月曜の夕方は、アフリカのサハラ砂漠から飛んできた砂とも、雲ともつかない何か不透明な白い層や灰色の層が、西の地平線近くの空を覆っていました。鈍く光を放つ真珠のように見えていた太陽が、地平線に近づくにつれて柔らかな金色となり、美しかったのですが、食事が終わってから撮影をしに行っても間に合うだろうと考えていました。
Spiaggia Giramondo, San Feliciano, Magione (PG), Umbria 12/7/2021
いつもの湖畔のレストランの席からは、ちょうど夕日が、ユーカリの木の枝や幹、葉に隠れて、きれいに見えなかったからでもあります。
ところが、席を立ったときには、金色の夕日は、もう厚い灰色の層の中に沈んでしまおうとする直前で、すでに一部は欠けて見えない状況でした。
そこで、なじみの店の人にあいさつをしに行く前に、カメラを手に、すぐにトラジメーノ湖(Lago Trasimeno)の岸辺へと急ぎました。
淡い金色の夕日は、灰色の層に隠れて見えなくなっていたのですが、そのために、地平線近くの空がオレンジがかったピンク色になり、また、反薄明光線、裏後光の青い光が空の高みへと伸びて広がり、そういう空の色が、湖にそのまま映っています。
もう長い間雨が降らない日が続いたため、湖はすっかり浅くなってしまっていました。
この日は、いつになく不思議な、けれどもどこか神秘的で美しい夕色を見ることができました。
2枚目の写真と、すぐ上の2枚の写真では、桟橋の先端にいる二人が、異なっていることにお気づきでしょうか。皆、桟橋の先端に行ってみたいとは思いながらも、他の人がいる場合には、たもとで順番を待っているのです。
このあとは、わたしたちも、桟橋の先端まで歩いてみました。ひょっとしたら、地平線の近くまで沈んだ太陽が再び見えるのではないかと、期待していたのですが、夕日は夕色と青い光の影で、その存在を知らせるばかりでした。
話は変わって、ペルージャではもう1か月以上も雨が降らない日が続き、最近では雨の予報が出ているので期待をするのに、実際にはまったく降らない、あるいは、降っても雨つぶがいくつか落ちるだけで、すぐに雨が上がってしまう日が続いています。昨日は朝から空がどこかどんよりと曇っていたので、いよいよ久しぶりに雨が降るかと期待をして、水をやらずにいたのですが、雨はまったく降りませんでした。というわけで、夫は今朝はとびきり早く起きて、仕事の前にテッツィオ山のミジャーナの家の畑や果樹の若木、バラたちに水をやりに行き、わたしもペルージャの家の庭とテラスの植物たちに水をやりました。
ミジャーナで、そうやって水やりをしている間に、ジェラートを食べたくなったのでしょう。水やりから帰宅する途中に、スーパーに寄った夫が、
ダンテ没後700周年を記念して販売中の天国(Paradiso)ジェラート三つが箱入りで売られているのを見て、一箱買って帰ってくれました。バールで二つ買うのと、スーパーで三つ入りの箱を買うのと、値段が同じくらいなので、「スーパーで買った方がずっと得だ。2箱買った方がよかったかなあ。」と言いながら。三つのうち一つは、お義母さんに、残りは、夕方、オンライン会議が終わったわたしが、ツール・ド・フランス観戦中の夫のところに、その旨を告げに行くと、「じゃあ、いよいよジェラートの時間だね。」と言うので、
天国ジェラートを食べながら、ゴール前のあと数百メートルという場面から、先頭を走る選手たちがゴールに到達するまで観戦しました。
三つの味が楽しめておいしいのは相変わらずなのですが、今回じっくりと味を意識しながら食べると、一番外にあるホワイトチョコレートの層が、少し甘すぎるようにも思います。けれどもそれが、あっさりとした甘さのピスタチオのジェラートと、互いの味を引き立て合っているのかもしれないなと思いました。
そうして、そのあと、月曜の湖での夕景の写真をカメラから取り込んでいたら、この天国ジェラートの袋や箱に描かれたMagnumの天国ジェラートのロゴの、薄緑や水色の円の中に頭文字のMがあって、左下からピンクの光が差し込んで次第に広がっていくデザインが、先にご紹介した月曜日のトラジメー湖の夕景にひどく似ているように思ったのです。
天国ジェラートに描かれた、天国の光や色を象徴する、あの緑や水色の中にピンクの光が広がっていく様子は、トラジメーノ湖の月曜日の夕景と同じだ!
それで、こうして記事を書いている途中で、夫に写真を見せたら、ところが夫は、「いや、似てないよ。書くのはやめときなよ。」と言ったのですが、どう見えてどう感じるかも、何を書くかも、だれかに迷惑をかけたり危害を与えたりしない限り、わたしの自由ですから、こうして記事を書き続けて投稿することにしました。
トラジメーノ湖のあの夕景が天国ジェラートの天国の光と色なんだ。そう思うと何だか、梶井基次郎の『檸檬』で、語り手の「私」が檸檬を手の上に載せて観察したとき、そして、積み重ねた画集の上に置いて、満足そうに眺めたとき、そのときのような高揚感と満足と共に、天国ジェラートをより楽しんで食べることができるように思うのでありました。
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Articolo scritto da Naoko Ishii
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