
イタリアの夫婦の姓について書こうと考えたのは、先週、次のニュースを目にしたときです。
イタリアでは幸い、結婚したからと言って、身分証明書や口座などの名義を書き換えることなく、結婚前の姓を使い続けることができるので、わたしは、イタリアは夫婦別姓だと思い込んでいました。
そこで、日本では今回、夫婦別姓を認めない規定を合憲とする判決が下されたのに対し、イタリアではどういう経緯で夫婦別姓となったのか、その歴史やいきさつを寄稿記事として書こうと考えたのですが、調べ始めてみて、実はイタリアは、真の意味での夫婦別姓ではないことを知って、驚きました。
ニューズウィーク日本版の姉妹サイト、World Voiceに、こうして調べて分かったことを、「真の夫婦別姓ではないイタリア、男女平等へ向けての関連法変遷の歴史」という題のもとに記し、先ほど寄稿しました。よろしかったらぜひお読みください。
https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/ishii/2022/03/post-38.php
実はこの寄稿記事は、24日木曜日にいったんほぼ書き上げて、まもなく送信しようと考えていたのですが、そのときには、今回の寄稿記事では割愛した次の文章が、第二段落のあとに続いていました。
「市民墓地に行って、夫の今は亡き祖父母やおじ・おばたちの墓参りをすると、墓碑には、祖母やおばたちの名が旧姓と共に記され、たいていの場合、その下に小さく、前置詞 -in に続いて、夫の姓が記されています。あえて訳すと、『…家に嫁いだ〜』と、そんなふうになるのではないかと思います。
ですからイタリアでは、社会生活上は、夫婦それぞれが、異なる姓を名乗っています。夫の姓も、姪たちの姓も、父親の姓であり、母親の姓とは異なります。でも、だからと言って、それが原因で家族の絆が弱くなるということは、決してありません。イタリアでは、地域や家庭にもよりますが、概して家族のつながりが大切にされ、我が家のようにほぼ毎週とは行かないまでも、結婚してからも、両親がそれほど遠方に住んでいなければ、週末は今はそれぞれ別の家に暮らしている兄弟皆が、結婚していれば夫婦そろって、子供がいれば子供もいっしょに家族全員で集まって、大家族で昼食や夕食を、土曜あるいは日曜のいずれかに共にするという家庭も、ウンブリア州のわたしたちの周囲には、少なくありません。冠婚葬祭の機会だけではなく、義父母の兄弟やその子供たちが夫婦でやって来て、顔を見たり、おしゃべりをしたりするために、義父母宅を訪れることも、2020年3月になって新型コロナウイルス感染症が拡大してしまう以前には、しばしばありました。」
こう書き続けたあとは、当初の予定では、最後に、実際にはイタリアでは現在の法律ではどうなっているかを簡単に記して、文を締めくくる予定でした。ところが、その後、さらに調べてみると、現行の1942年 民法典において夫婦の姓を規定する条文には、内容の変遷があり、かつての条文が差し替えられ、新たな条文が追加されたりしている上に、1942年当初の条文がイタリア王国が生まれた数年後、1865年の民法典の該当条文と同じであったり、法律の文言そのものと実生活における適用の間にかなりの開きがあったりして、法の変遷のいきさつや現在の適用が、実際にはひどく複雑であることが分かりました。
というわけで、そもそもどうして、現代になってもムッソリーニ政権下に成立した民法典が現行法であるのか、そして、その条文をより民主的なもの、男女平等を反映したものにしようとする動きや法改正はどんなものであるのかを調べ始めたら、きりがなくなってしまいました。
http://www.novecento.org/dossier/italia-didattica/il-nuovo-diritto-di-famiglia-e-il-ruolo-della-donna/
調べていて、特に興味深いと思ったのは、上のサイト、novecento.orgの「家族の新しい権利と女性の役割」という論文です。かなり長い文章であり、妻の姓については、言及がないのですが、なぜイタリアでは現行の民法典でも、家族における男女の役割に、家父長制の名残がこんなにも色濃く残っているのか、また、どういう歴史の流れの中で、1942年の新たな民法典が編纂され、成立後に改正が行われていったのかが分かりました。
Sezione I civile; sentenza 13 luglio 1961, n. 1692
ただ、1961年にイタリア破棄院が、妻は結婚後も出生時の姓を使うことができるという判決を下したのは、どんな要求があった中で、どういう根拠に基づいてのことだったかを知ろうと、その判決文を読み始めると、文章がただでさえ回りくどくて分かりにくい上に、むやみに長い文が多く、字があまりにも小さいので、拡大してコピーしたため、同じページの内容がコピー用紙の表と裏にわたっていて、内容の確認が厄介です。
先週のうちにお義母さんの容態が急に悪化して、この文を読む作業をしばしば中断する事態となり、そのため結果的に、今回の記事は、この判決文をすべて十分に読み込まずとも書くことができると判断し、妻の姓に関する法の変遷の経緯を、概要をまとめて書き足して、投稿しました。そして、その際、そのままでは文章が指定されている字数を超過してしまうため、記事の中ほどに書かれていた段落二つを割愛することにしました。破棄院の判決文は、妻が出生時の姓を用いることの是非をめぐって裁判が起こることになった当時の状況や、妻は結婚前の姓を使う権利を有するという判決に至った理由が詳細に記されていて興味深いので、いつか全文を通して読んで、何らかの形で内容をご紹介できればと考えています。
長い間雨が降ることなく、すっかり乾ききった大地に、昨日から雨が降り続けています。今日はしばらくの間どしゃぶりの雨が続いていて、恵みの雨がありがたい一方で、洗濯はままならず、晴れた日や雨の日がひたすら続くのではなく、交互に降ったり晴れたりしてくれたらいいのにと、自分勝手に考えたりしています。
Articolo scritto da Naoko Ishii
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