
ほっそりとした月が少しずつ満ちてゆくのを、たそがれの空や夜空に見るのが好きです。緑の中の豊かにたたえられた水は美しいなあと思います。幼い頃から本や図書館が好きなのですが、中でも童話や昔話、おとぎ話は中学生になっても好きで、図書委員だったため、当番で図書館にいたときに、世界のいろいろな国の昔話・童話集を読んだりしていました。小倉百人一首の世界に魅かれて、古典の世界に興味を持ったり、頼朝が許せないと友人たちと義経くんファンクラブを作ったり、わたしはシャーロック・ホームズが好きであるのに友人はアルセーヌ・ルパンファンだったりしたため、その時々に気になる本をあれこれ読んだその合間に、またさっと読めて別世界に行けることもあって、おとぎの世界に魅かれたのでしょう。
ですから、図書館や月や絵本の物語で始まる映画、『しあわせのパン』(Bread of Happiness)には、最初から魅きつけられました。見るうちに、美しい風景や優しい人々の世界にも、人生のさざ波や荒波につらい思いを抱える人々が登場し、穏やかな笑顔をたたえるりえさんも、実は何か心に悲しみを抱えていることが分かってきます。
四季の移り変わりと共に、りえさんと尚さんの夫婦が営むマーニカフェを取り巻く周囲の自然の風景や、カフェの食卓に上るパンや料理が変わっていき、新たな客が訪れて、その客たちが抱える問題が、時に推理ドラマのように明らかになっていき、けれど最後は、心温かで洞察力のある夫妻の優しさとおいしいコーヒーやパン、料理で、客たちの心が穏やかに、元気になり、問題解決への糸口や光が見えてきます。
四季を描くのに、春ではなく夏から始めて、命が再び目覚め、希望に満ちる春で終わるというのもいいなあと思います。
人を思う心や誰かのために手を差し伸べること、出会いや二人でいること、仲間がいてくれること、誰かのために今自分にできることがあること。そういうことの大切さと共に、おいしいもの、愛情や優しさを込めて作ったおいしいものの大きな力を、映画を見ながら、つくづく思いました。
Pane cotto al forno a legna da mio marito 20/10/2018
そうして、「仲間」を意味するイタリア語のcompagnoが、「パンを共に食べる人」を意味するラテン語のcum panisから派生したことについては、以前にイタリア語学習メルマガやこのブログでも言及しましたが、「パンを分かち合い、食を共にすることで仲間になるのだけれど、家族はまずは仲間でありたい」という尚さんの言葉が、映画の中のいくつもの場面、共に食事をしながら心を開いていき、人生に向き合う強さを持てるようになる、そういった数々の場面の後で、心に深く響きました。