歌詞へのリンクは次のとおりです。
マッシモ・ラニエーリの歌がすばらしく、歌詞が美しい詩であるのに加えて、この歌には、聴いていると、大海原や暗い空、揺れる波の間を進む船や不安や希望を胸に抱く乗客たちの姿が見えてくるような、不思議な力があるように思います。劇場で俳優としても長く活躍している歌い手ならではのことでしょう。
"La notte non finisce mai
L'America... lontana
di là dal mare.
Dove piove fortuna, dov'è libertà
l'acqua è più pura di un canto."
「夜は決して終わらない
アメリカは…遠く
海の向こうだ。
幸運が降り注ぎ、自由があり
水が歌曲の調べよりも澄みわたるところだ。」(「 」内は石井訳。以下同様。)
歌詞が語るのは、かつて大勢の貧しい人々がイタリアから移民として、希望を抱いてアメリカを目指して乗った大洋航路船で、海(mare)を渡る旅の様子です。マッシモ・ラニエーリは13歳のときに、大多数の移民と共に、ナポリからニューヨークにへと、船で2週間の旅をした経験があるそうです。それは、歌手から請われての仕事の旅だったようですが、どこまでも続く大海原と嵐や波の恐ろしさは、少年だった彼も感じたそうで、また、近年、かつての移民よりももっと命がけで、ゴムボートなど命の安全が危ぶまれる船に乗り、戦禍や迫害、拷問を逃れて、望みをかけて地中海を渡る人々の姿や、その思いも重なります。
"Amore vedi così buio è
questo mare
è ferita che
non scompare.
Dove va il tempo chissà
e gli occhi tacciono
ma a notte sognano il motore che va."
「愛しい君よ、ごらん。こんなにも暗いんだ
この海は
消えることのない
傷だ。
いったい時はどこへ行くのだろう
そして、瞳は黙っているけれど、
夜には夢を見る、エンジンが動く」
果てしなく広がる海の美しさ、壮大さと恐ろしさ。人間の運命の危うさと不安。かつてイタリアから遠くへ旅立たなければならなかった大勢の貧しい移民たちと、今も命を賭してよりよい未来を求めて、安全に生きられる土地を目指して海を越える人々。マッシモ・ラニエーリが歌い上げる美しい歌に、そうした過去と現在の海を越えてのいくつもの旅が重なります。
「傷」(ferita)、地中海では今なお大勢の移民が命を落とし、移民の墓場(tombe di migranti)とさえ呼ばれています。
"gli occhi tacciono
ma a notte sognano"
occhiは男性名詞、occhio「目」の複数形、tacciono、sognanoはそれぞれ、動詞 tacere「黙る、物を言わない」、sognare「夢を見る」の直説法現在で、主語が三人称複数形である場合の活用形です。
「瞳は何も語らない。けれど、夜には夢を見る」という表現の美しさと、波に揺られ眠りに誘われるような曲の調べと歌いぶりに感嘆しました。
"qualcuno grida terra, terra, terra!"
「誰かが叫ぶ。大地だ、大地だ、大地だ!」
歌の最後の方にある言葉が、『海の上のピアニスト』、そしてその原作『Novecento』の冒頭で、長旅の末にアメリカの大地(terra)を目にした移民が「アメリカ!」と叫び、皆が歓喜に湧く場面と重なります。メルマガ第67号では、まさにその場面をイタリア語の読解教材として取り上げ、朗読音声動画へのリンクも添えてあります。よろしかったら、ぜひお読みください。
今回引用した部分だけ見ても、短い関係節こそわずかながら使われているものの、文の構造が平易で、言葉もすべて、現代イタリア語で使われる語彙の86%を占める基本語彙2000語(解説中、見出し語と同じ形の語は赤で記しています)だけを用いています。
よろしかったら、上の画像の下に添えてあるリンクから、ご覧ください。日本語字幕つきのこの映像は、イタリアからは視聴不可なので、視聴料金などは残念ながら分かりません。
イタリアの観光情報と春が近づきある風景をと、最近のブログ記事の中から、オルヴィエートの地中ツアー、Orvieto Undergroundについて書いた記事と、花が咲き始めて美しいトラジメーノ湖周辺の様子を語る記事を、最後にご紹介します。よろしかったら、ご覧ください。