深く思ったことがたくさんあります。

人と人と出会うこと、話すこと、共に食べること、その大切な機会を奪ってしまうウイルスを、早く追い払ってしまうことができますように。
イタリアでは、子供たちが学校に長い間通えていないことも、とても大きく深刻な問題になっています。
Commented by milletti_naoko at 2021-01-22 23:55
zakkkanさん、わたしが初めてペルージャの中心街に暮らし始めた頃は、対面販売で、「この野菜をいくつください」など、話を交わさないと買い物ができない八百屋やパン屋が近所にあったのですが、数年前に今や退職したというその八百屋の人に会ったことがあります。

日本でも、京都でも、きっと以前はそうだったのに、今ではスーパーで、言葉を交わすことなく買い物ができてしまう、そういう世の中になりつつあるのでしょうね。つきあいや会話は、確かに必要ではあるけれど、めんどうなこともある、そういうお気持ち、わたしもよく分かります。

そういう観察・研究の場所が、zakkkanさんはお宅の近く、身近なところにあるんですね!
Commented by milletti_naoko at 2021-01-23 06:35
cocue-cocueさん、こんばんは。
コラムの短い文章にも、それまでの体験や伝えたい思いが凝縮されているのでしょうね。わたしもそのコラムを読んでみたくなりました。
ありがとうございます。いつも互いの顔を見て、いっしょにいようとするからこそ、よけいに辛いのではないかと思いますが、おっしゃるように、これまで紡いできた絆の深さも、きっと支えになることでしょう。

コメントをありがとうございます。
cocue-cocueさんもどうかお体を大切にお過ごしくださいね。
Commented by milletti_naoko at 2021-01-23 06:50
まほろばさん、こんばんは。ありがとうございます。おかげで著者を知り、本を読むことができて、本当によかったです。この年になると、選ぶ本や読む本の傾向が決まってきますので、誰かがこれよかったらとくれる本(海外に暮らしていると、帰国が決まった友達などから突然どさりと、などということもあるのです)やブログなどですすめられている本、いつもとは違う世界を発見するきっかけにもなって、とてもありがたいです。
なるほど、他の著書では、そういうことにまで踏み込んで話もされているのですね。今は実際に会うのも共に食べるのも難しい時期ですが、本当に、顔を合わせる必要、その大切さを感じながら読みました。
一方、まほろばさんは、イタリアのルネサンス時代の中でお過ごしなんですね! わたしも今読んでいるカール大帝の本を読んだら、塩野さんのフェデリーコ2世を読もうと楽しみにしています。フェデリーコ2世については歴史番組でもよく関連番組を見るのですが、フランス王と神聖ローマ皇帝と教皇がその人生の鍵になるわけですし、まずはカール大帝で、その3者の関わりの根源を読んでみるつもりでいます。
by milletti_naoko | 2021-01-19 23:59 | Film, Libri & Musica | Comments(12)