イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

あかあかと夕日染めるアッシジと聖フランチェスコ大聖堂へ

 土曜日の午後は、アッシジ(Assisi)の中心街へとまっすぐに伸びる歩道を、傾く夕日に照らされて色づく町並みと聖フランチェスコ大聖堂(Basilica di San Francesco d'Assisi)の眺めを楽しみながら、

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郊外の駐車場から、歩いていきました。

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 午後4時過ぎに歩き始めたばかりのときは、アッシジの中心街はまだ見えませんでした。この歩道に敷きつめられた赤いレンガには、1997年の地震で被害を受けたアッシジの復興のために寄付をした世界中の人の名が記されています。

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 最初はまだ明るい空に見えてうれしかった月は、この日、日が暮れたあと、わたしたちが大聖堂を訪ねたときにも、たそがれの空に輝いていました。

 さらに歩くと、左手に畑が広がり、そのおかげで冒頭の写真に見えるように、アッシジや大聖堂が見えてきます。

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 歩道の右手に並木があり、しばしばその並木に遮られてしまうものの、時々こんなふうに、町の右半分も見えるときがあります。

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 わたしたちがいつもミサに行くサンタ・マリーア・デッリ・アッシジ教会の中には、生前の聖フランチェスコが最も大切に思い、仲間たちと共に祈りを捧げて長く暮らした小さな教会、ポルツィウンコラがあります。歩いていた道沿いにあった、上の写真の建物の壁には、「亡くなる前、死の床にあった聖フランチェスコの希望で、人々が聖人をアッシジからポルツィウンコラへと運んでいたとき、ここで人々に頼んで、横たわっていた寝床を地面に置いてもらい、アッシジの町を見て、町をたたえ、祝福したのだ」と書かれています。

 わたしたちが歩いたこの道はそして、サンタ・マリーア・デッリ・アッシジ教会と聖フランチェスコ大聖堂の二つを訪ねようと巡礼する人々が、古来歩いた歴史ある道でもあるそうです。

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 大聖堂とアッシジの町が少しずつ近づいてきます。夕日も少しずつ傾いていき、

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聖フランチェスコ大聖堂も、その夕日の光に赤らんでいます。

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 ようやく車道と歩道が分かれて、スバージオ山の高みにあるアッシジの中心街へと登っていく坂道にさしかかりました。

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 坂道を少し登ってからふり返ると、夕日がかなり地平線に近づいています。

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 右手を見上げると、時々こんなふうに、月がきれいに見えるところがあります。

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 道の両側には、バラが植わっていて、まだ咲いている花もあります。

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 日の入りが近づき、大聖堂を包む光も、さらに赤が深くなります。

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 時々ふり返って、夕日の位置を確認しながら、急ぎ足で登っていきます。

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 この長い一本道を歩き終えようという頃、給水場の近くを夕日がオレンジ色に染めていました。

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 ちょうどこの一本道を歩き終え、階段を登って、大聖堂へと向かい始めた頃に日が沈み始めました。駐車場の方へと、一度は夕日が見えるところを探しながら歩いたのですが、この一歩道のすぐ上が夕日を見送るのにちょうどいいだろうと、夫と二人でここまで引き返し、すっかり沈んでしまうまで、じっと夕日を見守りました。

 そうして、それから、大聖堂の方へとさらに歩いていきました。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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ブログテーマ:移住・地方暮らし
Commented by BBpinevalley at 2022-01-11 15:56
こんにちは。
Buon Anno.
新年はいかがお過ごしだったでしょうか。

アッシジの夕暮れ、美しいですね。
いつか行きたいと思っている場所です。
今年こそはパンデミックが去りますよう、心から祈っています。
どうぞ良いお年をお迎えください。
Commented by milletti_naoko at 2022-01-12 02:14
BBpinevalleyさん、こんばんは。
明けましておめでとうございます。
あっという間に冬休みが終わり、昨日からまた学校の日本語の授業が始まりました。天気が悪い日も多かったのですが、美しい山や町も訪ねられてよかったです。

ありがとうございます。いつかまたお越しになれる日が早くきますように。
皆さんにとっても、どうかよき年となりますように。
Commented by sunandshadows2020 at 2022-01-16 00:53
地震後復興の為に寄付した人の名前を刻むのは良いアイディアですね。
その数多くいかに世界中の人が想いを寄せたことが偲ばれます。
アッシジの近くまで行きながらその町にはいかなかったことを思い出しました。
大聖堂という名に相応しいどっしりとした聖堂が見事ですね。
Commented by milletti_naoko at 2022-01-23 20:29
お転婆シニアさん、周辺地域には再建が済むまでに10年以上要した町があることを思うことを思うと、少し複雑な気持ちもしますが、きっと被災地の方にとっても、皆が大切に思い心の支えとなる、そういう教会が、世界中の多くの人の支援で早く再建されたということ、その支援をした人々の思いが今も形となって残っているのはいいなと思います。そう言えば、日本でも神社や寺に、寄付をした方の名前が書かれた石などがあるなとふと思い出しました。
by milletti_naoko | 2022-01-11 14:49 | Umbria | Comments(4)