イタリア写真草子 ペルージャ在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

古のエトルリアの墓へと歩く春の山道

 今日は、紀元前2世紀のものと推定される古代エトルリア人の墓、la Tomba Etrusca del Faggetoを訪ねました。この墓は、ペルージャの北方、中心街から北へ18kmの地点にそびえる丘の頂付近にあります。

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La Tomba Etrusca del Faggeto, Perugia 26/3/2021

 今から約100年前、1919年の末から1920年の初めに、ブナの森(faggeto)で、きこりが偶然発見した墓で、当時ブナの森があったことから、地域も墓も、ファッジェート(Faggeto)と呼ばれるそうです。

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 ペルージャ周辺で見つかった墓の中で、この墓だけが、入り口に扉があるのだそうです。

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 こんなふうに扉の端の突き出した部分が、上の石にはめ込まれているため、今でも扉を開閉できるようになっているというのも、おもしろいです。

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 この扉や墓に供えるかのように、かわいらしい白い花がたくさん咲いていました。

 ずいぶん前に一度だけ夫と歩いて探したものの見つけられずにいたこの古代の墓を、今日訪ねることにしたのは、最近のお気に入りの散歩道へ行く途中の道路が、自動車のラリーで通行止めになっていたからです。

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 最近よく歩く道に、サン・ジョヴァンニ・デル・パンターノとファッジェートの墓への道しるべがあったので、いつもの場所に向かう車道が通行止めになっているなら、今日はそのトレッキングコースの一番北の端から歩いてみようと考えたのです。パンターノは主要道路のすぐ近くにあり、この主要道路は通行量も多いので、ラリーは行われないはずでした。

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 トレッキングコースの出発地点はパンターノの教会だったのですが、13.3kmと距離が長いからと、夫がさらに少しだけ車で進み、パンターノの村はずれにある墓地の前に駐車して、そこから歩き始めました。

 墓地を出発して、古代エトルリアの墓を訪ね、そうして墓地に戻るという墓めぐりのトレッキングコースになっていたことには、歩いている途中に気づきました。まあ、昨日がダンテの日で、ダンテや、地獄・煉獄・天国をめぐり歩く『神曲』についてのテレビ番組をいくつか見ていますし、ちょうどお彼岸の頃でもあります。

 閑話休題。墓地から30分近く歩いて、この道しるべがある分岐点までやって来ました。下の道しるべには、ファッジェートの墓まで35分と書いてあったのですが、わたしがようやく墓にたどり着いたのは、この案内を見た50分後でした。

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 かなり長い間、テッツィオ山(Monte Tezio)が左手に見えていて、また、木の花、野の花があちこちに咲いていました。

 そろそろ墓が近づいたはずなのに、道しるべがないと立ち止まって地図を調べ、歩き始めてしばらくすると、

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墓へと進む道が、きちんと道しるべて示されていました。

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 最初のうちは、間違えようのない一本道がずっと続いていて、野スミレや

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エリカがあちこちに咲いていました。

 ところが、途中で、道がいくつもに分かれてしまって、どう進めばいいか分からなくなり、

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トレッキングコースから外れて、迷ってしまいました。けれども、斜面の上の方に人が数人いたので、どうやらあの緑の木のある場所に墓があるらしいと分かり、斜面をまっすぐに登っていきました。

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 古代エトルリアの墓の前にも、野スミレが咲いています。

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 こんなふうに、墓の前方にはテッツィオ山がそびえています。

 ウンブリア州を南北に縦断して流れるテベレ川は、古代にはウンブリア人とエトルリア人が住み分ける境界でもあり、テッツィオ山はテベレ川のすぐ西にそびえていて、周囲を見渡すことができるため、エトルリア人にとっては警備の要所であり、神殿もありました。だからきっと、そのテッツィオ山が見晴らせるこの場所を選んだんだろうと、夫は言います。

 金曜の朝なら人が少ないだろうと、今日は朝から山を歩き、昼頃に、このファッジェートの墓に着きました。十数キロメートルあるトレッキングコースをすべて歩くことになったため、日本時間で昨日のうちに、うちに帰ってブログの記事を投稿することができないと思い、まずは墓のすぐ近くから、携帯写真で撮影した写真と共に記事を投稿したのですが、夕方に家に戻ってから、資料を見て、写真を添え、記事を書き直して、再び投稿しています。

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Tomba Etrusca del Faggeto (II sec. a.C.), Perugia
Ornati dai fiori ora sia la tomba sia i sentieri.
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関連記事へのリンク / Link agli articoli correlati
- 考古学・登山ガイドと行くテッツィオ山、ペルージャ / Escursione insolita sul Monte Tezio
- エトルリアの骨壺・さかずき 日曜は博物館 / Museo Archeologico Nazionale dell'Umbria
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- 古代エトルリア墳墓とスフィンクス、トスカーナ キウーシ / Tombe etrusche & musei di Chiusi
- エトルリア墳墓遺跡と早春の花、ブレーラ / Necropoli Rupestri dell'Etruria, Blera

参照リンク / Riferimento web
- I luoghi del silenzio - Tomba del Faggeto - Perugia (PG)

Articolo scritto da Naoko Ishii

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ブログテーマ:お気に入りの場所やお勧めスポット・お店を教えて!
Commented by django32002 at 2021-03-26 21:32
エトルリアって何か全く分からなかったのでググりました。
(本当にお恥ずかしい…。)
「古代のイタリア半島中部にあった都市国家群」と知ったところです。
日本の弥生時代にあたる頃なのでしょうか?
古い遺跡が当時のまま遺されているのですね。
Commented by meife-no-shiawase at 2021-03-27 00:27
なんだかものすごい迫力です。
こ、これはお墓の入り口なのでしょうか?
ちょっと怖い・・・。

1919年に発見・・・
いったいいつ頃に作られたお墓なのでしょう・・・。

お墓とスモモの花というのがなんだか不思議な組合せです。
なおこさんはこういうところは大丈夫なんですか?
私はビビリ屋なのでダメダメです。
Commented by nonkonogoro at 2021-03-27 08:24
以前見つからなかったお墓が
ちゃんと発見できて 良かったですね。
この墓の内部まで 入れるのですか?

はめ込み式の扉
昔の人は賢いですねえ。。。

Commented by tokotakikuh at 2021-03-27 15:43
お墓ですか・
珍しい仕組みですが
当然、土葬ですね

扉付とは、生前の暮らしを想像しました

白い花は?
野ばら?では、無いかな?と(笑)
Commented by ciao66 at 2021-03-27 18:07
エトルリア人はとても眺めのいいところに眠っていたのですね!
そこは道に迷ってもカンが良ければ判るような場所?
そして花咲く山の上、なるほどという所です。
歴史も見つけられて、いいお散歩になりましたね♪
Commented by milletti_naoko at 2021-04-02 05:25
django32002さん、どこの国でも、自分の国とどこか有名な国の歴史についてばかり専ら勉強しがちですよね。大丈夫です。イタリア人も、弥生時代も縄文時代も知らない人の方が多いですもの。イタリアの古代というと、古代ローマばかりが有名ですが、古代エトルリア人はそのローマが力を得るずっと前から、広範囲にわたって高度な文明を築いていた民族です。トスカーナ、ラッツィオ、ウンブリアには、かつてエトルリア人が暮らしていた地域があり、ウンブリアとラッツィオでは、テべレ川を境に住み分けていて、ウンブリアでは、川の西にはエトルリア人、東にはウンブリア人が住んでいたんですよ。
Commented by milletti_naoko at 2021-04-02 05:38
メイフェさん、そうなんです。お墓の入り口で、紀元前2世紀のものと、発見当時に中にあった陶器などから推定されているようです。

わたしもお化け屋敷は苦手で、夜の墓場での肝試しなど絶対だめで、まんが日本昔話でさえ、夏に怪談があるときは見ないようにしていたほどなのですが、青空の下訪ねられるこういうお墓なら大丈夫です。発見当時には、火葬された骨の灰を収めた骨壺があったそうで、亡き人の遺骸がないというおかげでもあるかもしれません。こちらではもっと大きい地下の墳墓も少なくないので、そういうお墓に入り慣れてしまったのかもしれませんね。
Commented by milletti_naoko at 2021-04-02 05:43
のんさん、ありがとうございます。今回は訪ねることができて、本当によかったです。そうなんです。すばらしい壁画があるような墓だと、前に鉄の扉があって、有料でガイド付きでないと入れないような場合が多いのですが、そういう壁画もなく、また半畳の押し入れほどのごく小さなお墓である簡素なおかげであるおかげで、中にも入ることができました。

このお墓を考えた人、いいことを思いついて実行に移していますよね。
Commented by milletti_naoko at 2021-04-02 05:48
zakkkanさん、実はペルージャ近辺で見つかっているお墓は、時代にもよるのですが、石の棺にそのまま亡き人を葬っているか、あるいは火葬にして骨壺を祀ってあって、この墓でも、奥に見える石の台の上に、発見当時は骨壺が置かれていたそうです。今はきっとどこかの考古学博物館にあるのだと思います。

白い花はスピノサスモモです。写真では花の大きさが分かりにくいのですが、野バラの花はずっと大きくて、花盛りは5月なので、咲き始めるのは確か4月下旬頃からではなかったかと思います。
Commented by milletti_naoko at 2021-04-02 05:53
ciao66さん、こんな高みに、しかも小さなお墓が一つぽつんとあるというのは、ひどく珍しいのではないかと思います。亡くなった人が山や孤独、自然を愛する人だったのかしらなどと想像しています。

ありがとうございます。久しぶりに、春らしい眺めを存分に楽しみながらたくさん歩き、ようやくエトルリアの墓も訪ねることができて、本当によかったです。
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by milletti_naoko | 2021-03-26 20:06 | Umbria | Comments(10)