イタリア写真草子 ウンブリア在住、日本語教師のイタリア暮らし・旅・語学だより。

腰を折って話し出すのもイタリアの文化 皆でおしゃべり、World Voice 連載

 外国の人と話をしていて、なかなか自分が話をする機会をつかめなかったという経験のある方は、意外と少なくないのではないかと思います。話すこと自体が苦手、何を話していいのか分からない、その場で使わなければいけない外国語が苦手だからという場合はもちろん、自分に話したいことがあって、何とかその外国語で相手に伝える力があるという場合においてもです。

 わたしも、かつてマルケ州の私立イタリア語学校や、ペルージャ外国人大学のイタリア語・イタリア文学講座に通っていた頃に、南米や旧ソ連圏から来た留学生が、授業中に自分たちばかりが話して、しかも話が長くなるので、困ったことがあります。授業を担当する先生に、それに気づいて、他の生徒も話ができる機会を作れるようにするだけの観察力と指導力がある場合はいいのですが、教え慣れない先生が、生徒が途中で質問をし始めたまま話をやめずに続けていても遮らず、そういうことがしばしば続いたときさえありました。

 そうして今、イタリアの友人たちや大家族と大人数で話すときにも、いっしょに話をする相手にもよるのですが、特に人数が多くなると、自分だけひたすら話し続ける上に、他の人がようやく別の話を始めてもすぐにその腰を折ってしまうという人もいたりして、なかなか自分が話す機会を持てないこともあります。ただこれは、イタリアの人や南米など特定の国の人が失礼で配慮に欠けるほどである場合もまれにはあるものの、国民性や、それぞれの文化圏での会話の行われ方、会話における暗黙の了解による場合が大半で、日本とは会話の文化が異なるためであることが多いのです。

 集団で話をするとき、どういうときに、自分も話をしてもいいと考えるか。これは、人の性格や立場、会話の場によっても違いますが、実は出身文化圏によっても、大きな違いがあるのです。日本なら、これはわたし自身が教員として長い間過ごしてきたためにそうしているかもしれないということもあるかと思うのですが、自分がしばらく話したら、話をやめたり、質問をして他の人が話せるように持っていったりするかと思います。また、人が話をしているときには話を遮らずに、話が終わってから、あるいは、自分に発言を求められてから話すということが多いように思います。

 ところがイタリアでは、特に家族や友人どうしの間では、他の人の話が終わっていなくても、もし自分に「皆が興味を持つだろう」という話題があったり、単に自分が話したいことがあったりする場合には、話を始めてもいいということになっているのです。ですから、日本のわたしたちがイタリア人のおしゃべりに口をはさんで、自分が話す機会を得るためには、人の話の腰を折る機会をうまくつかんだり、さりげなく誰かに話しかけたりする必要があるわけで、20年間イタリアで暮らすうちに、わたしはイタリアの人の会話の中で自分も機会をとらえて話すすべを身につけはしたのですが、日本の方たちと話すときには、気をつけなければいけないなと考えています。車を運転するのに、イタリアでは右車線を、日本では左車線を進まなければいけないのですが、会話をするときにも、自分がどの国にいて、いっしょに話をする人たちがどこの文化圏出身かによって、会話における在り方を変えていく必要があるからです。

 「ぜひ会って話をしましょう」と言う日本の方と、ようやく出会えたとき、わたしは職業柄、相変わらず、まずは人の話を聞くことにしているのですが、そうすると、相手の人が、わたしに会って話したいと言っていたはずなのに、ひたすら自分の話ばかりし続けるので、「別にわたしと話をしたかったわけではなかったのか」と思うことがたまにあります。それはひょっとしたら、相手の方がイタリア風の会話術で話をするようになってしまっていたからかもしれないなと、今こうして記事を書きながら、ふと思いました。

 閑話休題。こういうイタリア風の会話文化について、「腰を折って話し出すのもイタリアの文化 皆でおしゃべり」という題で、ニューズウィーク日本版の姉妹サイト、World Voice 連載に寄稿しました。わたしが夫と出会った晩、どうしてその集まりに行こうと考えて、どんな中で夫と出会ったか、そういうことも書いてあります。よろしかったら、ぜひお読みください。

腰を折って話し出すのもイタリアの文化 皆でおしゃべり、World Voice 連載_f0234936_22423941.png
https://www.newsweekjapan.jp/worldvoice/ishii/2022/08/post-45.php

 日本とイタリアにおける文化の違いと言えば、つきあい始めた頃、夫と誤解があって初めて、自分が「Noと言えない」、いえ、「Noと言わない」ことに気づき、しばらくそれが原因でぎくしゃくしたということがあります。そのことについても、また機会をとらえてお話しできればと考えています。

Articolo scritto da Naoko Ishii

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Commented by meife-no-shiawase at 2022-09-03 00:11
World Voiceの記事も拝見してきました。
ご主人さまとの出会いはこちらだったのですね~。
聞き取りを手伝ってくださったなんて、初対面からとても優しいイメージだったのでしょうね♫

文化の違いなどで、人との話し方も違ってくるというのはとても面白いです。
海外に出ると、自分の国で普通なことがそうではないというのに気付かされます。
今回のなおこさんの記事で、あ~なるほど・・・日本人って教育の過程の中でも
「人の話は最後まで聞きましょう」って言われてきましたもんね・・・。

私は台湾に暮らし始めて、相手があいづちを打たないのに驚きました。
「聞いてる?」って思うようなことも多くて、在台20年以上になっても、いまだ慣れません。笑。
イタリアの方は相槌はどうでしょうか???
Commented by milletti_naoko at 2022-09-03 01:28
メイフェさん、こんにちは。

寄稿記事も読んでくださったんですね。ありがとうございます。

スライド上映のあとに、お茶を飲みながらシュトウルーデルを食べて、そのときに二人で少し話をしたのですが、優しい瞳をした人だなあと思いました。

日本の高校では、生徒どうしの間で、人前で自分の意見を言うのを恥ずかしがる傾向があったので、どうやって話しやすい雰囲気を作るかに苦労しました。たぶん中には、例えば外国語の授業で、話をしようとするときに、まず何を話そうかと困ると言う人もいらっしゃるかもしれないと思います。

なんと台湾の方はあいづちを打たないのですか! 国や文化が近そうに見える国でも、そういうことがあるんですね。あいづちは、わたしはあまり気になったことがないのですが、これからしばらく意識してみますね。
Commented by nonkonogoro at 2022-09-03 07:58
なかなか興味深い話題ですね。

実は私は
いつも 夫の話の腰を折ると
文句を言われています。
夫の言い分では 話が終わるまで
じっと聞いてないといけないというのです。

でもね
私達中高年主婦の集まりでは
途中で 合いの手を入れたり
つっこんだり~するのが普通で
じっと拝聴するというのは少ないです。

特に
夫の話は
話がどこへ向かっていくのか不明だし
落ちもないし(笑)
そして じっと我慢して聞いていると
相槌がないと不満そうです。。。

ということで
私は イタリア人? (#^^#)
いえ 関西のおばさん族(笑)で~す。

Commented by cut-grass93 at 2022-09-03 08:42
確かに我々は「話し上手は聞き上手」と教育され、
NOというなんてとんでもないという生活できました。
でも国際的にみると大間違いで、NOと言わなければ同意したとみなされるようですね。
いかに上手に相手の話の腰を折るか、面白い話で、参考になりました。
でもこの年でもう手遅れで、それを数十年前に知りたかった (*^^)v
Commented by ciao66 at 2022-09-03 13:22
world voice のお話、なるほどそうだったのか!と思って拝見しました。

 「腰を折って話し出すのもイタリアの文化 」ということですが、それは、自分の話し中に割り込まれても気にならない、ということなのでしょうね。何を言っているのか重なって聞き取れない、という問題も有りながら、その優先順位は低いのでしょう。

 同じようなことはイタリアだけではなく、日本でもたまには見かけます。女性のグループの場合に多いかもしれませんが、4~5人以上が集まったようなときには、まったく同じ場面が有ると思います。

 そのときは、何と無秩序な人たちだろうと思いましたが、グループ間の文化の違い、なるほどです。今、納得がいきました!!
Commented by milletti_naoko at 2022-09-03 19:28
のんさんたち、皆さんのコメントを拝読して思ったのですが、文化というのは、例えば会話の在り方や言語や料理など、代々ずっとその地域や人たちの間で引き継がれていることを含むのであって、例えば関西と関東で方言や料理が違うように、同じ日本でも暮らす地域によって、会話に対する考え方が異なるでしょうし、世代や職業や育った環境や学歴などによっても違ってくるのでしょうね。と言うもの、話す言葉については、そういうさまざまな要因によって違ってくる上に、話す場やその状況によっても異なってくることを研究する社会言語学という学問もあるのです。

職場など公の場では、特に相手の話を最後まで聞くことが求められがちなので、だんなさまの考え方はそういう在り方を反映しているようにも思うのです。

なるほど、だんなさまの話にはそういう傾向があるんですね。わたしも教員という職業柄、すぐに要点に行かずに周囲から詰めていくきらいがあるらしく、夫にだから何が言いたいのと言われることが時々あります。

南イタリアと関西は相通ずるところが多いというのは聞いたことがあります。それは、会話における暗黙の了解にも言えるかもしれませんね。
Commented by milletti_naoko at 2022-09-03 20:06
草刈真っ青さん、わたしは自分でははっきり自分の考えや意見を言う方だと思っていたので、特に日常生活の場面では、日本人のわたしたちは、NOと伝えるのにはっきりと明言せずに、かなり遠回しな伝え方をしているのであって、他の文化圏から来た人にはそれが分からないのだということに、こちらに暮らし始めてから初めて気づきました。

日本語の教科書でも、その日本人の遠回しのNOについてページを割いて解説したりしている場合があり、興味深いです。
Commented by milletti_naoko at 2022-09-03 20:11
ciao66さん、寄稿記事も読んだくださったのですね、ありがとうございます。

上ののんさんのコメントとciao66さんのコメントを拝読して、同じ日本でも世代や性別や地域、そうして職業や家庭教育などによっても、会話のときにいつ口を開くかが違ってくるのだろうなと思いました。例えば仕事でも、会議など、人の話は最後まで聞くことが求められる職場でずっと仕事をしてきた人と、何か問題があればすぐに介入することを求められる仕事をしている人でも、どういうときに話を始めるかが違ってくのではないかと……

確かに女性たちの井戸端会議にも、何か言いたいことがあればすぐに口を挟んでいいという暗黙の了解があるような。
Commented by koito_hari616 at 2022-09-03 21:07
こんにちは

今回色々な局面に晒されて分かったことが有りました
それは優柔不断ではいけないこと
ハッキリと自分の意見は言わなければ誤解されても仕方がないと言う事
会話は相手が有ることで世間話でも込み入った話でも
真面目な話でも自分を持って話さなきゃいけない、と言う事を
色々な事の中で学びました(笑)
相手を言い負かすと言う事では無くてですけど

Commented by harupita at 2022-09-03 21:37
naokoさん

コンバンハ(*'▽')

♪腰を折って話し出すのもイタリアの文化 皆でおしゃべり♪

今 読んできましたよ。旦那様との出会いもまさに
この時が初対面、運命の出会いですね。

母国語でも皆で喋ったら何を言っているのかはわからないですよね。聖徳太子位かな?わかるのは!
読んでいて当たり前とかそれが普通っていうのが 全く通用しないんだって思いました。

私の娘が香港で4年間過ごして、広東語はあまりわからないので英語で暮らしてきましたが、香港の人でも英語がわからない方もいて、コミュケーション苦労したようです。ジェスチャーで伝えたりで、性格もかなり私から見たら強気に4年間で変身したように思いました。イエスノーはっきり伝えるためには、言いたいことをまず先制パンチでもないけれど、おしとやかに話の切れ目なんて待っていては、すごいけんまくで広東語でまくしたてられると出番はないとか、。
 日本人でもその置かれた場所で会話の様子は違ってくるかもしれないと、今日のブログを読んで思いました。

♪イタリア人どうしの自由な会話を録音して、その会話の一部を書き起こし、その会話のメカニズムを分析する♪この課題が無ければ、naokoさんの人生も
また違っていたのかもしれませんね。

とても興味深く読ませて頂きました(#^^#)葉流
Commented by milletti_naoko at 2022-09-03 22:13
結うさん、こんにちは。
日本では、はっきりと言わずに相手に推し量ってもらう傾向があるように思うのですが、やはり同じ日本の方でも、はっきり口にしなかったので誤解が生じるということがあるのですね。

人や文化によって考え方はそれぞれで、なかなか難しいものですね。
Commented by milletti_naoko at 2022-09-03 22:26
葉流さん、こんにちは。寄稿記事も読んでくださったのですね! ありがとうございます。

お嬢さまの香港での暮らしの中のお話、興味深いです。香港でも英語が分からないという人もいるのですね! 何を考えているかはっきりと伝えることを要求される文化の中では、自然とそう伝えるようになるので、なるほど性格も適応する必要が出てくるのでしょうね。話の切れ目を待っていては言えないのは、香港も同じなんですね。

実は夫とそのイタリア人女性は二人ともウンブリア州庁に勤めていて、共通の友人がいて、わたしたちがつきあい始めた背景には、彼女の画策もあるんです。人生って、おもしろいですね。
by milletti_naoko | 2022-09-02 23:42 | Lingua Italiana | Comments(12)