イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

ルクレツィア・ボルジアゆかりの城荒れて花・緑彩るネーピの町

 今日は、チェーザレ・ボルジアの妹、ルクレツィア・ボルジア(Lucrezia Borgia、1480-1519)がわずかな期間ながら執政にあたったネーピ(Nepi)の町を訪ね、そして、やはり短い期間ながらルクレツィアが暮らしたことのあるボルジア家の城塞(Forte dei Borgia)を、平日は残念ながら閉場なので、外から木々の向こうに眺めました。

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Forte dei Borgia, Nepi (VT), Lazio 13/5/2021

 今朝天気予報を見て、トスカーナの南とラッツィオ州のヴィテルボ県であれば、雨が降らず、我が家からも日帰りで行ける距離にあるので、ではどこに行こうかと地図を見ながら考えて、ネーピに行ってみることにしました。

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 滝がみごとで、かつての門や城塞に荒廃の感があるものの趣があるネーピを訪ねたいと考えたのは、つい最近、イタリアのテレビ番組で、短い間ですが、紹介があったからです。


 けれども、そもそもわたしがネーピに興味を持ったのは、昨年塩野七生著、『ルネサンスの女たち』の「第2章 ルクレツィア・ボルジア」を読んだ際に、町への言及があったためです。

 言及は2箇所で、一つは「スポレートでの政務など投げ出し、夫とともにネピの城へ発った。美しいウンブリアの秋を、二人だけで楽しむためだった。」という箇所で、そんな城がウンブリアにあったのだろうかと調べたら、実はラッツィオ州のヴィテルボ県にあることが分かりました。この「夫」は、ビシェリエ公、アルフォンソ・ダラゴーナで、二つ目の言及は、このビシェリエ公の暗殺後の記述で、「それから数日して、ルクレツィアは一人、父法皇の哀願をふり切り、息子、ロドリーゴを連れ、ネピの城へ向ってローマを発った。」と書かれています。

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 城塞は後世に、様々な有力者などの手に移り、拡張もされたのですが、16世紀にはすでに荒れ始め、1798年にフランス軍が放った火が、荒廃にさらにはずみをつけたのだとのことです。

 イタリアの歴史番組で、最近発見された文書からも、ルクレツィア・ボルジアは、夫の留守に領地を手堅く守る賢妻であり、悪女だという評判はかなり時代が下ってからのものであると聞いて、わたしは、運命に翻弄されながらも、誠実に生きていった才もある女性ではなかったかと、そんなふうに考えています。

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 1枚上の写真の流れは、左手の橋の下を通って、2枚目の写真に写る滝となって、勢いよく流れ落ちていきます。

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 その流れの向こうに、後世に拡大されて築かれた城壁と門が見えています。この写真で、夫が立っている橋のその反対側の端から撮影したのが、次の写真です。

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 冒頭の写真でご紹介したボルジア家の城塞の塔が見えるほか、ネーピの町もまた、切り立つ断崖の上に築かれていることが分かります。

 ただ、この眺めも遺跡も美しい場所は、昼食を食べたレストランの方に教えてもらって知ったのであって、残念ながらわたしたちが到着した午後1時過ぎには、観光案内情報もくれたであろう博物館がちょうど閉まったところで、朝慌ただしく行き先を決めて出発したわたしたちは、どこにも地図や案内が得られる看板や場所がないので、初めは手探りで町を訪ねました。

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 そのため、自然探訪トレッキングコース(sentiero naturalistico)という案内を見つけて、城壁の内側を歩いていたら、

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町を訪ねるつもりで、登山用の服装はしていないのに、こんなふうに緑が一面に茂る中を下り、通っていくことになって慌てたりもしました。

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 けれども、テラスの鉢植えの花が町や家を彩り、

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歩いていると、花盛りの真っ赤なバラが目に飛び込んできたりして、散歩が楽しかったです。

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 再建が必要そうな建造物や、再建が一向に進んでいないように見える建物のその壁を、美しいみごとなバラが覆っていたりもしました。

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 今日はドライブ中にもしばしば路傍や畑の中に咲くのを見かけた真っ赤なヒナゲシが、ネーピの町では、石の壁の上にも咲いていました。

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 午後の開館しているはずの時間に、観光案内情報を尋ねようと再び訪れた博物館は掃除中で、おそらくは無料だと思われる町の地図が入り口に置いてはあったのですが、「博物館の人が今出ていったばかりなので、10分ほど待ってみてください。地図は、その人に聞いてもらわないと、わたしの方で取っていいですよとは言えません。」とのことで、館員が10分後に帰ってくるかどうかも定かではないので、観光情報はあきらめて、上の写真に見える町役場(Palazzo Comunale)がある中央広場でコーヒーを飲み、帰途につきました。

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 でもその代わり、何度前を通っても閉まっていた大聖堂が、午後4時過ぎには開いていたので、

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中に入ることができました。町の観光名所の多くは教会だったのですが、行ってみるとその大部分が閉まっていたのです。

 片道約140km、約2時間半と、渋滞もあちこちであって長時間のドライブとなったので、運転した夫は大変だったと思います。夫は、長時間運転しなくても済むようにと近場を選ぶと、結局おかしな山道に入って進んでいきたがるので、結果的に、長時間・長距離を運転してしまう結果にはなりがちなのですけれども。昨日の夕方、夫の車のタイヤがパンクしてしまったため、昨夕と今日は、久しぶりにわたしのアイゴが、長距離を、そして無料高速道路を高速で走りました。夫が言うように、アイゴも「サビを落とす」ことができ、そうして、エンジンが再びかからなくなってしまう事態を、とりあえずはしのげたように思います。

関連記事へのリンク
- 読了チェーザレ・ボルジアとゆかりの地チェゼナーティコ・マジョーネ・セニガッリア

Articolo scritto da Naoko Ishii

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ブログテーマ:お気に入りの場所やお勧めスポット・お店を教えて!
Commented by mahoroba-diary at 2021-05-14 12:03
なおこさん、こんにちは。

わ~ネーピに行かれたのですね!
なおこさんのブログで私もお写真を通して拝見させていただきましてとても感動しています!
ルクレツイアが短い間過ごした城がこのように遺っているなんて凄いですね。荒廃してしまったとはいえ、実際に訪れると百聞は一見にしかずでいろいろお感じになられたことも多かったことでしょう。
ルクレツイア・ボルジアは作家によって、また研究者によって評価がかなり分かれる人のようですね。父と兄が強烈で時の権力者でもあり、女性としての幸せを追い求める気持ちと命懸けの権力闘争の狭間で大変な一生を送ったことでしょうね。
昔、ヴィテルボには立ち寄ったことがありました。ウンブリアからローマへ向かっていくと風景が平らかになっていくのが印象的でした。もう少し北にあるモンテフィアスコーネという小さな街もとても印象的でした。
それにしてもイタリアはやっぱり凄い!国中がくまなく文化歴史遺産で満ちていますね。史跡が数々遺っているのも凄いことです。
なおこさんのブログでは知らないことばかり教えていただき感謝しきれません。本当に興味深いお話ばかりです。
ご主人様とドライブ、そしてネーピでの散策、とても開放的に愉しまれたご様子が伝わってきます。
Commented by tokotakikuh at 2021-05-14 16:13
テラスのバラ・・
それぞれの趣向凝らした、街風景
家々が、ロマンにみえたりして( ´艸`)
Commented by BBpinevalley at 2021-05-15 08:44
なお子さん、こんにちわ。
燦々とした日を浴びて、晩春の風景が眩しいほど綺麗。
ネーピというのはどのあたりでしょうね。
後で調べなくては。

先日ニューヨークタイムズを読んでいると、ムッソリーニをサポートしたということもあって、イタリアがリパブリックになった際に追い出された王家の末裔の話が載っていました。
彼らはフランス在住で、サヴォイ家だとか。
歴史で習った名前ですが、なんだかイタリアらしくない名前ですね(?)
家長はテレビホストで有名人らしいですが、男子が生まれず、分家と張り合ってる模様。
皮肉たっぷりに書かれた記事で、彼らの本城跡は今やパーキング場になっていて、土地の人にサヴォイ家のことを訊いても誰も知らないとかデシタ。
確かに、聞き齧ったイタリアの歴史には、大金持ちのメディチ家とか、ここに書かれているルクレチア・ボルジアのの名前など耳にしますが、王様って影が薄いのですか?
大名が各地に割拠して互いに牽制していたあたり、日本の歴史にも似たような感じですが、王家は天皇家のように象徴的だったのかしら?
Anyhow 、記事のポイントは、19歳だかの娘を王位継承者に独断で決めたとかで、これまでの1000年以上の歴史を覆すと、イタリア在の分家からもボロクソに言われ、本人は「金銭目的ではない」と主張しているとの事でした。
王家には爵位を与える権利があるそうで、そこに大きな礼金が発生するそうです。
まだ爵位が堂々とあるんですね、イタリアには🇮🇹
王家の不在な爵位って何だろう?
Commented by milletti_naoko at 2021-05-16 17:09
まほろばさん、こんにちは。イタリアで街を歩いたり、歴史番組を見たりすると、同じ町を収める民族や国の変遷、同じ館や城が多くのさまざまな人の手に渡り、時にはそのたびに変更を加えたりということが多いのに驚くのですが、そうして後世のさまざまな人が使うおかげで、こうして残ってきたのでしょうね。朝慌ただしく行き先を決めたので、どこを訪ねたらいいか分からぬまま出かけたのですが、店の人のおかげで、荒廃した跡ながらも美しい城塞の跡を、外からだけとは言え、見ることができました。

イタリアの歴史番組では、悪い評価はかなり時代を下ってからの芸術作品などの影響による場合が多く、最近発見された文書からも、賢女・賢妻であったことが明らかになったとしている場合が多いように思います。政治の駒とされ、人生を翻弄されながらも、置かれた状況で、自らの役目を果たして生き抜いていった、そういう強さと責任感がある女性だったのではないかと推察しています。

確かにウンブリアでも南方は山が多く、マルケやラッツィオとの州境も、高い山であることが多いように思います。その山を過ぎると、ローマに向けて平野が広がってくる、そういう風景を旅をしながら楽しまれていたのですね。モンテフィアスコーネも見晴らしもたたずまいも美しい町ですよね。

こちらこそお心からの温かくうれしいコメントを、どうもありがとうございます
Commented by milletti_naoko at 2021-05-16 17:14
zakkkanさん、街全体にどこかさびれた風情があるだけに、バラをはじめとする花の色や勢い、花の美しさが、いっそう際だっていたように思います。
Commented by milletti_naoko at 2021-05-16 18:03
BBpinevalleyさん、ネーピはローマの北方、約40kmの位置にあるヴィテルボ県の町です。緑や花が日の光の下きれいでした。

イタリア語ではサヴォイア家と呼ぶのですが、もともとはイタリア・スイス・フランスの国境周辺を収めていた貴族だったので、英語名はフランス語圏での名前に由来しているのでしょうね。ムッソリーニや戦争を支持はしなかったけれども反対はせずに署名をしたことはむろん、ドイツ軍攻撃の前に国を放り出して逃亡したことが、やはり戦後、イタリア市民が王政ではなく民主主義を選んだ理由だと思います。イタリアやヨーロッパでは様々な王家や貴族がそれこそ栄えては衰亡し、また栄えてということを繰り返していきた中、サヴォイア家もそうした一家の一つで、第二次世界大戦やムッソリーニについての問題はさておき、長い間政治的に分断し、他の大国に支配下にあった地域が多いイタリアを、そうした大国やローマ教皇の支配から独立させ、イタリア半島をイタリアという国として統一する機運を作ったという意味では、その功績は大きいと思います。

以前はイタリアでは時々テレビで見かけたのですが、最近はそう言えば見かけていません。イタリアではかつての王家の子孫という認識がある程度だと思います。
Commented by ciao66 at 2021-05-16 19:18
ルクレツィア・ボルジアゆかりの城は興味津々です。
ちゃんと残っているのはいいですね。たとえ半分廃墟でも、それがかえって雰囲気を盛り上げる感じがします。
探検みたいなところも有って、バラの花や滝まで楽しめて良かったですね!
Commented by milletti_naoko at 2021-05-17 01:04
ciao66さんは歴史に興味を持たれて、いろいろな本も読まれていますものね。水が豊かな廃墟を見て、古代ローマよりはるかに後世の遺跡ではありますが、ふとルパン三世カリオストロの城の最後の場面を思い出しました。わたしも、こういう石造りの城塞や教会は、廃墟もまたその独特の美しさがあるように思います。

町を散歩するつもりで、ジャングルに入っていくのではないかという場所もあってびっくりしましたが、花もきれいでした♪
by milletti_naoko | 2021-05-14 06:53 | Lazio | Comments(8)