イタリア写真草子 ペルージャ在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

第36号(2)「聖パウロの愛の賛歌」(イタリア語の音声・映像へのリンクあり)

 2010年2月10日発行のイタリア語学習メルマガ第36号「バレンタイン・デー、愛の讃歌」の後半を、このブログに移行しています。第36号(1)「イタリアと世界のバレンタインデー」へのリンクはこちらです。


3. 聖パウロの愛の賛歌 (イタリア語の音声・映像へのリンクあり)


 愛と言うと、つい自分が愛されることばかり求めてしまいがち、自分と愛する人のことだけ考えてしまいがちな中で、上記のナンシーさんの言葉に心を打たれました。目を覚まされたと言った方がいいかもしれません。

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Basilica di San Paolo Fuori le Mura, Roma, Lazio 23/10/2011


 そして、好きな聖書の一節を思い出しました。その前半部分を、日本語で引用してみます。

~『新約聖書』の聖パウロの「コリントの信徒への手紙 一」13章2~3節

「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない」

(日本語訳は、日本聖書協会の『聖書 新共同訳』から引用しました。)

 私が特に好きなのは、この直後に続く部分です。次のリンク先の映像では、その部分がイタリア語で、聖パウロ(San Paolo)を演じる俳優の口から語られています。まずは聞いてみてください。46秒目から1分20秒目にかけてが、私の好きな言葉です。



  クリスチャンの方など、すでにご存じの方が多いかもしれませんね。言葉を見てみましょう。


“L’amore è paziente, è benigno l’amore; non è invidioso l’amore, non si vanta, non si gonfia, non manca di rispetto. L’amore non cerca il suo interesse, non si adira, non tiene conto del male ricevuto, non gode dell’ingiustizia, ma si compiace della verità. L’amore tutto copre, l’amore tutto crede, l’amore tutto spera, l’amore tutto sopporta. L’amore non avrà mai fine.”


 キーワードは何度も繰り返されている言葉、l’amore です。amore が「愛」を意味することはお分かりですね。「l’」は定冠詞です。

 では今度は、この「愛」を聖パウロがどのようなものだと語っているかに注意して、文字を目で追いながら音声を聞いてみてください。基本的で重要な語句だけ解説しておきます。

 pazienteは形容詞で「忍耐強い、我慢強い」。この名詞形が pazienza「忍 耐、我慢」で、単独で“Pazienza!”と使われることもよくあります。この“Pazienza!”という表現は、嫌なことがあって 「やれやれ。仕方ないけど、我慢しなければ。」と自分や仲間に言い聞かせるように使うこともあれば、誰か不平不満を言っている人に「我慢しろよ。」と諭すため、励ますために使うこともあります。

 cercare は動詞で「探す」、interesse は男性名詞で「興味、関心、利益」を意味します。

 interessante という形容詞は「おもしろい、興味深い」という意味で、よく使えるので便利な表現ですが、この言葉の派生を知っておくと、イタリア語の単語の意味を推測するのに役立ちます。

interesse 名詞「興味」+ -are (動詞を形成する接尾辞、innamorare の-are も同様。cfr. imbiancare 第3号 6.)
interessare 動詞「興味を抱かせる、関心を引く」 → interessante 形容詞「興味深い」

* -are動詞は語尾を-ante と変えて、現在分詞を作ります。本来 interessante という形容詞は、動詞 interessare の現在分詞だったのです。

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 その他、重要な動詞として、credere「信じる、思う」、 sperare「望む、希望する」が出てきています。pazienza と共 に、動詞 sopportare「我慢する、耐える、辛抱する」も覚えておいてください。一度教会でミサの最中に神父さんが、「結婚50周年を迎えた夫婦にその秘訣(segreto)を尋ねたら、この一言だと言われました。」と前置きして語ったその秘訣が “Sopportatevi!”でしたが、この言葉は「(あなた方、)お互い(の欠点や失敗)を我慢し合いなさい。」という意味で す。名詞 fine は「終わり」という意味の女性名詞で、イタリア映画では最後に画面に「FINE」(終わり、THE END)と書かれ ていることもよくあります。

 ちなみに、イタリアで日本のアニメが放映される場合は、ふつう歌はすべてイタリア語で新しい歌が作られ、製作者なども イタリア語で書かれ、番組内の音声はイタリア語に吸き替えられています。ただし、製作者や出演者名、「つづく」と最後に 画面に出る文字などが日本語のままである場合があります。日本のアニメを愛するイタリア人の中には、この「つづく」が「終わり」(FINE)の意味だと思い込んでいる人がよくいます。

 上記の語句を頭に入れてから、もう一度、文字を追いながら音声を聞いて、聖パウロが「愛」をどのように定義しているか理解するよう努めてください。

さて、それでは訳を見てみましょう。


~『新約聖書』、「コリントの信徒への手紙 一」13章4~8節から

「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。」(訳は、日本聖書協会の『聖書 新共同訳』から引用。)


 最後の“L’amore non avrà mai fine.”についてだけ、もう一言。avrà は動詞 avere の直説法未来で主語が三人称単数の際の形です。

 渡辺和子さんが、著書の中で、この一節の中の「愛」を「私」に置き換えたような生き方ができたら、人柄であれたら、と書かれています。人からは「愛、優しさ」を求めながら、自分自身はどうなのか立ち止まって反省する際にも、教えてくれる ことの多い言葉です。渡辺和子さんの著書に興味のある方は、第25号をご覧ください。カトリック教の精神を日々の在り方に即して、分かりやすい言葉で説明しているのですが、何より生きる勇気を与えてくれます。特に信者を対象としておらず、 宗教の勧誘もせず、ただ読者と一緒に望ましい生き方を模索している謙虚な筆者の言葉が身にしみて、私が大好きな作家の一人です。

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 結婚式を教会で挙げるにあたって、夫も私も一つずつ好きな聖書の一節を選ぶことができたのですが、私は迷わずこの一節を選びました。そこで、式の途中に友人が読み上げ、神父さんも説教の中に取り入れてくれました。そういうわけで私にとっては思い出深い一節でもあります。

 私がこの部分を選んだとき、神父さんは「Inno dell’amoreだね」と言ってくれました。訳すと「愛の讃歌」。ただ、現在イタリアのカトリック教会から公式に認められている『聖書』のイタリア語訳では、l’amore の代わりに la caritàという言葉が使われています。ですから、結婚式で読み上げた際にも、文章は“La carità è paziente, è benigna la carità...”となっていました。amoreという言葉には、「男女間、親子の間」の愛という狭い範囲での「愛」というニュア ンスがあるため、「隣人への愛、思いやり」という意味を持ち、「愛する対象」のより広い carità という言葉を使ったので しょうか。

 数多くある聖書の訳のうち、なぜ「新共同訳」のものを引用したかというと、この訳が非常に画期的な意義のあるものだからです。興味のある方は、以下のページをご覧ください。


 『聖書』を読んでおくと、単にキリスト教を理解するだけでなく、イタリア各地の教会に見られる様々な絵画や彫刻、さらに一般に教会美術や建築を理解するのにも大いに役に立ちます。単なる装飾のためではなく、無学な民の多い信者に、神やキリストの教えをより分かりやすく、また心を打つ形で伝えるためにも、教会では、さまざまな聖書の場面、キリストや聖母マリア、聖人たちの生涯が、みごとな絵画を通して語られています。

 例として、次のヴァティカン市国の公式サイトのページをご覧ください。


 ヴァティカン美術館(Musei vaticani)には、すばらしい芸術作品が無数にありますが、中でも見逃せないのは、ミケランジェロ (Michelangelo)の傑作「最後の審判」が壁面を飾る、システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)です。上のページを見ると、このシスティーナ礼拝堂の内部を撮影した写真があり、下の黒い部分の右側に言葉が一列に並んでいます。

 volta は「(アーチ型)天 井」、Giudizio Universale は「最後の審判」、parete は「壁」を意味します。nord は「北、北(面) の」、sud は「南、南(面)の」を意味し、ingresso は「入り口」の意味。これはイタリアでの旅行や生活を考えている人には必須の言葉です。「入り口」は entrata とも言い、「出口」は uscita です。一緒に、動詞 entrare「入る」、uscire「出る」 も覚えておきましょう。uscire については、第35号でも簡単にご説明しています。

 話がそれましたが、右に並んでいる言葉は礼拝堂の各部を指しており、これらの言葉をクリックすると、言葉に該当する部分に描かれた絵画を見て、説明を読むことができます。そうして現れたページ中の言葉のリンクをクリックすると、さらにその言葉に該当する絵画と説明のページが現れます。

 たとえば、クリックを続けると、「Peccato originale e Cacciata dal Paradiso terrestre (Genesi 3, 1-13; 3, 22- 24)」という次のページに行き当たります。

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 絵画の内容はイタリア語の題にもあるように「原罪と楽園からの追放」です。イタリア語の題名のすぐ下の行のかっこ内には、聖書のどの部分に該当する絵画であるかが記されています。Genesi は『旧約聖書』の「創世記」です。題名の下に、該当する聖書の場面を引用してあり、その下に絵画作品そのものについての説明があります。

 礼拝堂の、たとえばParete「壁」など、他の部分をクリックしても同じで、結局どの絵画も聖書のできごとを絵画で描き表したものだということが分かります。地方の教会の絵画だと、聖書に書かれている出来事だけではなく、聖書以後に生きた聖人の生涯なども描かれている場合もありますが、聖書に書かれたキリストの生涯の幾つかの場面はたいていの場合描かれているかと思います。

 というわけで、聖書を読むと、西欧文化の精神やイタリアの宗教を理解するだけでなく、教会の絵画などの芸術作品をより深く理解するにも役立ちます。興味のある方は、ぜひ毎日少しずつでも読んでみてください。宗教の経典というより、「物語」や「歴史」を独特の切り口から語ったものと考えて、読んで楽しむこともできるかと思います。(信者の方が気を悪くされていたら、申し訳ありません。)

 たとえば、以下の『聖書』がおすすめです。小さい版は字が細かすぎて目が疲れ、大きい版は置き場に困り、重たくて扱いづらいからです。

『中型聖書 - 新共同訳NI53』(日本聖書協会、1996年)

 次のヴァティカン市国の公式サイトのページからは、『聖書』のイタリア語訳を読むことができますから、このイタリア語訳と日本語訳を対照して、イタリア語の学習に役立てることもできます。読みたい聖書の部分をクリックするだけで、該当箇所が読めるページに移動します。

LA SACRA BIBBIA - Edizione CEI

 『LA SACRA BIBBIA』Edizione CEI は、CEI (Conferenza Episcopale Italiana、イタリア司教会議)の手になる『聖書』だ ということです。そして、この CEI の『聖書』こそが、イタリアのカトリック教会で公式に採用されている『聖書』であり、 各教会に置かれ、ミサで読み上げられているのもこの版のものです。

amazon.it - La Sacra Bibbia. UELCI. Versione ufficiale della CEI

 バレンタインデーの話が発端なので、少しキリスト教色の濃い話になってしまいました。けれども、「愛」を説き、美しく語っているのは何もキリスト教会だけではありません。最後に、やはり愛を語った美しい詩の一部をご紹介します。仏教詩人の坂村真民さんの詩です。

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Perugia, Umbria 27/1/2021


  「二度とない人生だから  坂村真民


   二度とない人生だから
   一輪の花にも
   無限の愛を
   そそいでゆこう
   一羽の鳥の声にも
   無心の耳を
   かたむけてゆこう

   二度とない人生だから
   一匹のこおろぎでも
   ふみころさないように
   こころしてゆこう
   どんなにか
   よろこぶことだろう

   二度とない人生だから
   一ぺんでも多く
   便りをしよう
   返事は必ず
   書くことにしよう  

   二度とない人生だから
   まず一番身近な者たちに
   できるだけのことをしよう
   貧しいけれど
   こころ豊かに接してゆこう

   二度とない人生だから
   つゆくさのつゆにも
   めぐりあいのふしぎを思い
   足をとどめてみつめてゆこう

   (後略)」


 読者の皆さんすべてに ― 恋人や愛する伴侶の方と一緒だという方はもちろん、まだ巡り合っていないという方にも、また 愛する人を失ったという方にも ― Buon San Valentino!  本来のバレンタインデーの精神は、この真民さんの詩にあるように、「かけがえのない出会いを大切にして、誰に対しても、何に対しても、愛を持って臨むこと」、「頼りや連絡を怠っている家族や友人に一筆したためる、あるいは電話をする機会を持つこと」なのではないかと思います。それならば、誰にでも充実したバレンタインデーを過ごすことが可能だと思います。

 仏教詩人、真民さんの詩に興味を持たれた方には、次の以下の1冊をご紹介します。

『愛蔵版 タンポポの本』 詩 - 坂村真民、画 - 殿村進 (春陽堂書店、2007年刊)

 美しい絵と力強い書体のおかげで、積極的に何度でも読み返して、勇気をもらうこと、自分の生き方を見つめ直すことができるからです。贈り物としてもおすすめです。



終わりに


 1月31日の日曜日に、トーディ(Todi)の町外れで、子供たちを中心とするカーニバル(carnevale)の仮装行列が行われました。

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Carnevale, Todi (PG), Umbria 31/1/2010

 地元の学校・幼稚園・保育所の子供たちが、それぞれにテーマを決めて、仮装をしたのですが、姪っ子たちが参加するというので、私たちもカメラを片手に見物・応援に出かけました。

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 では、また。昼のニュースでは、イタリアでは週末にかけて天気が悪化し、中・南部では雨が降り、北部は厳寒と雪に襲われるだろうと言っていました。今年は春の訪れが例年よりも遅く、3月31日までは、酷寒や雪がイタリアに到来する可能性があるとのことです。2・3月にイタリア旅行を計画されている方は、事前に天気予報をしっかり確認して、雨・風・寒さをしのげるような準備を十分に整えてください。

 イタリア各地の詳しい天気予報の調べ方については、第8号に書いてあります。大雪が降ると、交通が麻痺して、飛行機も電車も動かない場合がありますから、旅程を立てる際には注意してください。


 イタリア語学習メールマガジン「もっと知りたい! イタリアの言葉と文化」の、ブログに移行済みのバックナンバー一覧へのリンクはこちらです。


*2021年追記:今号をブログに移行するにあたって、次の号で紹介している新しいデ・マウロのイタリア語基本語彙辞典に基づいて、

 記事の説明中の単語を、次のように色分けしてあります。

基本語彙2000語現代イタリア語で使われる語彙の86%を占める
次いで使用頻度の高い3000語
上のいずれにも該当しないものの、イタリア人話者がよく使うと知覚している約2500語


Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by 3841arischan at 2021-02-19 12:17
なおこさん、トゥーディーでのカーニバルの行列、子供達、楽しそうで良かったですね~♡姪御さんたちは何処かな?と見てました(*^_^*)

坂村真民さん、愛媛県が誇る詩人ですね~
今では、坂村真民記念館がありますよね(^_-)-☆
この方の言葉は、優しくてそして力強いと思います♡
バレンタインの精神、まさにそのものです♡
コロナ禍でのバレンタインでしたが、愛があればどんなことでものりきれるそう言う風に感じたなおこさんの記事でした(*^_^*)
Commented by tokotakikuh at 2021-02-19 12:26
「愛:」とい詞に、日本人は弱いです
口に出すのがね・・(笑)
でも、愛おしいと表現すると
目に見えるもの、すべてに注ぎたくなるのが
宗教を超えた、人間特有の財産ですね
Commented by milletti_naoko at 2021-02-20 23:33
アリスさん、探してくださったんですね。ありがとうございます。11年前の写真なので、姪たちは、上の写真の正面にいる二人です。アレッシアがピンクの花の衣装に白い帽子、マッダレーナはオレンジ色の衣装に羽がついています。

坂本真民さん、今は記念館もあるんですね。愛媛では、詩集を贈り物にいただく機会も多く、言葉を引用される先生方も大勢いて、詩や絵によく励まされました♪
Commented by milletti_naoko at 2021-02-20 23:40
zakkkanさん、なんだか口にすると恥ずかしくなってしまいそうな、そういう言葉ですよね。「いとし」に比べると、まだまだ歴史も浅いのでしょう。

皆が自然にもつ慈しみの心、大切にしていける世の中でありますように♪
by milletti_naoko | 2010-02-10 13:00 | Lingua Italiana | Comments(4)