「死がいつでもわたしたちを根底から揺り動かすのは当然で、それは、死はわたしたちの人生の一部だからです。死を恐れながら、イエスの亡骸があるはずの洞窟へと向かったマグダラのマリアたちが見たのは、洞窟の入り口には封をしていた石はなく、洞窟の中は、まばゆい光に満ちていました。
Lo Spacco della Regina, Ansedonia (GR), Toscana 15/9/2018
わたしたちが亡き人のために集って葬儀に参加するというのは思い違いで、実は、亡き人が生前与えてくれた愛が今もわたしたちに恩恵を与えてくれているのであり、亡き人はもう光の世界にいて煩いのない世界にいるのです。
悲しみが深いということは、それだけ生前に愛することができたということであり、亡き人を思い出すことが日々しばしばあるたびに、そこには絆や愛があって、そうしてその愛をさらに他の人へと広げていくことで、亡き人の愛がまたさらに大きなものとなって、人々をつないでいきます。愛は死に勝り、死を越えるものであって、死では終わらないのです。残してくれた愛や思い出は、ずっとわたしたちを包んでくれるのです。」
若い神父さんの説教の一言ひとことに心を打たれ、感嘆しました。特に昨夜から今朝にかけては本当に辛そうで、もう義母の顔を見ることができないと嘆いていたお義父さんを始め、夫たち息子の深い悲しみをきっとこれから、どこかで支えていってくれることと思います。メモをしながら聞いたわけではないので、わたしが覚えていてこんなふうに解釈したということを、わたし自身もずっと心に置いておくことができるようにと、冒頭に書いてみました。
朝10時からの教会での葬儀のあとは墓地に向かい、お義母さんの柩が納められるのを見守って、大勢の親族や友人たちにあいさつしたあと、はるばる遠方から葬儀に駆けつけてくれたコモとリミニの友人たちを招いて、皆で食事を共にしました。にぎやかな食卓で、あれこれと話題が広がり、お義父さんの笑顔も見ることができてよかったです。したくも片づけも、友人たちも手伝ってくれて、何より、義父や夫たちが遠方の友人たちと話すことで、少しでも穏やかに笑いながら過ごすことができて、きっとお義母さんも喜んでくれていることでしょう。
写真は、2018年にマレンマの海岸で訪ねたSpacco della Reginaです。

海のすぐ近くに立つ大きな岩壁にある細い裂け目(すぐ上の写真)から、中に入って細い道を進んでいくと(上から2枚目の写真)、

暗い岩の中に、まばゆい光が突然現れたので、驚きました。

本当はすぐそこに、少し歩いた先に、光が満ちているのに、それに気づかずにいる、生きている、そういうことがあるように思います。
こういう状況ではありますが、それだけに、闇の外にはあるはずの光、わたしたちの心のうちにあるはずの光、死の先に必ずあるはずの光に満ちた世界、こうした光を信じて生きていきたいと、深く思いました。
Articolo scritto da Naoko Ishii
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