2023年 11月 02日
諸聖人の祝日、死者の日の前日にお墓のミサへ
こんなのを描くには台座を作って
そこに寝転んで書くらしいけれど
描く人のご苦労の程は想像できない。
胸にしみますね〜
生きていたうちは いろいろ不満や反抗もあった 我が両親ですが
なくなった今
今自分がどうにか幸せに暮らしているのは あの両親があってこそ、、と しみじみ 感じられます〜神父様のお話は
いまの 「我らの生活」にもどずいたものでないと
なかなか心に染み込まないところがあります〜
私の教会の日本人神父様は 「聖書」のことを 話すこと多くて
ちょっとイマイチ でございます〜
死者の月 最近ごミサに与っていないのでご無沙汰しています
しかし、お義母さまが亡くなられた時の(若い)神父様のお説教は
心に染み入ります
悲しみが深いのはそれだけ愛し愛されたという事なんでしょう
静かに、亡くなられた方を悼むという事は。。少しの時間でも
大切な時間だと思います
神父さんのお言葉もなお子さんの文章も、胸にしみいりました。とても前向きな気持ちになれます。
ありがとうございます。
スポレート、とっても美しいところですね(^^♪
多くの中から選ばれただけのことは有るでしょう。
フィリッポ・リッピの作だと聞けば、なるほどそうか、という感じです。
昔の記事の写真は、小さくて、時代の移り変わりを感じますね。13年ほど前なのに、今とはずいぶん違う!元の写真がGoogleに残っていて良かったですね。
おっしゃる通り、神父さんの言葉が心に響きます。
感嘆したのだということが、かつて記事に書いたおかげで
分かってありがたいです。今再び見てもすばらしいなあと思います。
共感してくださったと知って、うれしいです。
そして義母の葬儀の際にも、神父さんの言葉に心を打たれました。
神父さんの説教はさまざまですが、
おっしゃるようにわたしたちの日々の暮らしに寄り添って、その視点も
考えてくれたものでないと、なかなか胸に届きませんよね。
かつては、そうだなあと感嘆できる説教をする神父さんや修道士の方が
いらして、その教会のミサへと出かけていたのですが、イタリアでも、
こんなふうに心を打つ説教に出会えることは頻繁ではなく、
単に聖書の解説になってしまっていたり、教えを上からおおせつけるような
言い方をしたりする場合もあります。
わたしも感染かになってから、以前に比べてミサに参列する機会が
めっきりと減りました。
義母の葬儀の際の神父さんの言葉が、義父をはじめ、皆がまさに必要としていた
言葉でありがたいなあと、昨日記事を読み返して改めてそう思いました。
共感してくださったと知って、うれしいです。
懐かしいなあ、あのときにいっしょに出かけておいてよかったなあと
思いました。スポレートは中世の町並みが美しく、近くにわたしは好きな
フィオンキ山もあります。(夫はあまり気が向かないようなのですが)
ときと場所にふさわしい心に響くミサの言葉、心に留めておきたいと思いました♪
これは今ひとつ、これもどうかなあと、あれこれ写真を探したかいがありました。
ちょうど義母といっしょに、母の日を祝いに皆で繰り出したときの写真だということにも
何か深い縁を感じています。フィリッポ・リッピの絵は、下のフレスコ画も美しかったです。
そうなんです。昔の記事は写真がかなり小さいですよね。
先日もコメントに書きましたが、気落ちされていらした
お義父様が元気になられた様子で本当に良かったなーって思います。
なおこさんもご主人様もかなり心配されていらっしゃいましたもんね・・・。
でもやはりお墓参りなどに行かれると寂しい気持ちにもなったりしますね。
でも弟さんたちもご一緒で、よかったです。
義父は今でも、体調がよっぽど悪いときでなければ、毎日
お墓参りに出かけて、お義母さんにあいさつをしに行っているのですが、
畑仕事に養蜂、オリーブの収穫など、あれこれすることがあって
没頭できているのがありがたいです。
皆でミサに行って、心に響く言葉を聞くことができてよかったです♪