1.イタリア建国150年祭
昨日はイタリア各地で、盛大に建国記念150周年祭が催されたのですが、では、この日が選ばれたのは、なぜでしょうか。イタリアという国の統一、あるいは建国に関わる年や月日というのは、正確には一つではありません。1861年には、ヴェーネト、トレンティーノ、ヴェネッツィア・ジューリアは、まだイタリアの領土ではなく、ローマもまだ教皇の支配下にありました。ようやくローマが新生イタリア王国(Regno d'Italia)、さらに首都となったのは、1870年のことでした。
Corciano (PG), Umbria 17/3/2011
では、1861年に、そして、3月17日には、何があったのでしょうか?
"Il 17 marzo 1861 il parlamento subalpino proclamò Vittorio Emanuele II non re degli italiani ma ≪re d'Italia, per grazia di Dio e volontà della nazione≫. " -
it.wikipedia.org - Risorgimentoから引用。
「1861年3月17日に、(サルデーニャ王国の)ピエモンテ議会は、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世をイタリア人の王ではなく、『神の恩寵と国民の意向による、イタリアの王』と宣言した。」(「 」内は石井訳。以下同様)
つまり、1861年に、これまで政治的にいくつもの領土に分断されていたイタリアが、ようやく王のもとに一つの国として生まれたことが宣言された年、そして日なのです。
昨日わたしは、ペルージャ北方にあるコルチャーノの町で行われた、イタリア建国150周年祭りに参加しました。地域の文化協会やイタリア統一(Unità d'Italia)をテーマに、舞台に上がって、地域の皆が歌ったり、演奏したりしたのですが、中でも感動したのは、子供たちが自分でイタリアの歴史を調べたり、祖国について考えたりして、発表した、その内容です。
特に感動した発表の中から、子供たちの言葉をいくつかご紹介します。

"Saremo noi la bussola del futuro. Anche se a volte il nostro paese sembra un rompicapo...Svegliamoci, il futuro ci aspetta... Vogliamo un'Italia senza limiti."
子供の語彙で、それほど難しくはありませんので、初級の方も、まずは何度か読んで、内容を大ざっぱでいいので、理解しようとしてみてください。
基本重要語句、覚えておくと便利な言葉は赤で記しています。
futuroは「未来、将来」、anche se... は「たとえ…ても」。paeseは国なのですが、「小さい市町村」のことも、イタリア語ではpaeseと言うために、「国」という意味で使っていることを強調するために、Paeseと大文字で書き出すこともよくあります。ここでは、文脈から「国」の意味だと明らかですので、小文字で始まっています。
svegliamociは、動詞 svegliarsi 「目を覚ます」の活用形で、主語がnoi「わたしたち」のときの命令形です。aspettaは、動詞 aspettare「…を待つ」の活用形です。
さて、他にも分からない言葉があったら、辞書を引いて、上の説明を参考に、もう1度、よく子供たちの言葉を読んでみてください。
では、訳してみますね。
「未来の羅針盤となるのは、わたしたちです。 たとえ時には、わたしたちの国が頭痛の種に思えるとしても…… 目を覚ましましょう、未来はわたしたちを待っています…… 制限のないイタリアであってほしい。」

「イタリアという国が、あるいは政府が、頭痛の種だ」と思うイタリア人は、大人にもたくさんいます。Italia senza limiti「制限のないイタリア」、これは、最近政府が、表現の自由や司法の自立を制限しようとしていることなどに、言及しているのでしょう。「頭痛の種だ」と思うことは、イタリアで暮らす日本人のわたしにもありますが、「こういうしっかりした子供たちが大人に育っていくのであれば、イタリアの未来に希望が持てる」と感じました。会場に集まった老若男女が、皆国旗をふり、国歌を大声で斉唱する様子にも、感激しました。
このコルチャーノでのイタリア建国150周年祭については、写真をたくさん載せたブログの記事も書いています。
記事の途中にも書いてありますが、式典開始後まもなく、会場全員が起立して、日本の被災者とリビアの人々のために1分間の黙祷を捧げました。皆が、日本のこと、被災地の方々のことを気にかけてくれています。
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2.今わたしたちにできること
今回の日本の大地震では、無数の方が命を、家族を、そして家を失われた上、今なお必需品の不足や寒さ、停電や通信手段がなくて、苦しまれている方が大勢いらっしゃいます。余震や原発によるさらなる被害の拡大が心配で、わたしもイタリアからNHKの地震中継を、心を痛めながら追っています。
苦しいとき、辛くてたまらないときには、一人で悲しみをこらえたい、そっとしてもらいたい人もいれば、だれかに聞いてもらいたい人も、一緒に皆で話し合いたい人も、そして、テレビや明るい話題で、少しでも気をまぎらわせたいという人もいることでしょう。
「被災者がいるのに、娯楽なんて、笑い話なんて」という過剰な自粛ムードがあるということを、ツイートやブログの記事を通して、知りました。わたし自身も、最初は、こんなときに、祝う気分、娯楽に出かける気分になれないという後ろめたい気持ちがありました。でも、「被災者の人がつらい気持ちでいるからといって、それをわたしたちが本当に共有できるわけではなく、わたしたちまで暗く落ち込んでいても、被災者の方の助けにはならず、逆に、ふつうの生活を送りながら、迷惑にならぬ消費をすることで、日本全体を明るい雰囲気にし、被災者の方に少しでも心の安らぎを提供することができるのではないか、日本経済を、ひいては、被災地を建て直す一助になれるのではないか」と読んで、目からうろこが落ちました。
ぜひ次のリンク先の記事を読んで、皆さんも、こういう時の心の持ち方、在り方を、まったく違う観点から見つめ直してみてください。
わたしは子供の頃、転校を繰り返し、学校が変わるたびに、住み慣れた土地や友人、学校と離れてしまうのが悲しくて、何度も何度も泣いたものです。20歳で母を亡くしたときも、2週間前まで病気がそこまで重いとはつゆにも知らず、わたしにとっては突然で、いつまでも涙が止まらず、今でも母の死を考えると悲しくなります。それが、今度の地震では、突然に家族や家を失い、さらに、住み慣れた土地を離れて、不安な生活を強いられ、心に大きな重荷を負った子供たちが、大勢いることでしょう。わたしが転校したときには、家族は一緒にいてくれました。母が亡くなったときには、それでも他の家族は身近にいましたし、それまで過ごした家で、暮らしていくことができました。それが、育ちざかりの、感受性の豊かな時期に、何もかも、あるいはその何かが失われ、しかも周囲の人がいつも不安と恐怖に襲われた暗い顔をしていたら……
映画、『ライフ・イズ・ビューティフル』の主人公である父親が、頭に浮かびます。そこまでしてとは言わないまでも、つらい苦しい現実と、繊細な、多感な子供たちの間に立って、子供が苦しい中でも安心できるように、笑顔になれる瞬間があるように、周囲の大人たちが工夫できれば……
まずは、テレビやラジオなどで、子供が楽しめるような番組を放映すること、苦しくても大人たちが笑ってみせること、そういうことも、難しいとは思いますが、必要ではないかと思います。
以下の記事には、上のリンク先の文章以外にも、震災後の在り方について読んでいただけたらと思う文章へのリンクをご紹介しています。また、イタリアの方から「どうやって日本に義援金を送ればいいのか」という質問を受けられた方が、わたしの他にもたくさんいらっしゃることと思いますので、イタリア語で募金の案内をしたページへのリンクも添えています。ぜひお読みください。(*2021年追記:現在では無効となっているリンク先が多く、そういうリンクはURLを削除してあります。)
ではまた、再来週、お会いしましょう。被災地の方々が、日本の皆さんが、穏やかな心と平穏な生活を取り戻せる日が、1日も早く訪れますように。
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Articolo scritto da Naoko Ishii
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