イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

第34号「年末年始のイタリアの行事」

はじめに 

 今回は随筆風で、いろいろ写真を添えてあります。


1. Capodanno alla Verna


 イタリアには、大晦日の夜をにぎやかに友人や家族と過ごしながら新年を迎える人が多い、とは前号でもお話しました。レストランやピザ屋では、大晦日の豪華な夕食メニューを提供するところがあるのですが、こうした「大晦日の豪華な夕食」はcenone di San Silvestro(直訳は「聖シルヴェストロの日の豪華な夕食」)と呼ばれます。イタリア語で、夕食は一般にcenaと言い、cenoneという単語はこのcenaに拡大辞の-oneがついた形です。なぜSan Silvestroという聖人が引き合いに出されるかというと、12月31日がこの聖人を記念する日とされているからです。

 カトリック教では、たとえば10月4日はSan Francesco d’Assisi、6月20日はSan Luigi Gonzagaといった具合に、1年間365日のほぼ毎日がだれか聖人を記念する日となっています。イタリア人には聖人にゆかりの名前を持つ人が多く、そういう人にとって、自分の名前に縁のある聖人の記念日を、イタリア語でonomastico「聖名の祝日」と言います。たとえば、フランチェスコという名の人は10月4日、ルイージという名であれば6月20日が聖名の祝日ということになります。ただ、誕生日とは違って皆が意識して祝いを言うということはなく、omomasticoを意識してさらに覚えている人がたまにいて、電話を通じて、あるいは会ったときに祝いの言葉を言うくらいです。

 話が横にそれましたが、今インターネットで “cenone di San Silvestro”を入力すると、まだ昨年末の大晦日の晩餐のメニューや値段を載せているレストランのサイトがいくつか見つかりました。料理やレストランの写真が載っているサイトもありますので、興味のある人はいろいろなページをのぞいてみてください。料理名のイタリア語を読むのもいい勉強になります。

 第34号「年末年始のイタリアの行事」_f0234936_23114503.jpg
義父母、夫と祝った新年の訪れ

 例年、私と夫はリミニ近くに住む夫の古くからの友人と合流してにぎやかに新年を迎えるのですが、今回の大晦日は平日で夫が仕事をしたということもあり、我が家で静かに過ごしました。クリスマスの時期特有の甘いもの、たとえばパネットーネ(panettone)パンドーロ(pandoro)ヌガー(torrone)などを食べながら、夫と義父母と共に新年の訪れを待ち、カウントダウンの直後に、スプマンテspumante、男性名詞)でささやかな乾杯をして、新年の訪れを祝いました。赤いものを身につけていると幸運を呼ぶということで、義父母は二人とも赤いセーターを着ていました。また、新年の訪れと共に、ペルージャ郊外にある我が家の近くでも、大雨にも関わらず、あちこちでにぎやかに花火を打ち上げていました。

 第34号「年末年始のイタリアの行事」_f0234936_23240135.jpg
元旦に訪れた、聖フランチェスコゆかりのSantuario della Verna

 翌日の元旦(capodanno, capo d'anno)は、私が「日本風に新年を祈りの中で、敬虔な気持ちで迎えたい」と言っていたこともあり、アッペンニーニ山脈の切り立った岩の上に立つSantuario della Vernaを訪れて、この聖フランチェスコにゆかりの聖地の敷地内で過ごしました。このLa Vernaの教会は実は私たちが昨年10月に参加した巡礼の旅の最終目的地でもあり、聖フランチェスコが晩年に聖痕(stimmate、女性名詞・複数形)を受けたことでも有名な場所です。美しい自然に囲まれ、カトリック教徒に敬愛される聖人に縁の深い聖地であるため、前日から宿泊して、新年をこの聖地で迎えた人も大勢います。毎年、年末年始は宿泊希望者が多いので、9月頃までに予約をしないと空室がないということです。境内の中でも、ミサに参加した教会の中でも一心に祈りを捧げる人々をたくさん見かけました。イタリアでも、1年の最初の日を自分の人生や1年の在り方を深く考えながら過ごそうという人が数多くいるわけです。教会の敷地を取り囲む森や山も美しく、散歩に絶好の場所なのですが、今回は大雨が降っていたために散歩は見合わせました。(上の写真は、元旦当日ではなく数か月前に撮影したものです。)



2. クリスマス(2)


 ペルージャでは、クリスマス料理のパスタとして、スープ入りのカッペッレッティ(cappelletti in brodo)を食べる慣習があることは、第32号でご紹介しました。クリスマス当日の昼食の際に、この小さい帽子型のパスタも撮影しました。

 第34号「年末年始のイタリアの行事」_f0234936_23282869.png
cappelletti in brodo

 クリスマスは教区のSanta Luciaの教会、元旦はSantuario della Vernaの教会、1月3日の日曜日は我が家の近くにあるMontemalbeの修道院の教会へと、このところさまざまな教会のミサに出かけたのですが、いずれの教会でもこの時期は祭壇altare、男性名詞)が赤・白2色のstella di Nataleポインセチア(このイタリア語の植物名の直訳は「クリスマスの星」ですが、イタリア語でも別名はpoinsettiaです。)」で飾られ、祭壇のごく近くに、人形や風景の模型を並べてキリスト誕生の場面をあしらったプレゼーペ(presepe、男性名詞)が置かれていました。

 第34号「年末年始のイタリアの行事」_f0234936_02502473.jpg
Convento di Montemalbe、プレゼーペとポインセチアで飾られた修道院の聖壇
 
 プレゼーペは、アッシジの聖フランチェスコが、グレッチョ(Greccio)という地で、本物の人物や動物を使って、キリスト誕生の場面を再現したのが最初だと言われています。フランチェスコ修道会に属するMontemalbeの修道院では、教会内祭壇前のプレゼーペに加えて、敷地内の別の場所にも大がかりなプレゼーぺが飾られていました。

 第34号「年末年始のイタリアの行事」_f0234936_06062451.jpg

 右にキリスト誕生の場面、中央には砂漠があり、砂漠の奥には遠くに海と空が見えます。空の色はやがて赤くなって夕焼けを表し、しばらくすると青くなり、プレゼーペ全体の照明がだんだん暗くなって夜を表し、真っ暗な中で、前方に見える焚き火の明かりや左手に見える町の屋内の照明が際立つようになります。暗くなった空には、やがて聖母と受胎を告知する天使の姿が浮き上がり、彗星cometa、女性名詞)が走ります。砂漠(deserto)の左手では羊飼いたちが羊の番をし、そのさらに左には町があって、家の中でさまざまな職業に営む人々の動きを見ることができます。鍛冶屋は鉄を打ち、牛を使って穀物を挽く人がいれば、布を織り上げる女性もいる、といった具合で、さまざまな職人をかたどった人形は、巧妙な仕掛けによって、仕事をするのに関わる体の部分や仕事の道具が動くようになっています。

 聖フランチェスコは「人々が、イエス・キリストが生まれてきた際の寒さと貧困、素朴さを実感し、神の人間への愛を感じとれるように」と考えて、プレゼーペを考案したそうです。

 クリスマスの時期に子供たちに贈り物を運んでくるのは誰なのか。

 イタリアでも地方や家庭によって違うようですが、ウンブリア北部出身である義母も、中部のペルージャ出身の義父も、「幼子イエス(Gesù bambino)が子供に贈り物を届けてくれるのだ」と親から聞いて育ち、息子たちが幼い頃にはそう教えていました。サンタクロースもキリスト教の聖人ではあるのですが、イタリア語ではBabbo Natale(日本語に直訳すると「クリスマスのおじいさん」)と呼ばれるため、聖人の逸話がもとであることが不透明である上に、クリスマスが「イエスの誕生を祝う祭日」から、単に「贈り物を受け取れる祭日」に変わってしまって、伝統や宗教的意味が失われてしまったということで、義父母やうちの夫は、このサンタクロースの隆盛をあまり快く思っていません。

 義父母も最初は「幼子イエスからの贈り物」と言っていましたが、保育園や小学校でもテレビのコマーシャルでも、あるいはアメリカ映画でも「サンタクロース」を喧伝するため、近年はイタリアでもサンタクロースが定着しつつあります。というわけで、義父母や夫・その兄弟は、残念に思いながらも、最近では「サンタクロースからの贈り物」と言って、クリスマスプレゼントを姪っ子たちに手渡しています。

 一方、リミニ近くに住む友人たちは、「子供たちに贈り物を贈るのはベファーナ(Befana)だ」と聞いて育ったため、サンタクロースは従来の伝統であるベファーナと共通点を持つ存在だというふうに捉えています。

 二人の姪っ子のうち、8歳の姉娘はともかく、7歳の妹の方は、まだサンタクロースの存在を信じて疑っていません。この1年、イタリアではハローキティが絶大な人気を誇っていて、姪たちも服、カバン、おもちゃにペンダントと、かなりの数の関連商品を持っています。昨日義弟の家を訪ねて、この年下の姪とその従妹と話していたときに、姪にこんなふうに聞かれました。

 「ハローキティが日本で生まれたって本当?」

 何年も前に日本で考案されたのだと答えると、今度は「本物のハローキティに会ったことある?」と聞かれました。従妹に向かって、「ハローキティは日本にいるから、日本の子供は毎日会いに行けるんだ。」と得意気に言っていて、ほほえましかったです。実在だと信じている気持ちを大切にしたいと思うと同時に、「ハローキティ」という言葉すべてが、子猫の名前だと思い込んでいるところが興味深かったです。



3. L'Epifania e Befana (1)

 1月6日のEpifania「救世主の御公現、主顕節」については、すでに昨年、第2号でご説明しました。

 この日はイタリアのあちこちの町で催し物があり、老婆べファーナを装って子供たちにさまざまなお菓子を贈ったり配ったりします。姪たちはウンブリア州トーディ(Todi)の町に住んでいるのですが、トーディの中心街でも、べファーナが空から地上に降りてくるところを演出して、子供たちを喜ばせていたとのことです。

 マルケ州の町、ウルバーニア(Urbania)では、今年も1月2日から6日にわたって、Festa Nazionale della Befanaが開催されました。私がこの祭典に参加したのはもう7年も前ですが、今でも、小型飛行機からパラシュートを背負いホウキにまたがって降りてくるべファーナや、町の中心の広場に並ぶベファーナの小屋、中央ステージでたくさんのベファーナと共に踊る子供たちや町の人の姿をよく覚えています。 このウルバーニアで開催されるベファーナの祭典にはホームページがあるのですが、このサイトの中に、ベファーナの伝統について、由来や伝説などを語ったページがあります。リンク先のページでは、二つ目の、Secondo la tradizioneで、ベファーナの伝説が語られています。

・La Festa della Befana di Urbania - La Storia della Befana
 http://www.festadellabefana.com/storia-della-befana/

 次号までに、特にこのSecondo la tradizioneに注意して、このページに目を通しておいてください。

 内容が理解できれば、なぜこの日に老婆べファーナが子供たちにお菓子を贈ることになったのかが分かるはずです。


 では、また。新年もよろしくお願い申し上げます。
  

Articolo scritto da Naoko Ishii

↓ 記事がいいなと思ったら、ランキング応援のクリックをいただけると、うれしいです。
↓ Cliccate sulle icone dei 2 Blog Ranking, grazie :-)
にほんブログ村 海外生活ブログ イタリア情報へ   

Commented by tokotakikuh at 2021-01-24 14:22
素敵なご両親様ですね

赤い物を?
そうですね、日本にもあるのですよ
そういう、謂れが
下着ですが、赤が一時期流行りましたよ
寝たきりにならないという、ほぼ迷信ですが
私も還暦祝いに、娘から、友人からそれぞれ
赤い色の下着を頂きました(笑)
Commented at 2021-01-24 16:42
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by milletti_naoko at 2021-01-25 03:22
zakkkanさん、ありがとうございます。

赤い物を着て祝う習慣、日本にもあって、なんとはやったこともあるんですね! そう言えば、幼い頃に、ひいおじいさんの米寿か何かのお祝いに参加したとき、赤いチョッキを着ていたような。今はベストと言うのでしょうか。お嬢さんもお友達も、贈り物として選ばれるということは、それだけ広い世代間で、はやっていたということなのでしょうね。
Commented by milletti_naoko at 2021-01-25 03:26
鍵コメントの方へ

ありがとうございます。昨日も日本で、クリスマスゆかりの番組が放映されたんですね。それはありがたいです。なんと90代になっても、プレゼーペを作り続けられている方が!

そう言えば、わたしも出かけた先で、1月半ばにもクリスマスツリーなどが飾られているのを見ましたし、うちでも少し長く、クリスマスツリーを飾っておきました。明かりや彩り、どこかほっとした、うれしい気持ちに誘ってくれるので、そのためでしょうね。
by milletti_naoko | 2010-01-12 12:00 | Feste & eventi | Comments(4)