2022年 09月 02日
腰を折って話し出すのもイタリアの文化 皆でおしゃべり、World Voice 連載
ご主人さまとの出会いはこちらだったのですね~。
聞き取りを手伝ってくださったなんて、初対面からとても優しいイメージだったのでしょうね♫
文化の違いなどで、人との話し方も違ってくるというのはとても面白いです。
海外に出ると、自分の国で普通なことがそうではないというのに気付かされます。
今回のなおこさんの記事で、あ~なるほど・・・日本人って教育の過程の中でも
「人の話は最後まで聞きましょう」って言われてきましたもんね・・・。
私は台湾に暮らし始めて、相手があいづちを打たないのに驚きました。
「聞いてる?」って思うようなことも多くて、在台20年以上になっても、いまだ慣れません。笑。
イタリアの方は相槌はどうでしょうか???
寄稿記事も読んでくださったんですね。ありがとうございます。
スライド上映のあとに、お茶を飲みながらシュトウルーデルを食べて、そのときに二人で少し話をしたのですが、優しい瞳をした人だなあと思いました。
日本の高校では、生徒どうしの間で、人前で自分の意見を言うのを恥ずかしがる傾向があったので、どうやって話しやすい雰囲気を作るかに苦労しました。たぶん中には、例えば外国語の授業で、話をしようとするときに、まず何を話そうかと困ると言う人もいらっしゃるかもしれないと思います。
なんと台湾の方はあいづちを打たないのですか! 国や文化が近そうに見える国でも、そういうことがあるんですね。あいづちは、わたしはあまり気になったことがないのですが、これからしばらく意識してみますね。
実は私は
いつも 夫の話の腰を折ると
文句を言われています。
夫の言い分では 話が終わるまで
じっと聞いてないといけないというのです。
でもね
私達中高年主婦の集まりでは
途中で 合いの手を入れたり
つっこんだり~するのが普通で
じっと拝聴するというのは少ないです。
特に
夫の話は
話がどこへ向かっていくのか不明だし
落ちもないし(笑)
そして じっと我慢して聞いていると
相槌がないと不満そうです。。。
ということで
私は イタリア人? (#^^#)
いえ 関西のおばさん族(笑)で~す。
NOというなんてとんでもないという生活できました。
でも国際的にみると大間違いで、NOと言わなければ同意したとみなされるようですね。
いかに上手に相手の話の腰を折るか、面白い話で、参考になりました。
でもこの年でもう手遅れで、それを数十年前に知りたかった (*^^)v
「腰を折って話し出すのもイタリアの文化 」ということですが、それは、自分の話し中に割り込まれても気にならない、ということなのでしょうね。何を言っているのか重なって聞き取れない、という問題も有りながら、その優先順位は低いのでしょう。
同じようなことはイタリアだけではなく、日本でもたまには見かけます。女性のグループの場合に多いかもしれませんが、4~5人以上が集まったようなときには、まったく同じ場面が有ると思います。
そのときは、何と無秩序な人たちだろうと思いましたが、グループ間の文化の違い、なるほどです。今、納得がいきました!!
職場など公の場では、特に相手の話を最後まで聞くことが求められがちなので、だんなさまの考え方はそういう在り方を反映しているようにも思うのです。
なるほど、だんなさまの話にはそういう傾向があるんですね。わたしも教員という職業柄、すぐに要点に行かずに周囲から詰めていくきらいがあるらしく、夫にだから何が言いたいのと言われることが時々あります。
南イタリアと関西は相通ずるところが多いというのは聞いたことがあります。それは、会話における暗黙の了解にも言えるかもしれませんね。
日本語の教科書でも、その日本人の遠回しのNOについてページを割いて解説したりしている場合があり、興味深いです。
上ののんさんのコメントとciao66さんのコメントを拝読して、同じ日本でも世代や性別や地域、そうして職業や家庭教育などによっても、会話のときにいつ口を開くかが違ってくるのだろうなと思いました。例えば仕事でも、会議など、人の話は最後まで聞くことが求められる職場でずっと仕事をしてきた人と、何か問題があればすぐに介入することを求められる仕事をしている人でも、どういうときに話を始めるかが違ってくのではないかと……
確かに女性たちの井戸端会議にも、何か言いたいことがあればすぐに口を挟んでいいという暗黙の了解があるような。
今回色々な局面に晒されて分かったことが有りました
それは優柔不断ではいけないこと
ハッキリと自分の意見は言わなければ誤解されても仕方がないと言う事
会話は相手が有ることで世間話でも込み入った話でも
真面目な話でも自分を持って話さなきゃいけない、と言う事を
色々な事の中で学びました(笑)
相手を言い負かすと言う事では無くてですけど
コンバンハ(*'▽')
♪腰を折って話し出すのもイタリアの文化 皆でおしゃべり♪
今 読んできましたよ。旦那様との出会いもまさに
この時が初対面、運命の出会いですね。
母国語でも皆で喋ったら何を言っているのかはわからないですよね。聖徳太子位かな?わかるのは!
読んでいて当たり前とかそれが普通っていうのが 全く通用しないんだって思いました。
私の娘が香港で4年間過ごして、広東語はあまりわからないので英語で暮らしてきましたが、香港の人でも英語がわからない方もいて、コミュケーション苦労したようです。ジェスチャーで伝えたりで、性格もかなり私から見たら強気に4年間で変身したように思いました。イエスノーはっきり伝えるためには、言いたいことをまず先制パンチでもないけれど、おしとやかに話の切れ目なんて待っていては、すごいけんまくで広東語でまくしたてられると出番はないとか、。
日本人でもその置かれた場所で会話の様子は違ってくるかもしれないと、今日のブログを読んで思いました。
♪イタリア人どうしの自由な会話を録音して、その会話の一部を書き起こし、その会話のメカニズムを分析する♪この課題が無ければ、naokoさんの人生も
また違っていたのかもしれませんね。
とても興味深く読ませて頂きました(#^^#)葉流
日本では、はっきりと言わずに相手に推し量ってもらう傾向があるように思うのですが、やはり同じ日本の方でも、はっきり口にしなかったので誤解が生じるということがあるのですね。
人や文化によって考え方はそれぞれで、なかなか難しいものですね。
お嬢さまの香港での暮らしの中のお話、興味深いです。香港でも英語が分からないという人もいるのですね! 何を考えているかはっきりと伝えることを要求される文化の中では、自然とそう伝えるようになるので、なるほど性格も適応する必要が出てくるのでしょうね。話の切れ目を待っていては言えないのは、香港も同じなんですね。
実は夫とそのイタリア人女性は二人ともウンブリア州庁に勤めていて、共通の友人がいて、わたしたちがつきあい始めた背景には、彼女の画策もあるんです。人生って、おもしろいですね。