イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

幼い頃からの度重なる引っ越しの思い出と映画『オズランド 笑顔の魔法教えます』

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 人生が、思い描いていたこととは、まったく違う方向に向かっていってしまい、ためらうことは、少なくありません。わたしの人生では、中でも、東京に住んでいた中学校3年生の頃、高校受験も間近で、友人たちと学校は違っても、きっとまた時々会える未来を予想していたのに、父の転勤で突然松山に引っ越すことになったことが、映画『オズランド 笑顔の魔法教えます』(OZLAND)で、東京から急に九州の遊園地への転勤が決まった主人公の驚きと困惑に近いのではないかと思います。

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https://jff.jpf.go.jp/watch/jffonline2022/film-lineup/118683-2/

 住む場所や置かれる環境が変わると、それまで自分が当たり前だと考えていたことが、実は当たり前ではないのだと分かり、それまでとは別の慣習や物の見方などがあることが分かるものです。

 イタリアに暮らしていると、「日本であればこんなことは」と思うことも時にあります。それでもわたしが、でもイタリアでの生活でのよい面にも目を向けて、どちらかというと感謝しながら生きていけるのは、まずは、それが県立高校の常勤教師という職をなげうって、親の反対も押し切って、自分自身が考えた末に選んだ生き方であるからです。けれども同時に、幼い頃から中学3年生までは父の仕事で、大学を卒業して、愛媛県立高校の国語教師となってからは、自分自身の転勤で、数年ごとに引っ越しをして、がらりと環境が変わり、転校や転勤を知ったときには本当に悲しい気持ちでいっぱいだったのに、やがては新たな土地になじんで友人もできて、その土地を離れるのが辛くて仕方がないほどに愛着を持つということを繰り返し、いろんな環境に身を置くことや環境の変化に鍛えられていたからかもしれません。



 同じ場所でも時を経ると変わっていくものであり、また、同じ愛媛県の高校でも、学校によって校則の厳しさなどがかなり違っていたことも知っているのですが、わたし個人の体験では、札幌の小学校では体育着も運動靴も決まっていなかったのに、東京の小学校では決められた体育着や運動靴があるのに驚き、東京の中学校では制服はあっても、カバンや靴や髪のリボンや長さは自由だったのに、松山の中学に転校すると、カバンや靴も学校に決められて統一されていて、髪も長さやゴムの色に制限があって、そういった違いに驚きました。ちなみに、東京では確か「体育着」といっていたのに、愛媛では「体操服」と呼ぶことにも驚きました。校則がずっと厳しいにも関わらず、松山の中学校には東京の中学校にはいなかった金髪の生徒がいたことにも、そして、幼い頃から、横浜、札幌、東京で暮らしてきて、どの地域でもほぼ同じように共通語で話していたのに、松山に来て初めて、先生も生徒も皆が方言で話す世界に入って、ためらいました。

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Tuoro sul Trasimeno (PG), Umbria 9/8/2013

 映画『オズランド』の主人公の場合には、予期せぬ場所に転勤となり、しかも自分が予想していた、自分に与えられるべきと思っていたのとは異なる仕事をあれこれ与えられて、悲しんだり、憤ったり、反発したりします。けれども、厳しいように見えて実は温かく、仕事熱心な上司や同僚たちのおかげで、新天地での仕事の楽しみを知り、率先して職場のために、自分に何ができるかを考え、精一杯に行動できるように成長していきます。

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 物語が最も盛り上がる場面に気球が登場するので、わたしたちが気球に乗る体験をした2013年9月の写真を記事に添えているのですが、気球に乗って空に上がると、見える風景や見る角度・視点が変わってくるように、新たな土地、新たな職場で、新たな上司や同僚たちと共に過ごすうちに、主人公の考え方や感じ方も変わり、成長していきます。

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 そういう主人公の成長が、笑いやはらはらを交えて描いてあって、そうして、遊園地という職場で働く方たちはどんなふうに仕事をされているのかということを、かなりの脚色があるとは思うものの、知ることができて、映画を見ながら興味深く、そして楽しかったです。

 東京から松山への引っ越し、転校にあたってのわたし自身の困惑や悲しみ、新採教員、若手教員として、視野が足りないわたしに、こうではないかと教えてくださったり、「一生懸命頑張っているけれど、でもね」と諭してくださったり、支えてくださった数々の先輩の先生方や上司を、映画を見ながら懐かしく思い出しました。

 さて、オンライン日本映画祭、今夜は何を見ようかと考え中です。この記事は予約投稿で、執筆を終えたのはイタリア時間2月18日金曜日の午後7時37分です。

LINK
- オンライン日本映画祭開催中 / Japanese Film Festival Online 2022 17-27/2/2022
- 気球に乗りました
- amazon.co.jp - prime video - オズランド 笑顔の魔法おしえます。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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ブログテーマ:12月1日は映画の日
Commented by meife-no-shiawase at 2022-02-20 15:08
子供の頃って自分が選択できない転勤がありましたもんね。
転校生のあの緊張とか、慣れるまでのとまどいや寂しさとか・・・
もう友達関係ができているところに入っていく勇気・・・
子供なりにストレスを感じていたかもです。
私は転校すると必ずアレルギー症状が出ました。

なおこさんも転勤を経験されて、でも今は母国を離れて海外に・・・ですもんね。
人生何があるかわからないですね。

アレルギーを起こしていた私も
今となっては新しい環境に身を置くことの楽しさも感じられるようになりました。笑。

映画を見て主人公に思いを重ねたり、自分の体験を思い出したり。
やっぱり映画っていいですね♪
Commented by milletti_naoko at 2022-02-20 23:50
メイフェさんも子供の頃に転勤を経験されたんですね。体にアレルギー症状まで出てしまうとは! わたしの場合も、引っ越す場所間の距離が遠いので、それまで慣れてきた環境やできた友達すべてと、突然別れなければならず、とてもつらかったのを覚えています。にも関わらず、転勤がつきものの職業についてしまい、大人になってからの転勤も辛かったです。

本もいいですが、映画は短時間で、映像も通して別の世界や人生を体験させてくれていいですね。
Commented by katananke05 at 2022-02-22 15:52 x
わたしの 神戸の学校は私立ですが制服もなく
いちども制服なるものに手をとおさずに 過ごしてきましたが
神戸から父の転勤で 東京に来た時も 違和感はぜんぜんなかったです〜 どっちかといえば わたしは変化をたのしむほうかも、、
アメリカもシンガポールもすみましたが いずれも楽しく暮らしましたよ〜
子供達は 友と別れrのをいやがり 日本に残るといいましたが
いろんな経験をすることは
とてもすばらしくて 絶対無駄ではないと いまもわたしは
信じております〜

ただ 神戸の小学校のとき 東京から転校してきて また東京にかえった
「保科 通子さん」
ちょっとしかいなかったのに
今でも会いたいなあと思います〜
Commented by milletti_naoko at 2022-02-22 19:30
katananke05さん、日本各地、世界各地にいろいろな学校があり、それぞれに違った文化がありますよね。

わたしも仕事でイタリアから日本に行かれる方に日本語を教える機会があり、お子さんをはじめご家族皆が日本暮らしを喜ばれる場合もあれば、お子さんがイタリアに一人で帰国して国に残る祖母と暮らす場合もあり、お子さんの個性や成長、学校制度でどこで過ごすのがいいかなど、いろいろな要素によるのだろうなと思います。
by milletti_naoko | 2022-02-19 17:46 | Film, Libri & Musica | Comments(4)