2010年2月17日発行のイタリア語学習メルマガ第37号「お祭り騒ぎから精進の日々へ」を、このブログに移行しています。この号は、
第37号(1)「お祭り騒ぎから精進の日々へ」の続きです。
2.サンレーモ、イタリア歌謡曲の祭典 - 歌『Malamoreno』(Arisa)
(日本での通称「サンレモ音楽祭」)
昨日はイタリアの歌謡界の大イベントであるFestival della Canzone Italiana di Sanremo(訳すと「サンレーモのイタリア歌謡曲の祭典」。通称、Festival di Sanremo)も始まりました。リグーリア州の町、サンレーモで毎年この時期に開催されるこの祭典も今年は60周年を迎えました。
たとえば“Nel blu dipinto di blu”という歌は、日本ではサビの部分で繰り返される言葉、「Volare」という題で知られていますが、この歌もサンレーモ歌謡曲の祭典で大賞を受賞して知られるようになり、のちにアメリカのグラミー賞最優秀楽曲賞も受賞しています。
うちの夫やその両親を始め、イタリアでは1960~70年代が歌の黄金時代であったと考えている人が大勢います。1951年に始まったサンレーモの祭典は、登竜門として、そうしたすばらしい歌や歌手を人々に知らしめる役割も果たしていました。歌い手が美しい音楽に乗せて、見事な歌唱で聴衆を魅了していた当時の歌は、確かに今でも何度聞いても飽きさせないものを持っています。バックミュージックが騒がしくなく、ゆったりと歌い上げているので、名曲であるだけでなく、イタリア語の勉強にも大いに役立つ歌がたくさんあります。いずれメルマガでも取り上げてみたいと思っています。
ニュースでは、近年はインターネットや他のメディア・機会があるため、サンレーモはかつての影響力を失ったと言い、歌も以前ほどすばらしいものは少なくなった(あるいは、なくなった)と言っていますが、それでも「サンレーモ」の時期には毎晩テレビの前に釘づけになっている人が大勢います。
視聴率については以下のページに書かれています。
題にすでに視聴率と視聴者の数が書いてあります。イタリア語では大きい数字を3桁ごとに区切るのにコンマ(,)の代わりにピリオド(.)を使うことに注意してください。視聴率は50%に近く、人気のある時事問題を扱う討論番組(Ballarò)や映画『Notting Hill』も同じ時間帯にありましたので、それらを押さえての大健闘と言えます。テレビ1台の前に視聴者が一人とは限らず、私たちのように複数で同じ番組を見る家庭も多いはずです。ちなみに、イタリアの住民人口は2008年12月に60万人の大台に乗ったところです。イタリアの国土は日本の5分の4ですが、人口は約半分。私たちは、毎週『Ballarò』冒頭のMaurizio Crozzaの社会風刺を楽しみにみています。ユーモアと皮肉の入り混じった巧妙で辛辣な風刺がおもしろいのですが、たとえばベルルスコーニが顔に傷害を負って入院していたときには、「いつもは分裂しているイタリアが今は一つになっている。誰もが首相のdimissioniを望んでいる。」なんて言っていました。与党側はdimissioni「退院」を、野党側はdimissioni「辞職」を望んでいる、ということです。昨夜も私たちは、Crozzaの風刺だけ見終えてから、サンレーモの祭典を見始めました。
今年初めて女性として司会を務めることになったAntonella Clericiは昼頃放映されるRAI1の料理番組の司会を長年務めたこともある人気のある女性で、私の義母も彼女の大ファンです。イタリア代表に招集されなかったサッカー選手Alessandro Cassanoをゲストに招き二人で会話を繰り広げたり、麻薬のためにRAI側が祭典への参加を認めなかった歌手Morganについて、番組中で歌うはずだった歌詞を読み、「麻薬に苦しむ歌手に歌う機会を与えることこそ、彼のみではなく多くの人の麻薬からの解放に役立ったのではないか」と訴えたり、彼女ならでは、女性ならではの様々な意味での訴えが効果的だったかと思います。
番組終了予定が午前1時ごろで、私たちは11時ごろには就寝したのですが、義母は最後まで見たとのことです。「昔のようないい歌はない」と嘆いていました。途中しか見なかったのですが、その中で、私と夫の気に入った歌が二つあります。一つは、昨年も新人賞を受賞したArisaが3人組のコーラスSorelle Marinettiと歌った『Malamorenò』です。少しレトロな雰囲気と軽快なメロディが気に入ったからなのですが、皆さんもぜひ視聴してみてくだい。
題名は歌のサビの部分、以下の部分の最終行から取られています。
"può scoppiare in un attimo il sole
tutto quanto potrebbe finire
ma l’amore, ma l’amore no"
「一瞬のうちに太陽が爆発するかもしれない。
何もかもすべてが終わってしまうかもしれない。
でも、愛は、愛はそうじゃない。」(「 」内は石井訳、以下も同様。)
二度目は、下のリンク先の歌詞を目で追いながら聞いてみてください。
私が好きなのは、特に中盤から後半にかけての歌詞です。
"E a volte basta che sei qui vicino
A volte basta che ci sei
Perché a me basta che sei qui vicino
Perché a me basta che ci sei
Il dolore può farci cadere
La speranza potrebbe sparire
Ma l’amore, ma l’amore può
Far tornare a sorridere ancora
Imboccare una strada sicura
Sì l’amore, sì l’amore può"
「あなたが近くにいてくれるだけで十分なときもあれば、
あなたがいてくれるだけで十分なときもある。
それは、私にはあなたがそばにいてくれるだけで十分だから、
それは、私にはあなたがいてくれるだけで十分だから。
苦しみが私たちを打ちひしぐかもしれない。
希望は消えてしまうかもしれない。
でも、愛は、でも愛にはできる。
再び笑顔を取り戻させることが、
安全な道に進ませることができる。
そう、愛は、そう、愛にはそれができる。」
potereという補助動詞の役割に注意してください。動詞の不定形を伴って使われるこのpotereは能力を表し「~できる」という意味である場合もあれば、推量を表して「~するかもしれない」という意味である場合もあります。
puòは、potereの直説法現在で、主語が三人称単数の際の形です。たとえば歌の冒頭部の「può scoppiare in un attimo il sole」では「太陽が一瞬のうちに爆発してしまうかもしれない」とpuò(potere)は「推量」を表していますし、直前に引用した部分の半ばにある「Il dolore può farci cadere」でもpuò(potere)はやはり「推量」を表しています。けれど、最終部分で「ma l’amore può far tornare a sorridere ancora, imboccare una strada sicura」と歌っている、このpuò(potere)は「(愛は)~できる」と「愛」の力、能力を表しています。
Il dolore può farci cadereという部分以下で、fareという動詞が二度出てきています。
"Il dolore può farci cadere
La speranza potrebbe sparire
Ma l’amore, ma l’amore può
Far tornare a sorridere ancora
Imboccare una strada sicura
Sì l’amore, sì l’amore può"
この部分ではfareという動詞が使役動詞であって、動詞の不定詞を伴って「~に…させる」という意味であることに注意してください。farci はfare + ci (= a noi)ですから、「私たちに~させる」という意味です。「l’amore può far tornare...」の部分では、fareがfarとなっているのは、語呂をよくするために、アクセントのない語尾音の-eが削除されているためです。
この曲は、イタリアでは2月19日に発売予定のArisaの新しいアルバムのタイトルにもなっています。 Amazo.co.jpでは発売予定が2月23日ということです。気に入った方は、ぜひ購入して歌やリズムを楽しみながら、イタリア語の学習にも役立ててください。
昨年のFestival di Sanremoで、このArisaが新人賞を受賞した歌『Sincerità』もすてきな歌です。この歌についても、歌の映像とアルバム情報へのリンクを貼っておきますので、ぜひ聞いてみてください。
2010年2月18日
昨夜のFestival di Sanremoでは、ヨルダンのラーニア王妃をゲストとして招いていました。インタビューで王妃が話すのを聞いているだけで、国王妃としても母としてもすばらしい人柄だということが伝わってきました。すべての子供が教育を受けられるよう全世界に働きかけ、国民のことを思って国務に携わり、自分の家庭も大切にしてできるだけの時間を子供たちと共に過ごそうと努めているようです。王妃は、イスラム教やアラブ民族への差別解消のために、YouTube上でもコミュニケーションを図っているとのことでした。イタリアのテレビニュースの犯罪・テロ報道や現与党の政策や発言がイタリア国民に外国人、イスラム教徒、異民族などへの偏見を助長する中で、Festival di Sanremoという幅広い大衆に人気のある番組の中で、こうした賢明で尊敬できるイスラム教、アラビア文化の人物を招き、その人となりを皆に知らせる、というのは、政府や知識人が差別解消を訴えるよりもずっと効果的だったのではないかと思います。
関連記事へのリンク
最近イタリアには暗く深刻なニュースが多く、大規模なfrana(山崩れ、地滑り)が南部で二箇所立て続けに起きて、住宅をなぎ倒し、道路を崩壊させるなど大被害を起こして、多くの人が生涯働いてようやく建てた家を失い、安全のために立ち退きを余儀なくされました。新たな汚職疑惑も多数発生し、問題になっています。経済危機も続き、閉鎖が決定された国内のFIAT工場の労働者も抗議のデモを繰り返し行っています。そんな中で行われた今年のFestivalには、そうした暗い世相を告発する歌もありました。汚職が見つかったのは盗聴のおかげであり、イタリアでは近年告発される汚職事件の件数が激増したというのに、与党が「調査のための盗聴」を制限しようとはかるなど、最近のイタリアでは、先行きが不安になるような出来事が頻発しています。
では、また。皆さん、お元気でイタリア語の学習を続けてくださいね。
Articolo scritto da Naoko Ishii
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